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無限大の夢追いかけて

日々、頭に浮かんだことを書き残そうと思います。

1枚のシール

2007-11-09 21:52:59 | 思い出

 今日、机の中から、昔の小さなシールが出てきた。
 以前、飼っていたラブラドールレトリバー「トロン」と
 我が子2人のシール。

 すごく、なつかしかったので、
 スキャナで取り込んだ。

   (もちろん、我が子には内緒でアップしました。)

 
 我が子が小さいころ、
 我が家には、トロンがいました。

 我が子の成長を、見守るかのように、
 我が家には、トロンがいました。


  
 このシールで、そんなことを思い出しました。

adid○sのジャージ

2007-11-07 19:18:31 | 思い出

 このジャージ・・・

 古着屋で買ってきたわけではないです。

 今も、主に部屋着としてはいてますが、

 実は、僕が高校1年生の時に、自分で選んで買ったものです。

 
 自分でも「すんげぇ~」と思うんですが、

 なんと、20数年使っているんです。

 もちろん、間で、こんなデザインはけるかよ!という時代もあったのですが、

 adid○sジャージの復刻版も出回っているので、

 ここ数年は、堂々と使っています。


 特に、この頃のadid○sジャージは、デサ○ト制で縫製もしっかりとしていて、

 今でも、ゴム・ファスナーとも問題なしという優れもの。

 当時、お母さんに「高いジャージ買ってきて!」と嫌味を言われたのも、

 ここまで使えば、すんごいことですよね。(^-^)ニコ

  
 中学でサッカーをしたころから、adid○sが好きで、

 高校で野球をしていたころもadid○sのジャージや

 当時は珍しかったadid○sのグローブも買いました。



 2・3年前・・・

   嫁さんに「他の古いadid○sのジャージどうしたん?」と聞くと・・・

   『捨てたで!』とあっさり言われました。

                 (〃^×^)★あははははっ

うちのばぁちゃん

2007-07-22 22:35:20 | 思い出

写真は、ハサミ。
名前が書いてある。
書いたのは、うちのばぁちゃん。(僕の母)

このハサミを見て思い出した。

うちのばぁちゃん、何にでも名前を書いていた。
おじいちゃんの帽子や作業道具、バケツなどなど、
マジックでしっかりと名前を書いていた。

ある日、ばぁちゃん、
僕の息子の財布に、しっかりと名前を書いた。
マジックでしっかりと、カタカナで「マツイ XXX」と書いた。

それに気付いた息子(当時、小学校低学年)。
めそめそ泣いた。
その気持ちは、おばぁちゃん以外、全員がよくわかった。

お気に入りのセレッソの布製の財布。
マジックでしっかりと「マツイ XXX」

『あんまりや!』僕も、そう感じた。

名前を書くこと自身は、悪いことではないが、
その大きさ、字体、見栄え、『それは、ないやろ!』という感じだった。

その後、僕がシンナーで消してあげようとしたが、
布製だったので、しみこんで黒ずんで、使い物にはならなかった。

・・・・

  今でも、時々、そのことを笑い話として家族で話すことがある。

                 (〃^×^)★あははははっ

これ!ゴキブリや!

2007-07-10 22:08:01 | 思い出

息子、小学校低学年のころ・・・

僕は、仕事で帰りが遅かった。

家に帰ると・・・

息子は、すでに眠っていた。

 妻 「くわがた、つかまえてん!」

 僕 「え!どこに?」

 妻 「これ」(大きなゴミ用ビニール袋の中に、くろ光りした虫・・・)

 僕 うそやろ!これゴキブリや!

   「どうやって、つかまえたん?」

 妻 「ようさわらんから、網でつかまえてゴミ袋に入れた。」

 僕 「そりゃそうやな。これやったら、おれもようさわらんわ(笑)」


ゴミ袋の中の虫は、

黒光りした羽根のないゴキブリ(オオゴキブリ?)が一匹、入っていた。





 息子のためにと思って、ゴキブリを捕まえた母の勇気に乾杯!

 そんな話だった。




 翌日も、その話で、娘と息子も含めて4人で大笑いした。

             ヾ(≧×≦)人(≧×≦)ノギャハハ!
          

