失くしたりみつけたりのeveryday

一視聴者としてのテレビの感想など。
「それがなければこんなに一緒にいられない。
それは無条件に存在する。」

相田さんのコラムで思い出したこと

2015-05-26 18:01:51 | Weblog
とても興味深かった。

SMAPコラムVol.98

http://entertainment.rakuten.co.jp/special/smap/vol98/


主観と実存。
あると思うからあるのか、あるからそう思うのか。

これを読んで思い出したことがあるんですね。
あ、これは自分の思い出なので、
キムラさんや作品と直接関係ないです。
読み飛ばしてくだせえ。

少し引用します。
「妻子ともに本当に仮面をつけていて、主人公以外のひとびとは全員、妻と子供の顔が見えているふりをしているだけ、ということだって考えられます。「美人の奥さん」というフレーズの連呼が、わたしは気になって仕方がありません。
 そうしたとき、浮上してくるのが、実存をめぐる問いです。
 わたしは、誰なのか?」

これと似たような感覚に陥った時期があります。
幼稚園~小1の頃です。(え?笑)
もちろんその感覚を言葉で表すことなんてできなかったけど。
私は本当に鏡で見るような姿なんだろうか?
(だって自分を直接見ることはできない)
本当はすごく奇妙な姿なのに周りの大人はごまかしているのではないか?
世界は本当に自分が見るように存在しているのだろうか?
見えてない部分には実は何もない(虚空)なのではないか?
お父さんやお母さんは自分が見ているときには居るけれど
見てないときにも本当に存在しているの?
こんな妙な感覚をなぜか持ってしまって誰にも言えず
よく怖い夢を見て泣いて起きてました(^^;

自分は鏡で見る女の子の姿ではなく、何か変な生き物かも?という
疑いを晴らすために玄関の前に立ってみたこともあります。
道行く人がこちらを見て笑うので「やっぱり?」と思ったり。
今考えれば小さな女の子がじーっと見ていれば
大抵の大人は笑いかけますよね。

タモさんがよく「幼稚園の頃が一番大人だった。
幼稚園は幼稚だと思った」と話しますが、
私もまったく同じでした。
たまにそういうタイプの子がいるのかもしれませんね。
こんな子供だったから、子供の世界が辛かった(^^;
子供じみたえげつなくてしつこいおふざけがうざかった。
何度も幼稚園を辞めさせてと親に頼みました(笑)。
でも表現できなかったから、先生には元気のないおとなしすぎる子と
思われていたと思います。

そんなある意味大人びた感覚にとらわれたまま育ったら
もしかしたら天才か、紙一重の異常者になっていたかもしれませんが
幸い自然に周囲に馴染んでごく普通の人間になりました。

自分の中にある自分と、実年齢がストンと合ったような感覚があったのが
高校生のとき。
すごーく楽になりました。
20歳過ぎたらただの人とはよく言ったもので
今ではちゃんと、存在を疑うこともない
そこそこずうずうしいおばちゃんやってます(笑)。
で、今度は中身が実年齢に追いつかない(笑)。
高校生くらいから変わらない部分は変わらないねー。


恵と良雄の仮面・・・久が見るときだけ存在する仮面。
見るときは存在するけど見てないときには存在しない。
恵と良雄は自分が思っている姿のように久には見えていない。
でも久は普通に振る舞っていた。
告白するまでは。

「そう、彼は、折り返し地点で、ようやく他者に変貌したのです。」
コラムのここもゾクゾクしたなー。
これからどんなラストに向かうのか。
ますます楽しみです♪


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