日本の政治がダメなのは、その根本に有権者の無関心があると言われるし、僕もそう思う。無関心は無関心を覆う社会をもっとダメにするのは必然。社会心理学でも指摘される。
少し大枠で政治がダメな理由について述べさせてもらう。
55年体制とは自民党が立党した頃から使われる言葉である。そこで自民党が与党で、当時は社会党が野党という構図であった。自民党は農村部が支持母体で、社会党は労働組合である。共産党やのちの公明党でなければ、自民党か社会党に投票していたということになる。
農村部というのは昔ながらの社会であるから、農村で偉い人に追随する。これは日本の企業でも同様であった。それに対するのは、「我は労働者」という意識の強い人であった。この労働者は自分が働く企業では、企業の一員という所属意識より、労働者という意識が強い人たちであった。
ホワイトカラーは自分は農村の地主の下で働くのと同様、企業で働いているという社会意識であるから、結果自民党に投票。
最近はあまり使われなくなったが、前者がホワイトカラーで、後者がブルーカラー。で、我が国に理念などないので、所属しているか否かという社会意識によって政権が選択されてきた。それが自民党政治。時代が進むと、自らを労働者とする社会意識をもつ層は減少する。
さすがに2局によって政治が決定されるのは「おかしい」という意識も生まれる。そこで既存の2局から理念ぽい考えを作り出して、新しい政党が生まれてくる。社会党から民社党。自民党から自由党や新自由クラブなどなど。ついには当の自民党の総理大臣が自党の中に敵対勢力を作り出し、郵政民営化で総選挙。
でも、結局皆元は2局であるから似たり寄ったり。まあ小沢一郎あたりが頑張って民主党という自民党に対抗可能な政党を作り政権奪取も、どちらかといえば理念をもつ小沢一郎は内輪揉めで弾かれる。
ついにはやはり自民党だけではいけないと言って、未来の党とか、オリーブの樹とか政界再編を試みるも、なんとか希望の党とか維新まで出てくる。維新人気は、「自民党だけでは」という国民意識に応えるかのように見えて、やっぱり違った。なんだか政治とか国家とか、国会がなんであるのかわからない非社会的な人間の寄せ集めにまでなってしまった。
そして今、当の自民党がカルト政党であると認識されてきている。問題は無関心層が関心を持つかいなかでしょう。
さて高度経済成長期からバブル期、そして失われた25年(30年?)と日本社会は進んだというか後退したか。かつては労働力が必要であったから、労働者は大切にされた。だから貧乏はなかった。で、一億総中流。
バブルが終わり、労働はは合理化といって人件費削減。非正規雇用の増大とか。これによって格差が明確に。社会全体が貧乏がなかった社会が貧乏人と金持ちに壁が歴然とできる。それはバブル期に金儲けできた人たちが、その感覚を捨てるどころか、金儲けできるという感覚を維持し続けているから。バブルは当然株や不動産という金融からだから、金融で今現在も儲かってしまう。アベノミクスってやつか。
ほんの数十年前社会全体が豊かになるためには労働力が必要だったが、豊かさを作るのは金融だから、豊かさを作り出す労働者は大切ではなくなった。働くと貧しくさえなってしまうという矛盾を非正規雇用に。さらに外国人労働者にと拡大させる。
非正規が増加しつつ、どうにか良い企業とやらに勤めて、生活自体は安定させたいという人間が増加する。彼らがどの政党に投票するのか、どこに所属しているという社会意識を持つのか?