葉山のこの美術館はとてもメジャーなものとは思えない。
前回来たときはアルプ。この人もこういった規模のものは
初めてではないだろうか。
逗子からのんびりとバスに揺られ着いた先はひとけがとても少ない。
だからこそ気持ちよく楽しめるしゆったりと見られる。
ロケーションは素晴らしいと思う。
経営的にはどうなんだろう?しかし、このために税金を払っていると思えば
私は今の税金が惜しくはない。
シュバンクマイ . . . 本文を読む
観てきた。
やっぱりシュバンクマイエル。
入り口にはオテサーネクが。
そしてこれはおなじみ「水着で入らないでください」マークが。
オブジェを作っていること自体しらなかったが、やはりシュバンクマイエル
すばらしい。シュルレアリスムにも傾倒し、ブルトンの自動筆記などもやっていて
とても馴染む。しかし、彼は生粋のシュルレアリストではない。
プラハの重苦しさと、スターリンの圧政、芸術への無理解があの暗さ . . . 本文を読む
友人が、mp3をくれた。
NOMIを知ったのはいつだったろう。
私はコンセプトから気に入ることが多くて
音楽がきれいとかゆーのはあまりない。
でも聴いているうちにだんだん気に入ってしまう。
ハルカリもコンセプトペアだし、ディレクションのあり方が
面白いから聴いてみた。
ま、とにかくNOMIのカストラートのようなはりあげた声は
とても気に入っている。
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友人が韓国から帰ってきた。
鳥のお茶屋さんへいったそうだ。
鳥にかこまれて幸せだったと言っていた。
でも鳥が”ブン”と飛んで
糞をしたらどうなるのだろう?
聞いてみたらそんな粗相はしないと言っていたが。
私には過去幾多の思い出がある。
ハトにやられたことが1度しかも白いスプリングコートにやられた。
次はメジロ。ブルーのセーターに一撃。
カラスにも。
友人曰く、私の顔を見ると糞をしたくなるんじゃな . . . 本文を読む
カンボジアの女神?天女?かな。
デスクの横に張ってあって、たまに眺める。
この彫像を作った人は男性だろうなとおもってしまう。
その理由は胸の強調具合。
そこばっかり強調しなくても・・、と思ってしまう。
アンコール・ワットのアプサラは胸が球体だった。
作り物みたい。写実的な必要は無いけれど、あまりにまるんとしている。
しかもみんな触りたがるのかテカテカ光っていた。
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カラー写真は確かに情報量が多く、そして見やすい。
イメージも伝わりやすいし、解りやすい。
しかし、モノクロの力を圧倒的に感じさせてくれる人たちがいる。
メイプルソープはその圧倒的なパワーで花を見せてくれる。
セクシーという言葉がこれほど似合うモノクロームはそうそうないだろう。
石元泰博などはアスファルトに張り付く濡れ落ち葉の厚みが欲しいという。
ある意味で凄絶な追求と想いが込められている。
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山で雨にあう。ひっそりとした雨。
身体が次第に湿ってくる。
葉が湿り気を帯びて色が変わりまるで花が咲いたように
感じてしまう。
そこかしこに密やかな気配。
前を行く人もなく、後ろから人の来る様子もない。
道ともいえないような踏み跡さえも定かでない場所を
植林された林から一気に原生林へ下っていく。
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鎌倉と言うより大船の近く。
田圃の真ん中にある、こんもりとした丘。
ここに手掘りの洞窟がある。
修験場とも言われているようだけれども
中はとても暗くて、入場料を払うとかわりに
蝋燭をくれる。これが頼り。
消えたらどうするんだろう??
予備か、ヘッドランプが欲しい。
ま、とりあえずの灯りはある。
なかは意外と広く川(というよりせせらぎ?)が流れており、
仏様が壁面に彫られていたりする。
ギャーティ・ . . . 本文を読む
”ちとう”と読む。
メインサイトで平が岳の写真をアップしているがここにある
池というか沼のようなものがそれ。
とても不思議なものだ。山頂に池がある風景。
今市子が「百鬼夜行抄」で扱っている。
彼女のマンガは気合いが必要だ。
内容の密度が濃すぎるからだ。
うっかりすると訳がわからなくなる。
この池塘、別名を餓鬼の田とも言うらしい。
なぜこう言うのかは解らないが立山などにも
みられるという。
弥 . . . 本文を読む
この版画家を知ったのはユルスナールからだ。
とくに「牢獄」のシリーズ。
どこから光が投げられているのかもわからない。
人の気配はないのだけれどうめき声が聞こえてきそうな
重厚な石組み。
熱に浮かされて作り上げたと言われるこれらの奇想群。
馴染みすぎてしまう、重苦しさ。
私はこの回廊の住人なのだろうと思ってしまう。 . . . 本文を読む
シュバンクマイエル展がくる。
神奈川県立美術館葉山だ。
シュバンクマイエル。
一番最初に観たのは「アリス」だったか。
クエイ兄弟はスタイリッシュだけどシュバンクマイエルは
もっとなんというのだろう泥臭いというか原風景というか。
汚れた瓶とか皿とか、すごく好きである。
生理的にイヤだという人も多いだろう、独特の映像と感性。
私にはチェコなどの東欧(今は無い言葉だ)の薄暗さがとっても
気に入っている。 . . . 本文を読む
bunkamuraへ行って来た。
モローはこれで何度目だろう。
何度も観ている。
モローはそのあざとさといかがわしさがよいのだろう。
夢見たものたちが具現化して爛れたように現れる。
あざとさはモローが見ざるをえないものではなかったからだ。
単純に幻想趣味的な絵を描き、それをこれ見よがしに見せつけるからかも知れない。
モローは幻視者ではないのだ。
早い話が受け狙いを感じさせるところがあざとい。
が . . . 本文を読む
桐野夏生。
骨太な作家であるが、こういったものを書くとは驚いた。
主人公は敏子59歳。
桐野は1951年生まれだから54歳、大きい範疇では同年代といえる。
結婚していて、娘さんがいるそうだ。
等身大の話でありうる。
が、実際は等身大では無いのだろう。
ここでも感じるのは変化ということ。
老いてといいながら、現代日本においては59歳はまだまだどころか
ちゃんとした現役だ。
主婦というものはここまで内 . . . 本文を読む
チェ・ゲバラの若き日の物語。チェ・ゲバラは共産主義の革命家としか意識したことがなかった。
学生時代に南米をまわったことによりある方向へと彼は進むようになったのだろう。
その変化の狭間を見せているわけなのだけれども。
ちょっときれいに出来過ぎかな。
もっと泥臭い場面もあっただろうけれどなんだかいつもさわやか青年のようで、
嘘くさくもある。だからといって”人間ゲバラ”とかいう下手くそな予定調和な
映 . . . 本文を読む