父親と娘

2007-06-15 22:27:49 | 思い出
昨日、「書かせてもらう」と書いてしまったので・・・

(正直、何書くかは、まだ考えてないんですが・・・)


まず・・・

 『頑張れ!』という言葉の使い方、難しいときもありますよね。
 今回の話も、お父さんもお母さんも、
 我が子に『がんばってほしい』と思うのは当たり前の話で、
 父さんの発言が間違っている。という訳ではないと思うんです。
 ただ、『会話不足』があったんでしょうね。
 『○○ちゃんは頑張り屋さんだね。次はもう少し落ち着いて、頑張ろうね。』
 と、ゆっくりとしたスピードで話せたら、
 ○○ちゃんへの伝わり方も違ったでしょうね(^^)

 会話するとき、
 肯定から入るか、否定から入るか、
 早口で話すか、ゆっくりと話すか、
 そんなことで、相手に与える印象は全然違ってくると、
 最近僕も強く意識してます(^^)



僕と娘の話・・・

 5年前にも、「親子の話」を書いていました。

   http://www8.ocn.ne.jp/~matsuixx/oyako4.html

今日、読み返してみても・・・

 5年前の自分から、あんまり成長していない自分を感じました。



昨日、いただいたメールを読んでいて、思ったことは・・・

 ○ 僕も、娘の子育て、どう接すればいいんだろう?
   と、よく考えたよな。とか

 ○ 特に、息子がサッカーを始めてからは、
   娘とあんまり遊んであげなくて・・・
   庭で息子にサッカーを教えている時に、
   娘が、自分から一緒にサッカーをしに来たこと・・・
 
    その時も、
    そんなに興味もないサッカーを・・・ということは、
    もっと、かまってほしいんだ。
    「あっ!もっとかまってあげよう!」と、反省したこととか

 ○ 結構、僕のいうことをよく聞く娘だから、
   たまに、僕が、ちょっと注意しただけで、
   すぐ泣いたよなぁとか


そんなことを、漠然と思い出しました。








(どうまとめようか?)

(あちゃ、結論ないぞ!)

(え~い、ここで投稿しちゃえ!)

魚釣り

2007-05-23 22:15:55 | 思い出
友達のサイトで、お父さんと息子君との魚釣りの話をみつけました。

僕自身も、此処でも以前書いたのですが・・・

 僕の父さんが好きだったこともあって、
 僕も父さんとよく魚釣りに行きました。

  池や川で、ふなつり、鯉つり、
  海で、投げ釣り、サビキ釣り、船釣り、海の釣堀。
  ・・・
  他にもいろいろ


そんないろんな釣りの中でも、

 釣れた瞬間の喜びはもちろん覚えてますが・・・



 釣れない時、

  じっと、二人でうきだけを見つめていたこと。

  これも、印象に残っています。


  父さんが、もともと無口だったこともありますが、

  その時の沈黙をなぜか、すごく覚えています。

  小さいころから、その沈黙、そんなにきらいじゃなかったです。




  ・・・

  父 「ひけへんな。」

  ・・・

  僕 「うん」

  ・・・

  父 「場所かえるか?」

  ・・・

  僕 「もうちょっとやる。」

  ・・・

  ・・・

  父 「もう、やめるか?」

  ・・・

  僕 「もうちょっとする。」

  ・・・

  ・・・



そんな、会話を何回もしたことを覚えています。

父さんが、僕に気遣ってくれたことを、今でも覚えています。

釣れなくても、会話が少なくても、父さんと二人で行く魚釣りは好きでした。


 父さんと息子って、こんなもんなんでしょうね。

 言葉だけじゃないんですよね。





僕も、大人になってから、息子と釣りにも行きました。

そして、僕の父さん、僕の息子と二人で、釣りに連れて行ってくれました。

そして、父さん、僕、息子と3人で釣りにいったこともあります。


 どれも、すごく良い思い出になってます。

「見守る」ことしかできないけど・・・

2007-05-14 21:40:08 | 思い出
ふとしたことから、思い出しました。

息子、小学校5年、
 地区大会ベスト4からの試合、
 肘の骨を折って、治りかけの時、
 息子、病院の先生に泣いてギブスをはずしてほしいと頼みました。
 先生も「最低、あと一週間なんだけどな・・・」「絶対にこけるなよ。」といいながら、
 ギブスをはずして、テーピングで肘をV字に固めてくれました。

 その日、もちろん、息子の怪我のことにはふれずに、
 みんなには、いつもどおり指導しました。

 準決勝、
  息子はピッチ。僕はベンチ。
  見守ることしかできませんでした。
  何とか勝ち進みました。

 決勝、
  息子はピッチ。僕はベンチ。
  やっぱり見守ることしかできませんでした。
  負けました。

 その2試合。
  「こけるなよ。」と心の中でつぶやきながら見守りました。
  父親として、それしかできませんでした。


息子、高校3年の春。最後の大会。

 大会直前。
  息子の足は、悲鳴をあげてました。
  病名は、「シンスプリント」
 
 最後の大会。
  大会に入ってから、家では怪我の話は禁句になっていた。
  言ってもどうにもならないことは、僕も息子自身もわかっているので、
  その話はしなかった。

