▽小説が書きたいという願望とは長らく離れていた私。
『書きあぐねている人のための小説入門』を読んでみて思ったのは
大変興味深い内容だった、ということ。
それをふまえて自分にはやはり小説書くには想像力が何より足りないよなぁ、ということ。
他にも何点か足りないものを発見できたし、
現役作家が書く指南書ということで、あくまで一例とはいえ小説の書き手の考え方が知れました。
印象的だったことを忘備録的に書いていこうかなと思います。
本を逐一開きながら書くわけではないので、記憶違いだったり、
筆者の保坂氏はこういう考えなのではという個人解釈が含まれます。
小説というものに興味のある人は読んでみてください。
小説家というものに興味のある人は原本にあたりなさい。
▽登場人物に役割を与えない。
役割って言うのは主人公、とか、主人公の恋人、とかいうその人の立場じゃなくって、
例えば「主人公に恋愛とは何かを気づかせる役」、として友人を設定しない。
現実に人はそう都合よく発言も行動もしないしね。
役割を与えられてしまうとどうしても最終的なその人の登場目的が決まってしまって、
その目標に向かった言動をしてしまう。
そうなったらそれは不自然な人の動きだ。
同じように、このセリフを言わせようというものに向かって会話を組み立てていかない。
やはり不自然なものとなってしまう。
人ってもっと複雑。
▽動物や天気に人間の心情表現させない。
人が天気や動物の行動を操れるわけがない。
自分が落ち込んでいたって空は晴れているかもしれないし、猫はそんな自分には無関心に遊んでいるかもしれない。
自然が人間の心に沿って状況を変えるなんて、まさに不自然なわけだ。
▽背景描写にこだわる。
えー、と。
これなんでだったっけ。
えらい風景にこだわりをもって書くものなんだなぁ。と思った事は覚えてるけどなんでだったかが思い出せない。
ただ、自分は今まで風景を見てもなんとなく「きれいだなぁ」とか、なんとなく「寂しい感じがするなぁ」位にしか思っていなかったけれど、
小説というのはその「なんとなく」を言葉でどこまで表現出来るかに挑戦するもの、という発想は新しかった。
景色を見て「これ(自然の自然な姿とそれを見た自分の感情)を文章で表してみたい」と思った事がなかったので、
小説が書きたくなったら写真を撮るんじゃなくて言葉で記録するのがいいのかな、と思ってみたり。
▽ストーリーに頼りすぎない。
起承転結とか、序破急とか、定番になってきている型に頼っていては新しいものは作れない。
読者の記憶にも残らない。
新人賞に応募される作品というのはどこかで見たような展開ですすんでいく話が多くて、審査員は「またか」とか思ってしまう。
別にこの本はどうやって新人賞を取るかということを書いているものではないけれども、
審査員が思うということは読者も「またか」と思うのだろう。
かといってその「またか」が社会にウケないかと言われればそうとは限らず、
先が想像できる本はすらすら読めるから人気が出たりする。
筆者は「一気に読んじゃいました」という宣伝文句は褒め言葉ではないと否定的だった。
人の集中力って本来そんなに保てないのに一気に全部読めるということは頭を使わない本だということだ、と。
そこまでは書いてなかったかもしれないけど。
続きが気になって読まずにはいられない経験を持つ自分としてはこの意見にはやや懐疑的。
でもたしかに「おもしろい」とは思っても一気には読めない本にも会ったことがあるので言っていることはわかる気がする。
ちなみに筆者は何処で終わっても面白いという作品を心掛けているそう。
ある賞に応募するにあたって担当編集者から
「これだと字数をオーバーしてしまうのでどこか削りましょう」と言われて
「じゃあ字数のところで切ってしまっても構わない」と返したとか。
さすがにこの時は見栄を張りすぎたと自省している様ですが。
▽ネタをためない。
次の小説のためにこのネタをとっておこうとか考えない。
今持っている全部を一作にねじ込もうとしろ。
多分無理だけどやれ。
常に自分の中の最高傑作を作り続けろ。
小説家は小説と一緒に成長するものだ。
「次に入れよう」と全部出し切ろうとしなかった者に次はないと思え。
全部込める気持ちで書かなきゃどこかでキープしてしまって成長できない。
うん、これもここまでは書いてなかった気がする。
けどネタを次のためにとっておくな、とは確実に書いていた。
▽小説とは何かを常に自分に問い続ける。
