さて、開局50周年ドラマ『仔犬のワルツ』は、
ワタシ的には駄作だったけど、
日テレは、他で地味に光るドラマを作っています。
それが、『光とともに…自閉症児を抱えて』。
題名の通り、自閉症児とその母親、そして先生の話です。
テーマも雰囲気も派手さがなく、どこかの原作を映像化したような雰囲気。
視聴率はどうなのかは知らないけれど、
おそらく良い数字を取ってはいない気がします。
私は、ほんの2回しか見ていないのだけど、
それなりの感想を書いてみます。
◆
ストーリーは、
授かった子供が、自閉症だったという衝撃から始まり、
その育児での苦悩、周囲の差別の苦しみ。
そのなかで理解ある先生の懸命な働きで
自閉症の我が子が、一歩一歩成長していく、ささやかな喜びを噛みしめる
という感じです。
もちろん、このドラマを通して、
「自閉症という病気を理解してもらう」という意味合いを、
持たせることはできるかもしれません。
でも、このドラマの自閉症というテーマは、
あくまで人間を描く切り口にすぎない、と私は考えています。
テレビの中の、自閉症を抱える親子の苦しみという姿には、
他の難病や精神的障害、身体的障害を抱えた親子、
もしかすると、普通の親子でも通じるものがある気がします。
◆
このドラマの良さというものを、
いざ書こうとすると、ちょっと考え込んでしまう。
というののも、何ていうか、「普通」なんですよね。
なんかドキュメンタリーを撮影したかのような普通さ。
その普通さが、このドラマの良さなのだけれども、
過剰演出に慣れてしまった鈍感な神経の視聴者にとっては、
はなはだ物足りない演出かもしれない。
◆
「自閉症」という病気は、世間ではとても誤解や侮蔑のある病気です。
私は幸いにも、
心理学関係の本を読んだり、
自閉症に関するものを見た経験があるので、
普通の人よりかは誤解が少なくて済みましたが。
しかし、現実の社会には、
防衛庁長官(あの年金払っていなかったヤツだっけ?)が
海外の軍隊に比べて束縛の多い日本の自衛隊に関して
「自衛隊じゃなくって、自閉隊」とかいう
無神経というか、情け無い言動を起こしたりしてますし、
また私の親も、嫌な表現をする人間で、
「お前なんか、自閉症だ」とか、
私の身内でも聞く状態です。
上は日本の大臣から、下は自分の親までが、
こんな差別ばかりなのですから、
現実の世間では、大変な空気に曝されているんだろうかと、
考えてます。
◆
では、このドラマで、
自閉症の差別がなくなるのか?
個々の病気に対する差別が無くなるかどうかなんていうのは、
私には、大きな意味には感じません。
差別というのは、
「自閉症」とか「身体障害者」とか「らい病」とか、
個々の病気の無理解が生み出すものでは無いからです。
また個々の病気の理解が進んだところで、
差別の人間の数は、減ることはありません。
差別をする人間の根っこには、
「多様な人間を許さない狭量さ」と
「自分本位のワガママさ」
「自分が優れているという自己評価の快感」
・・・の性格にあるのです。
だからこそ、わが国は
「ホームレス」や「老人」を侮蔑し、襲撃し、
「自閉症」や「障害者」を質の悪い出来損ないの表現として用い、
「らい病の元罹患者」を隔離し続け、反人権的法律を放置してきたのです。
差別的人間の自閉症の差別が消えたところで、
その表現は、他の言葉に取って代わるだけです。
他の病気や境遇や社会的弱者、経済的弱者の人間を表すような、
言葉が置き換わるだけで、差別の表現が別の表現に変わるだけで、
差別する人間が減るわけではないのです。
自閉症について、バカ議員にこんこんと説教したところで、
「自閉隊」が「●●●自衛隊」とか差別用語が置き換わるだけでしょう。
差別は「無理解」が生み出すものではない。
差別は「人間としての器の狭さ」が生み出すものなのです。
◆
さて、ドラマの話に戻りますと、
小林聡美という女優が、実に良い存在感ですね。
自閉症という病気に通じ、根気よく熱心に、
自閉症の子供に接している先生の役なのですが、
これが、「ハマリ役」って感じです。
そして篠原涼子という、母親役が良い。
派手さのない化粧を抑えられた美人というのが、
母親という雰囲気を充分に伝えてきます。
私は自閉症という病気は、あまり詳しくないので、
自閉症という病気を、
子供の俳優がどこまで表現できているかは、
よく判りません。
◆
このドラマには、
世間一般でいう「出来ない子」が「一歩一歩、成長していく喜び」があり、
「自分の子供を信じる親」という微笑ましさがあり、
「浅はかな世間の目に負けない強さ」が描かれてます。
これが、自閉症という切り口で描かれているわけです。
でもその中身は、育児一般の苦しみに通じるのかもしれません。
(私は子供を持ったことないからなぁ、、、)
「うちの子は、まだ字が読めない」とか
「うちの子は、オシメが取れない」とかいう
周囲と比べる親の焦り、
「うちの子は、性格が暗い」とか
「うちの子は、泣き虫で仕方無い」とかいう、
懐の狭い親のイライラ感、
こういうところで相似しているテーマを持っている気がします。
『光とともに…自閉症児を抱えて』、このドラマは、
よくある「明るく生きる親子」というドラマではなく、
「育児は楽じゃないよね、けど頑張れば良い事もあるよ」と表現すればいいのかな?