 最後の2試合を都合をつけて観にいった。
  息子はピッチ。僕は観覧席。
  やっぱり見守るしかできなかった。


 
この話。
 怪我を知っていて、出場をとめなかったことが、
 指導者として、そして父親として、
 良いか悪いかは、いろんな意見があると思います。
 でも、その時、僕自身は『見守ってあげよう!』
 そう判断して見守りました。



怪我に限らず、

 親として見守るしかできないことってありますよね。

 心配で、心配で仕方ないけど、見守ることしかできない。

 我が子の成長を願って、見守ることしかできない。

 そんなことって、ありますよね。 (〃^×^)★あははははっ   

好きなうた

2007-05-11 22:48:50 | 思い出
通勤途中、特に朝はテンションが低いと書いたが・・・
今朝は、なぜか、この唄を思い出して、口ずさんでいた。
口ずさむといっても、声には出していないけど・・・
頭のなかで、なぜか、ぐるぐるとまわっていた。


           「あの唄はもう唄わないのですか」

                  伊勢正三  作詞・作曲
        
             今朝 新聞の片隅に   
             ぽつんと小さく出ていました
             あなたのリサイタルの記事です 
             もう一年たったのですね

             去年も一人で誰にも知れずに  
             一番後ろで見てました
             あの唄 も一度聞きたくて
             私のために作ってくれたと
             今も信じている あの唄を


             あなたと初めて 出会ったのは
             坂の途中の小さな店
             あなたはいつも唄っていた
             安いギターをいたわるように

             いつかあなたのポケットにあった
             あの店のマッチ箱ひとつ
             今でも時々  とり出して
             ひとつ  つけてはすぐに消します
             あなたの香りが しないうちに


             雨が降る日は  近くの駅まで
             ひとつの傘の中  帰り道
             そして二人で  口ずさんだ
             あの唄はもう唄わないのですか
             私にとっては思い出なのに


昔、昔に、ギターを練習していたころ、覚えた歌で、
この歌詞の中のドラマを思い浮かべて、今でも、なぜか口ずさむことが多いです。

                      (〃^×^)★あははははっ

男のロマン

2007-05-01 21:21:46 | 思い出
小学校のころ・・・
 どこにも売ってなかった「大リーグボール養成ギブス」
 
中学校のころ・・・
 膝を痛めた「パワーアンクル(足首のおもり)」

高校のころ・・・
 全く使えなかった「鉄下駄」

そして、昨年から・・・
 「男のロマンや!」と置いてあった
 このトレーニングマシーン。(写真がそれ)


昨年の9月19日にも書いた話ですが・・・

さっき、捨てに行ってきました。

延々と『使わないンやったら捨てて!』といわれ続けていました。
もちろん、譲ってもらった人には了解を得ました。

捨てに行くとき・・・

 母「鉄やったら高く売れるで~」
 僕「ほんなら、売ってきてくれるか?」
 母「・・・」

実際、僕自身・・・

 (誰か欲しい人いないかな?)
 (ネットで募集しようかな?)

 なんて、いろいろ考えたんだけど、
 とにかく、重さが半端じゃない!
 運ぶのが大変!

 ということで、捨てました。


題名の『男のロマン』・・・これ、あんまり意味ないです。

でも、『男のロマン』・・・これ、捨ててません。
 
                (〃^×^)★あははははっ

親子の話

2007-04-19 21:25:21 | 思い出
5年前にHPを開いた。
その頃は、まだ子育て真っ最中で、
『親子の話』という題で文章をいくつか書いた。
書き始めは、いろいろ自分のことでも思い出すことがあって、
すらすらと書けた。(内容の良し悪しはおいといて・・・)

今日も、久々に書いてみようかなと思って、書き始めたが・・・
書き始めてはやめ、書き始めてはやめ、の繰り返し。
結局、自分のHPに戻って、ひとつコピーしておくことにした。
(すでに、読んでくださった方は、パスしてくださいね。(^-^)ニコ )

題名は、

 「親子の話・その3『いちごどろぼう』」

 私が小学校2年生・8才のころです。
 そのころ、私もランドセルを背負って、近くの小学校に通っていました。

 その日は、小学校から近所の友達と2人で帰っていました。
 そして、事件が起きました。(もう時効が成立していると思いますが・・・)