小説に型はない。
小説家は小説とは何かを常に自分に問いかけながら小説を書け。
▽と、このあたりまで記憶を頼りに書いてみた。
ここからちょこちょこカンニングしながら書いてみよう。
忘れちゃってたくらいだから重要度は高くないと自分では判断したのかな。
▽自己実現のための小説を書かない。
自己実現や自己救済の小説は筆者一人しか救わない。
小説はもっと大きい何かに向かって書かれているはずだ。
「わかるわかる」とたまたま同じような境遇の人の「共感」を得られたとしても「感銘」は得られない。
(ベストセラーには成り得る)
▽社会的形容詞(造語)で人間を形容しない。
○○さんは□□さんと××さんのご家庭に長男として生まれ、やんちゃ坊主としてすくすく育ち、●◆小学校から×◆中学校へと進み、部活動はブラスバンド部に所属してトランペットを担当。仲間からの信頼も厚く、副部長も務められました・・・
という新郎紹介をだいたい誰も聞いていないのは、この社会的形容詞ばかりが連ねられているからである。
社会的形容詞とは伝わりやすさに重点の置かれた形容の仕方のことで、最大公約数的な情報しか入っていないために個性が浮かび上がらない。
形容詞ないし形容全般のはらむ社会性を断ち切って、一人の人間に向かうべきだ。
▽だいたいこんなところかな。
いや、今パラパラとめくり返してみてもとても面白い本だと思います。
これを読みおわって、というか読みながら思っていたのは、
筆者である保坂氏にとっての小説ってROCK'N'ROLLみたいだなぁということ。
社会性を断ち切る。
型にはまらない。
このへんが打ち破る、ぶっ壊すという意味でのROCK。
常に小説とは何かを問い続ける。
このあたりがROLL。
そういう考え方も好き。
けど定番ネタで共感させられて泣かされるのも悪くない。
▽小説も音楽も芸術だ。
いっぱいジャンルがある。
ジャンルという型は保坂氏が嫌うところかもしれないけど。
小説も音楽も作者の数だけ、作品の数だけジャンルがあるわけだ。
別に自分は小説にも音楽にも大きなこだわりはないので
これからも様々なジャンルの本を読んでいきたいなぁと思います。
書きは・・・しないんじゃないかなぁ。
『書きあぐねている人のための小説入門』を読んでみて思ったのは
大変興味深い内容だった、ということ。
それをふまえて自分にはやはり小説書くには想像力が何より足りないよなぁ、ということ。
他にも何点か足りないものを発見できたし、
現役作家が書く指南書ということで、あくまで一例とはいえ小説の書き手の考え方が知れました。
印象的だったことを忘備録的に書いていこうかなと思います。
本を逐一開きながら書くわけではないので、記憶違いだったり、
筆者の保坂氏はこういう考えなのではという個人解釈が含まれます。
小説というものに興味のある人は読んでみてください。
小説家というものに興味のある人は原本にあたりなさい。
▽登場人物に役割を与えない。
役割って言うのは主人公、とか、主人公の恋人、とかいうその人の立場じゃなくって、
例えば「主人公に恋愛とは何かを気づかせる役」、として友人を設定しない。
現実に人はそう都合よく発言も行動もしないしね。
役割を与えられてしまうとどうしても最終的なその人の登場目的が決まってしまって、
その目標に向かった言動をしてしまう。
そうなったらそれは不自然な人の動きだ。
同じように、このセリフを言わせようというものに向かって会話を組み立てていかない。
やはり不自然なものとなってしまう。
人ってもっと複雑。
▽動物や天気に人間の心情表現させない。
人が天気や動物の行動を操れるわけがない。
自分が落ち込んでいたって空は晴れているかもしれないし、猫はそんな自分には無関心に遊んでいるかもしれない。
自然が人間の心に沿って状況を変えるなんて、まさに不自然なわけだ。
▽背景描写にこだわる。
えー、と。
これなんでだったっけ。
えらい風景にこだわりをもって書くものなんだなぁ。と思った事は覚えてるけどなんでだったかが思い出せない。
ただ、自分は今まで風景を見てもなんとなく「きれいだなぁ」とか、なんとなく「寂しい感じがするなぁ」位にしか思っていなかったけれど、
小説というのはその「なんとなく」を言葉でどこまで表現出来るかに挑戦するもの、という発想は新しかった。
景色を見て「これ(自然の自然な姿とそれを見た自分の感情)を文章で表してみたい」と思った事がなかったので、
