VIVA! HOUSEKEEPING

Mt.Koya Trail "黒河道"


Day.1"大峰道"Update 左から CHROME Industries(ボク) MountainHardWear(はやっさん) Mont-bell(鉄母)

さて本日は ィ夜明け前から起床 風が強まり 冷え込みも強まってきた 雨は上がってるみたいだけど…
Day.2は 高野山から橋本市に向け 黒河道(くろこみち)という古道を歩く

橋本市賢堂から高野山黒河口に至る信仰の道 黒河道は 大和国からの参詣客がよく利用したことから 大和口とも呼ばれた
また文禄3年(1594) 高野山参詣を行った秀吉が 当時高野山では禁止されていた 歌舞音曲を催した処 激しい雷鳴が轟き
神のたたりと恐れた秀吉が 子継峠 黒河道と下って 麓の隅田にある利生護国寺に逃げ降りた と言う話が残っている

このことから この道を太閤道とも呼ぶという この道は 平成28年10月に ウネスコ世界遺産に登録されている
さて 昨夜から雨が降り続き 雷鳴が轟いた 秀吉の祟りか??? オマケに今朝は 季節外れの雪!!! 寒いはずだ是

08:00 カモンレッツゴーデイツートゥザハシモトシティバイザクロコミチ 長いですね


08:40 一本杉 今回は二股から子継ルートをchoice 一本杉は 周囲7.5m 推定樹齢400年ともいわれている大杉
木の下に『右 てんじょく山(転軸山) 左 おくのゐん(奥の院)』 と刻まれた 明治20年の道標がある


09:10 子継地蔵 1512年の建立 安産祈願、子授け祈願で 参詣に来る人が多いという



10:05 茶堂跡 今は 心細い献花があり 小屋が立っている

10:15 久保小学校 明治9年に創立され 大正6年頃には 近くの山で銅鉱石の採掘がはじまったことから 一時期は
生徒数が 100人近くいたというが 平成18年に最後の在校生一人が卒業し 以後休校になっているという 
今は 地域のふれあい施設になっていて 陽だまりで 小休止させてもらった


その後 歩いていくと 休耕田の棚田があり 人家らしきものがあったが 朽ち果て始めている様子
帰宅して調べてみると この家は黒河村の庄屋をされていた方の家だそうで 今はだれも住んでいないということ

黒河村は ここより更に奥地にあり 林業を中心にした村だったそうで 黒河道はその村の名前にちなんでいるのだが
今では 住む人もいなくなって廃村に 田んぼの畔にカラス除けの缶が吊られていた いつまで住んでたのだろう??? 
 
11:23 林道合流 斜面沿いのTrailは風が強く冷たいので 衣服の調整が難しい

11:50 桂の木 ちょうど今の時期 桂の木に赤い花が咲き めちゃんこ美しい
ココから 市平橋まで ちょと 道がわかりにくい 橋でも 選挙の看板で 本来の道標が見えず コマッチング


12:05 市平橋 ここから"わらん谷"と呼ばれる沢筋を進んでいく 何か所も橋がかけられている
雨上がりって事もあり 滑るし 傷んでいる場所もある 有志の方々による補修作業がみられ ありがたく思う

13:05 明神ケ田和 沢筋から ギュウゥっとセメント道をUp めちゃんこ急坂 汗が出る
タワとは『たわんでいる場所』と言う事で ココには民家があり 人が住まわれている ココから下り調子


13:55 定福寺 境内でLocalたちが焼肉大会をしていて Joinしたくなる 喉から手が出るほどニクが食べたい
庫裏(くり)は江戸時代後期の建築で 国の登録有形文化財 本尊は平安時代後期の阿弥陀如来坐像で 県指定文化財

ココから橋本市と紀ノ川が一望できる 風は冷たいが 旅の終わりにふさわしく スカッとした景色是


14:30 橋本駅 これにて旅も幕 ファミマがあったので 高級一番搾り"超芳醇"とィ焼鳥で ウマウマウー!!!
新今宮まで帰阪し ジャンジャンィ横丁の 居酒屋で お疲れ様会 今回も 良い旅でした



雨が降ったけど 屋根のある庵があって 弘法大師に包まれたような氣持ちで 旅することができた
TeamMateのはやっさん 鉄母 お疲れさまでした 残りの七口もまた 参詣しましょう

Missy Elliott 『The Rain』 Supa Dupa Fly

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