禅タロットとメキシコ刺繍のアルテサニア・マヤ@東京都東大和市

禅タロットとラテンでしなやかな自分軸を創る

自由の象徴

2019-07-30 20:09:00 | マヤのいろいろ

¡ Hola !
こんにちは♪

グアテマラ大好き!
メキシコ大好き!

禅タロットとラテンであなたのココロを解放します♡
アルテサニア・マヤのmayaです。






7月後半から、いろんな感情のデトックス期間だったようです。



今回の京都出張で多くの学びを得ました。

家族との調整や、仕事に対する心構え、今までの思い込みからによる私のパターン。。。

たくさん考えて、衝突して、いろんな怖いことと直面しました。



いつだって自分の願いを叶えるときは怖い。

だって本当にその願いが叶ってしまったら、夢は現実となるのだから。

そこに責任が生じるのだから。





私の人生での大きなテーマのひとつは「自由」






最近すごくハマっているのが、高校時代に好きだったLOUDNESS。

LOUDNESSは日本のヘヴィメタルバンドで、日本から海外へ進出したバンドです。

1981年にデビューしてから今も変わらず内外で人気があります。







私は中学生の頃、映画が大好きでした。

あるとき、音楽好きないとこからビリージョエルのテープをもらったことから、私の洋楽好きが始まりました。

ビリー・ジョエルとクリストファークロスだったかな。

そこから、映画から洋楽へと興味がいきました。

私の中学時代はまだレコードだったので、レンタルレコード屋さんにいっては、ジャケットが素敵なもので借りてみたり

あと「ベストヒットUSA」を録画して、見るのが大好きだった!

その頃インターネットなんてない時代なので、唯一海外のアーティストを知れるのがこの番組でした。

ポップスやロック、中学から洋楽好きが始まりました。

その頃、日本もアイドル全盛期で松田聖子や中森明菜とかチェッカーズとかいろいろいたけれど、そういうのには全く目もくれませんでした。




小さい頃から外国が大好きで英語が好きだったから。

私のDNAに外国の文化が刻まれているのだと思います。







中学のとき私の周りで洋楽を聴いているのは、男子数人だけでした。女子には一人もいなかった。

日曜日になると、レコードプレーヤーの置いてある部屋にこもって、ベストヒットUSAをみたり、レコードを聴いたり、大好きな時間でした。




そんな中学時代を過ごし、高校に行った時、風変わりな男子にLOUDNESSを教えてもらったのです。

彼は、バンドを組んでいて、ギタリストで、クラスではちょっと浮いてる人だった。

そんな彼に影響されて、聴き始めたLOUDNESS。

私にはLOUDNESSの音楽は刺激的すぎた!!!

洋楽っぽいサウンドに、メロディアスなところにやられました。

ギターが泣いてる感じ!!!

高校2年生のときと3年生のときに、新潟で二回コンサートに行くことができました。

ハリケーンアイズとジェラシーのコンサートでした。




(何度も引越しをしながらずっと大切にしてきた当時のツアーパンフレット)



小学校中学校と、母がPTAの関係で学校に出入りしていることが多くて、良くも悪くも目立ってしまうことが嫌で仕方なかった。

テレビも漫画も禁止で、夜7時から勉強時間。

ランドセルは隅から隅までチェックされていて、監視されているようなそんなふうに感じていました。(今考えると違うんだけどね。。)

高校生になったら、父が私の通う高校で教師をしていたので、どうしても目立ってしまう。。。

私は、自分が望まなくても目立たされてきた。

だから目立つことがずっと大嫌いでした。





そんな閉塞感の中で、見つけたのが音楽であり、LOUDNESSだったのです。

今思うと、あの頃の自分に眠っていた情熱がLOUDNESSを聴いているときだけ燃やすことができたのだなーと思うのです。


レイキの先生がおっしゃっていました。

聴いている音楽はその人に必要なエネルギーだって。

まさに目立たないように引っ込んでいた私が唯一自分を解放できるのがLOUDNESSだったのです。

つい最近そのことに気がつきました。笑




そして、1989年4月から大学で関東へ上京するので、LOUDNESSのコンサートにいっぱい行くぞ!と思っていた矢先のLOUDNESSのボーカル二井原さんの脱退。

1988年12月に新聞記事に載ったんですよね。。
今でもその切り抜きどこかに持ってるはず。
ショックでショックで。。

二井原さんのソロコンサートで確か中野サンプラザに見に行ったはず。

でもそれ以降、LOUDNESSからは離れていきました。




大学では、老舗の軽音楽部があると学校のパンフレットで見てから、絶対にここに入る!!!と決めて、何にも楽器もできないのに、SHADOWS(シャドウズ)の門を叩きました。