小説が書きたくなったら写真を撮るんじゃなくて言葉で記録するのがいいのかな、と思ってみたり。
▽ストーリーに頼りすぎない。
起承転結とか、序破急とか、定番になってきている型に頼っていては新しいものは作れない。
読者の記憶にも残らない。
新人賞に応募される作品というのはどこかで見たような展開ですすんでいく話が多くて、審査員は「またか」とか思ってしまう。
別にこの本はどうやって新人賞を取るかということを書いているものではないけれども、
審査員が思うということは読者も「またか」と思うのだろう。
かといってその「またか」が社会にウケないかと言われればそうとは限らず、
先が想像できる本はすらすら読めるから人気が出たりする。
筆者は「一気に読んじゃいました」という宣伝文句は褒め言葉ではないと否定的だった。
人の集中力って本来そんなに保てないのに一気に全部読めるということは頭を使わない本だということだ、と。
そこまでは書いてなかったかもしれないけど。
続きが気になって読まずにはいられない経験を持つ自分としてはこの意見にはやや懐疑的。
でもたしかに「おもしろい」とは思っても一気には読めない本にも会ったことがあるので言っていることはわかる気がする。
ちなみに筆者は何処で終わっても面白いという作品を心掛けているそう。
ある賞に応募するにあたって担当編集者から
「これだと字数をオーバーしてしまうのでどこか削りましょう」と言われて
「じゃあ字数のところで切ってしまっても構わない」と返したとか。
さすがにこの時は見栄を張りすぎたと自省している様ですが。
▽ネタをためない。
次の小説のためにこのネタをとっておこうとか考えない。
今持っている全部を一作にねじ込もうとしろ。
多分無理だけどやれ。
常に自分の中の最高傑作を作り続けろ。
小説家は小説と一緒に成長するものだ。
「次に入れよう」と全部出し切ろうとしなかった者に次はないと思え。
全部込める気持ちで書かなきゃどこかでキープしてしまって成長できない。
うん、これもここまでは書いてなかった気がする。
けどネタを次のためにとっておくな、とは確実に書いていた。
▽小説とは何かを常に自分に問い続ける。
小説に型はない。
小説家は小説とは何かを常に自分に問いかけながら小説を書け。
▽と、このあたりまで記憶を頼りに書いてみた。
ここからちょこちょこカンニングしながら書いてみよう。
忘れちゃってたくらいだから重要度は高くないと自分では判断したのかな。
▽自己実現のための小説を書かない。
自己実現や自己救済の小説は筆者一人しか救わない。
小説はもっと大きい何かに向かって書かれているはずだ。
「わかるわかる」とたまたま同じような境遇の人の「共感」を得られたとしても「感銘」は得られない。
(ベストセラーには成り得る)
▽社会的形容詞(造語)で人間を形容しない。
○○さんは□□さんと××さんのご家庭に長男として生まれ、やんちゃ坊主としてすくすく育ち、●◆小学校から×◆中学校へと進み、部活動はブラスバンド部に所属してトランペットを担当。仲間からの信頼も厚く、副部長も務められました・・・
という新郎紹介をだいたい誰も聞いていないのは、この社会的形容詞ばかりが連ねられているからである。
社会的形容詞とは伝わりやすさに重点の置かれた形容の仕方のことで、最大公約数的な情報しか入っていないために個性が浮かび上がらない。
形容詞ないし形容全般のはらむ社会性を断ち切って、一人の人間に向かうべきだ。
▽だいたいこんなところかな。
いや、今パラパラとめくり返してみてもとても面白い本だと思います。
これを読みおわって、というか読みながら思っていたのは、
筆者である保坂氏にとっての小説ってROCK'N'ROLLみたいだなぁということ。
社会性を断ち切る。
型にはまらない。
このへんが打ち破る、ぶっ壊すという意味でのROCK。
常に小説とは何かを問い続ける。
このあたりがROLL。
そういう考え方も好き。
けど定番ネタで共感させられて泣かされるのも悪くない。
▽小説も音楽も芸術だ。
いっぱいジャンルがある。
ジャンルという型は保坂氏が嫌うところかもしれないけど。
小説も音楽も作者の数だけ、作品の数だけジャンルがあるわけだ。
別に自分は小説にも音楽にも大きなこだわりはないので
これからも様々なジャンルの本を読んでいきたいなぁと思います。
書きは・・・しないんじゃないかなぁ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます