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記憶の中の風景

忘れられない場所、忘れられない季節、忘れられない時間への旅
80%の事実と20%の創作……

バリで/迷い続ける夜

2007年10月05日 | 小説:記憶の中の風景
午後11時。バリよりも1時間早い東京の夜は不器用なまでに替り映えのしない夜。

替り映えしない夜の中に、肉眼ではとうてい見えない8等星の恒星がある。
銀河の果てで無記名の惑星や衛星、あらゆる微塵の星屑を、持て余し気味に抱える名も知らぬ恒星たちだ。
名も知らぬ恒星は終末期を迎え赤色化し超巨大化し、一部の惑星を飲み込もうとしている。既に醜く膨れた恒星の餌食となった惑星や衛星は無数に存在する。
仮にその恒星を仮にTOKYOと名づけよう。NewYorkでもかまわない。Pariでも北京でもいい。
そのTOKYO系は分別ある寛容さが段階的に失われ、惰性となり、あらゆるものを区別なく回収し咀嚼していく。咀嚼されたあるものは、TOKYO系の内にとどまり、腐食し膿となりTOKYO系を蝕んでゆく。
あるものは完全な咀嚼がままならず、消化不良気味に流れ出て、新たな汚染源となる。
まともに消化されたわずかなものは、新たな生命を生み出す源となるが、それでさえ多分に儀礼的過ぎるきらいがある。
しかし、TOKYO系は自らの生命の餌にして、残されたエネルギーを振り絞りながら、かつて自ら生み出し育て上げた惑星とその衛星の輝きを保とうとしている。
それは切実な現実でありながら悲しいくらい滑稽な姿である。
確かに言えることは、TOKYO系の生命として完結はまだ遠い先にあり、揺らぎながらも息づいているということである。

中央線のオレンジ色の電車は、眩いばかりの無感動の光に満たされた新宿駅のホームに滑り込む。ひどく疲れた表情の人達を吐き出し、無感動の光に中にうつむき加減で電車を待っていた人達を回収する。
優子はその電車の中央付近の車両の入口近くに、寡黙な疲労と焦点の合わない孤独を抱えながら目を閉じて座っていた。
航空会社の電話予約センターでの業務。係りのなかった人達からの電話を何十本も受け、マニュアルとおりに慎み深く、親しみやすい口調で予約へと導き、避け難い細かい塵の集積のような係りを持つ。ひとつひとつの時間にすれば瞬間的に終わる係り。
遅番の業務が終わり一人家路に急ぐ。急ぐこともないのだが、無感動の夜に長く触れていたくない気持ちが強かった。アパートの自分の部屋に囲われたい。
部屋に帰れば、少なくとも無感動で無個性な夜に生で触れることはない。

早く部屋に帰ろう・・・…

新宿を過ぎ、中野、高円寺と電車は駅に止まり、阿佐ヶ谷駅に近づくにつれ、彼の姿が予告無しに浮かんできた。駅に近づきスピードが落とされる中で、彼の姿がいっそう鮮明なものになる。後ろの車両の勢いをなだめるように電車が止まる。
私は何かを思い立ったわけでもなく、そこが私の降りるべき駅のように周りの空気を乱すことなく、自然に立ち上がりドアが開かれるのを待った。

そして降りた。午後11時12分。

阿佐ヶ谷駅の照明は、無感動で無個性で、眩い新宿の明るさとは程遠い孤独な光陰を私に与える。宿命的に雑然としたささやかな繁華街を足早に歩き、対照的に寡黙な住宅街の小路にでる。孤独の深度が降下する。
彼の部屋にはもちろん誰もいない。静かに鍵を開ける。
玄関の照明を点けることなく、ドアの鍵を閉め、パンプスを脱ぐ。
ささやかに鍵を閉める音も、内気なほどにパンプスを脱ぐ音も、誰もいない部屋に、冷たい湖の水が凍っていくように拡がる。ナイロンのストッキングを通して足の裏に、フローリングの無機的な冷たさが伝わる。数日間身動きひとつしなかった部屋の空気にも、冷たさと虚無が流れ着いたような侘しさを感じる。
洗練された言いようのない虚無感。

6月も何日かすれば終わるのに。もうすぐ真夏なのに、と思う。

消されたばかりのテレビ画面のような居間に入り、ショルダーバックをソファーに置く。
レースのカーテン越しに、隣の家の居間からなのだろうか、照明の明りがこの部屋にわずかに届く。
きっと家族がそれぞれの部屋にまだ入らず、ひとつの部屋で同じテレビ番組を見ているのだろう。きっと温もりのある空気で満たされているのだろう。と思う。
対照的な明るさと温度差。今の私には、その差が不条理にも感じられる。
私はその不条理な明るさの中でワンピースを脱ぐ。床に落ちたライトブルーのワンピースの崩れた形には、解凍できないある種の哀しみの輪郭が形成される。
部屋の電気も点けず、洗面所のミラーライトだけを点けた。