そこにはたくさんの長髪の人たちがいて、、私が入部したときは女子の先輩がいませんでした。

高校時代にLOUDNESSに出会っていなかったら、軽音楽部に入ることはなかった。。

そこで一年間バンドを組んでボーカルをやらせてもらい、歌詞を書いたり、先輩の音楽をたくさん聞かせてもらいました。



カルメンマキのバックバンドをやっていた「RUST」というバンドのシャドウズの大先輩から、「これがロックだ!70年代」というテープをいただいてから、王道のロックを知ることになりました。

超有名な楽曲がたくさん入っていたなー。

大学時代にはまったのが70年代ロック!特にジャニス・ジョップリンでした。

ドリームシアターも何回かライブに行ったように記憶しています。

私の人生になくてはならないものが「音楽」になりました。



大学の卒業旅行でメキシコとグアテマラを友人とバックパッカーで2ヶ月旅してから、私の興味は旅になり、そして、LOUDNESSのことはすっかり忘れて、音楽はラテン音楽から、サルサへと移っていきました。

サルサを踊るようになってからは、HMとは全く離れていて、つい3年位前にLOUDNESSがいまだやっていることを知り、しかも昔のライブの再現をやっている!と聞いて、びっくり!

ライブチケットはSOLDOUTだったので行けず、ようやく行けたのが、2017年4月。

私が高校時代1988年にライブに行ってから約30年ぶりにLOUDNESSのライブに行くことになったのです!!!




まさに感動!!!圧巻!!!鳥肌がたちました。

懐かしい名曲、30年たっても全然歌えます!!!

それ以来、LOUDNESSのライブに年2回行くようになり、今年は、ボーカルの二井原さんのライブに行くようになりました。

魂が震える感覚。全身が奮い立つ感じ!!!感動の嵐。

私の全てが喜んだのがよくわかりました。

30年の歴史がたくさん詰まっている、ただ懐かしい、ってだけじゃない。

なんだか同志のような一体感。

いいこともいやなこともたくさん味わってきたこの30年間。

そんないろんな思いに「おつかれさん!」って言っているようなそういうホームな感覚。





今の私だからよくわかる。

あの高校生だった私がなぜLOUDNESSにはまったのか?

エネルギーの出す場所がなかったから、LOUDNESSを聴いているときだけ、私になれていたんだ。


今は、ただ感動を味わいたくて、LOUDNESSに間違いは決してなくて、必ず感動させられるから。

LOUDNESSのメンバーと観客のあの一体感があるからこその感動。

その一部になれる自分。

だからこんなにもLOUDNESSのライブに行きたい自分がいる。

そして、あのとき抑圧されてきたとずっと思ってきた自分に

「もう楽しんでいいんだよ!好きなものは好きって言っていいんだよ!」

って言ってあげられる今の自分。


自分の好きを声にだしていい、もっと貪欲に感動を味わっていい、ってようやくOKを出せたのです。

すごく深い部分でのOKです。

今、禅タロットを扱うからこそ、ここまでこれたのだと思っています。

そして、夫のおかげ。

誰にも自分という人を100%理解することはできないかもしれないけれど、家族で理解しあえるように、自分が納得いくまで話すことって本当に大切だと思っています。


私がライブに行くには、家族の協力なしには行くことはできないから、たくさん家族と話しました。

この7月は心のデトックスをたくさんしました。

家族に話すことで、自分の本当の想いに気づくことができた。

絶対に触れられたくないと思っていた自分の奥底の本当の想い、震えながら言語化して話してみました。

そして受け入れられたと思えた安心感。深い信頼。



感動の体験をするためにすべての人は生まれてきているから!

今まさに一つ一つの体験が感動。

LOUDNESSのライブも生で聴くことで、体全体に響き渡る音の嵐の気持ちよさ。

まさに「生きてる感覚」です!



私はこの「生きてる感覚」を味わいたくて、旅をし続けていた。

日本にいる間はずっと死んでいたのです。

今は旅をしなくても、今ここで「生きてる感覚」を味わうことができます。

それは、禅タロットセラピストとして活動する中で感動の連続だから。

自分を生きるという意味が今本当に肚に落ちたから。


そんな感動の体験を、遠慮することなく、やっていいんだって自分に許していこうと思っています。

それをするために生まれてきたのだから。









7/27大阪でのライブにて。
聞いてみたかった『寿』を歌ってくれて感動。