日テレが、開局50周年の銘を
なぜこのドラマではなくて、「仔犬のワルツ」に与えたのか、
ちょっと考えてみたり。
ワタシ的には駄作だったけど、
日テレは、他で地味に光るドラマを作っています。
それが、『光とともに…自閉症児を抱えて』。
題名の通り、自閉症児とその母親、そして先生の話です。
テーマも雰囲気も派手さがなく、どこかの原作を映像化したような雰囲気。
視聴率はどうなのかは知らないけれど、
おそらく良い数字を取ってはいない気がします。
私は、ほんの2回しか見ていないのだけど、
それなりの感想を書いてみます。
◆
ストーリーは、
授かった子供が、自閉症だったという衝撃から始まり、
その育児での苦悩、周囲の差別の苦しみ。
そのなかで理解ある先生の懸命な働きで
自閉症の我が子が、一歩一歩成長していく、ささやかな喜びを噛みしめる
という感じです。
もちろん、このドラマを通して、
「自閉症という病気を理解してもらう」という意味合いを、
持たせることはできるかもしれません。
でも、このドラマの自閉症というテーマは、
あくまで人間を描く切り口にすぎない、と私は考えています。
テレビの中の、自閉症を抱える親子の苦しみという姿には、
他の難病や精神的障害、身体的障害を抱えた親子、
もしかすると、普通の親子でも通じるものがある気がします。
◆
このドラマの良さというものを、
いざ書こうとすると、ちょっと考え込んでしまう。
というののも、何ていうか、「普通」なんですよね。
なんかドキュメンタリーを撮影したかのような普通さ。
その普通さが、このドラマの良さなのだけれども、
過剰演出に慣れてしまった鈍感な神経の視聴者にとっては、
はなはだ物足りない演出かもしれない。
◆
「自閉症」という病気は、世間ではとても誤解や侮蔑のある病気です。
私は幸いにも、
心理学関係の本を読んだり、
自閉症に関するものを見た経験があるので、
普通の人よりかは誤解が少なくて済みましたが。
しかし、現実の社会には、
防衛庁長官(あの年金払っていなかったヤツだっけ?)が
海外の軍隊に比べて束縛の多い日本の自衛隊に関して
「自衛隊じゃなくって、自閉隊」とかいう
無神経というか、情け無い言動を起こしたりしてますし、
また私の親も、嫌な表現をする人間で、
「お前なんか、自閉症だ」とか、
私の身内でも聞く状態です。
上は日本の大臣から、下は自分の親までが、
こんな差別ばかりなのですから、
現実の世間では、大変な空気に曝されているんだろうかと、
考えてます。
◆
では、このドラマで、
自閉症の差別がなくなるのか?
個々の病気に対する差別が無くなるかどうかなんていうのは、
私には、大きな意味には感じません。
差別というのは、
「自閉症」とか「身体障害者」とか「らい病」とか、
個々の病気の無理解が生み出すものでは無いからです。
また個々の病気の理解が進んだところで、
差別の人間の数は、減ることはありません。
差別をする人間の根っこには、
「多様な人間を許さない狭量さ」と
「自分本位のワガママさ」
「自分が優れているという自己評価の快感」
・・・の性格にあるのです。
だからこそ、わが国は
「ホームレス」や「老人」を侮蔑し、襲撃し、
「自閉症」や「障害者」を質の悪い出来損ないの表現として用い、
「らい病の元罹患者」を隔離し続け、反人権的法律を放置してきたのです。
差別的人間の自閉症の差別が消えたところで、
その表現は、他の言葉に取って代わるだけです。
他の病気や境遇や社会的弱者、経済的弱者の人間を表すような、
言葉が置き換わるだけで、差別の表現が別の表現に変わるだけで、
差別する人間が減るわけではないのです。
自閉症について、バカ議員にこんこんと説教したところで、
「自閉隊」が「●●●自衛隊」とか差別用語が置き換わるだけでしょう。
差別は「無理解」が生み出すものではない。
差別は「人間としての器の狭さ」が生み出すものなのです。
◆
さて、ドラマの話に戻りますと、
小林聡美という女優が、実に良い存在感ですね。
自閉症という病気に通じ、根気よく熱心に、
自閉症の子供に接している先生の役なのですが、
これが、「ハマリ役」って感じです。
そして篠原涼子という、母親役が良い。
派手さのない化粧を抑えられた美人というのが、
母親という雰囲気を充分に伝えてきます。
私は自閉症という病気は、あまり詳しくないので、
自閉症という病気を、
子供の俳優がどこまで表現できているかは、
よく判りません。
◆
このドラマには、
世間一般でいう「出来ない子」が「一歩一歩、成長していく喜び」があり、
「自分の子供を信じる親」という微笑ましさがあり、
「浅はかな世間の目に負けない強さ」が描かれてます。
これが、自閉症という切り口で描かれているわけです。
でもその中身は、育児一般の苦しみに通じるのかもしれません。
(私は子供を持ったことないからなぁ、、、)
「うちの子は、まだ字が読めない」とか
「うちの子は、オシメが取れない」とかいう
周囲と比べる親の焦り、
「うちの子は、性格が暗い」とか
「うちの子は、泣き虫で仕方無い」とかいう、
懐の狭い親のイライラ感、
こういうところで相似しているテーマを持っている気がします。
『光とともに…自閉症児を抱えて』、このドラマは、
よくある「明るく生きる親子」というドラマではなく、
「育児は楽じゃないよね、けど頑張れば良い事もあるよ」と表現すればいいのかな?
日テレが、開局50周年の銘を
なぜこのドラマではなくて、「仔犬のワルツ」に与えたのか、
ちょっと考えてみたり。