鏡に私のシルエットが浮かぶ。徐々に細部が明確になってゆく。
ビニールクロス張りの無機質な狭い洗面所の中に、時間が緩慢に流れる。
薄紫色のスリップが薄紫色だと認識できるまで、疲労感のない時間が必要だった。
しかし、ここに流れている時間は疲弊し続けている。
私は私の顔を鏡の中に見る。目の下に隈ができつつある。鏡の中に、私の無駄のない瞬きがある。実際の私の瞬きとの間に、わずかに時間のずれを感じる。その時間のずれが次第に拡がっていくようにも感じる。
28日周期を守り続けるブルーデイがもう時期やってくる。
クレンジングクリームで化粧を落す。ファンデーションとシャドウ、ルージュの色が混ざり合い孤独な色を作り出す。
『こんなふうに思ったことはないのに・・・・・・』口に出さず鏡の中の私に向って小さくささやいてみた。返事も感想も述べる者はいない。
何を見ても孤独としか感じない。
孤独を生み出すシステムが、私がここに訪れた瞬間、この部屋で作動し始めたのかもしれない。孤独が廻る続ける循環システム。私はあきらめてシャワーを浴びる。

満たされない身体の奥から生まれる微熱を帯びた私の身体に、温かい水滴が流れ落ちる。涙が水滴に融ける。雪解けの渓流に落ちる小さな雪の塊のように。
そして浴室の床に弾け、怠りなく精緻な音をたて、私の素足を避けるように排水溝に消滅してゆく。
涙は消えていったけれど、涙を生成した悲しみは私の中にあり続けた。喜びが二度とやってこないのではないか、と思われるほどの深い悲しみ。
誰が悪いわけじゃない。誰も私を傷つけてなんかいない。一人で明日を迎えることがただ悲しいだけ。
濡れた髪が微熱状態の身体に密着する。火照った身体を冷ますように。
内部的な微熱は、私の意識をあなたのいる遠いバリに向けさせる。
あなたは今何を思い、何をしているのだろう。どんな夜を迎えているのだろう。
私があなたの部屋で、シャワーを浴びながら深い陰影の中であなたの幻視を見ているとは知らないだろう。

午後11時58分。

あと数分で明日になるが、朝が訪れるような気がしない。
私はあなたの幻視と一人ぼっちの時間と葛藤しながら、深い夜に包まれてゆく。


* * * * * * *


香織と玲子がドアの外に消えた。進化し続ける深い南国の夜の中で、僕は深い井戸に落とされたように混じり気のない漆黒の孤独感に襲われる。

午前0時7分。

僕は優子に電話をかけた。コールされるまでの間、まるで近くに古い柱時計があるように分針刻みで時が訪れる。そこには陰影のないクリアーな孤独感が拡がる。
見渡す限りの草原に一人取り残されたような孤独。冷たい風が髪を掻き分ける。

コール音が始まる。5回、6回、7回、8回、9回、10回、11回・・・・・・

僕は受話器を置く。
『優子はまだ帰ってきていないのだろうか・・・・・・』
僕は広すぎて柔らかすぎて持て余し気味のベッドに仰向けに寝転び、有機的なデザインの漆喰塗りの天井を漠然と見つめる。焦点を絞って見つめるほどの突出したものがない。天井の染み、手抜きのデザイン、光を求めて天井を這う虫。
漠然とした時間が流れる。漠然とした不安が広がる。漠然とした思考が支配し、なぜ優子がこの時間部屋にいないのか。と考え始めることもない。
『優子は、今部屋にいないんだ・・・・・・』自分に向けられたその言葉だけが緩慢に支配し続ける。
そう思いながらも起き上がりもう一度受話器を取る。受話器を見つめる。
ベランダから先ほどまでそこにい続けた風が僕に向ってくる。深い夜は、僕をターゲットとして向ってくる。自分に向けらた言葉が、暗闇の中を一周して返ってくる。
『優子は、今部屋にいないんだ・・・・・・』
僕はスタンドライトの控えめな光影の中に取り残される。あるいは包まれる。
僕は受話器を置く。

『あななたちは結ばれるわ。きっと・・・・・・』玲子の横顔に浮かぶ深い翳から発せられた静寂な声が甦る。
玲子の予言めいた言葉が、曲が流れ終わっても回り続けるレコードのノイズのように一定の間隔で僕の記憶領域の深いところに繰り返し浸入し続ける。

『あなたたちは結ばれるわ。きっと・・・・・・』

僕は設定されたシルエットとして捉えることができる。さらされ続けてきた、歩道に立つプラタナスの姿のような僕と香織のシルエット。
僕は進化し続ける深い夜の中で迷いながら、孤独な一部分として存在する。
そして孤独な一部分も進化し続ける。

優子はどこにいるのだろう・・・・・・





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