 私と友達は、家まであと200メートルというところまで帰ってきて、
 道端のたんぼのビニールハウス内に入りました。
 その時は、悪いことをしている意識も
 あったのか、なかったのか、その記憶もあいまいですが、とにかく、
 どうどうと、ランドセルを背負ったまま、栽培してあるイチゴを食べました。

 そうです。”いちごどろぼう”です。
 私が誘ったのか、友達が誘ったのか、そんなことはどちらでもいいのですが。


 家に帰った私は、
 ”いちごどろぼう”をしたことがばれるわけがないと思っていたのか。
 それとも、
 ”いちごどろぼう”が悪いことだともわからなかったのか。
 とにかく、いつものようにふるまっていました。
 そして、
 いつものように、夕ごはんを食べようとしたその時です。

 父が「なんか、かくしてるやろ。」と一言、
(まさか”いちごどろぼう”がこんなに早くばれることは想像もしてなかったのか。)
 私は、「なんのこと」と答えました。
 父は、少し大きな声で「謝りにいってこい!」と怒って言いました。
(ここで、私はもしかしたら、ばれたのかも?と思いました。でも)
 私は、とぼけて「なんのこと」と繰り返していました。

 これまでも、悪いことをした時に、真っ暗な物置に閉じ込められたり、
 時には、殴られたりしていた私は、この時点でもう”はんべそ”状態になっていました。
 でも、この日の父は、少し違いました。
 殴るわけでも、怒鳴るわけでもなく冷静に、
「よそのたんぼで、いちごとったやろ。○○さんの家に謝りにいってこい。
 ○○さんの家は、・・・・・」と家の場所を説明しただけで、父は黙りました。
 横で、母も・・・、そして姉も・・・黙っていました。


 そして、薄暗くなった道をとぼとぼ泣きながら、
 私は、その○○さんの家に行きました。
 まだ、小学校2年生のころです。まともに「こんばんわ!」が言えたのか。
 ”いちごどろぼう”をしたことについて、説明できたのか。
 そのことについては、全くといっていいほど記憶にはないのですが、
 とにかく、泣きながら「ごめんなさい!」と謝ったことは、
 間違いないと思います。

 私の記憶では、○○さんのおじいちゃん
(今はもう亡くなられましたが、当時は、怖くて怖くてという印象だった。)
 も、全く怒らずに、
 一人で謝りに来た事を誉めてもらい、”ココナッツサブレ”という
 お菓子をもらって帰りました。

 帰ってから、父がおだやかに、他人のものを盗むことについて、
 私に諭し(何を言っていたのかは、これも記憶にないのですが。)、
 それを聞きながら、そして泣きながら、
 私は、少し遅い夕ごはんを食べました。


 この話は、本当に細切れの記憶ですが、
 こういう叱りかたもあるんだな。と、時々思い出します。

 今思えば、私が謝りにいったあとで、
 父か、母が、その○○さんの家に謝りに行ったことは間違いないと思いますが、
 その時は、「自分で責任取ってこい。」と
 私に言いたかったのだと・・・・・、
 そのことに気がついたのも、もう少し大きくなってからでした。


そして、ここだけの話・・・
 僕が父親になってから、
 僕の息子が、同じようなことをしたことがあった。
 やっぱり、僕も、僕の父が叱った方法で息子を諭した。


僕が、父から伝えてもらったこと、
息子にも、ちゃんと伝えたい。

         今日は、そんなことを考えました。 

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

2007-03-12 23:11:50 | 思い出
今夜も見てました。
家に帰ってくると、すでに始まってました。

今夜は、「オカンの闘病」ばかりで・・・
僕が、見てからは、明るい場面は何もなかったけれど、
またまた、のめりこんでました。

そして、ちょうど、2年前に亡くなった父のことを思い出してました。
僕自身が僕のHPに残した「闘病記録」を読み返していました。
http://www8.ocn.ne.jp/~matsuixx/oyako10.html

あらためて、「みんな元気でいてほしい。」・・・そんなこと考えていました。


ちょうど、その『親子の話』を見ていて、こっちのページも見て・・・
http://www8.ocn.ne.jp/~matsuixx/koi.html
2・3日前から、池のポンプの汚れがたまっていて、水の出が悪かったので、
母が僕の息子に掃除を頼んだということを思い出した。

そして、その直後、そのことを確認するため、母のところに行った。

僕 「池のポンプ、○○○(僕の息子)洗いよったか?」
母 「夕方、帰ってきて、洗ってくれたよ」

母 「す~ごい、汚れていて、ヒルいてたで~」
僕 「ヒルなんか いてるんか?」
母 「久しぶりにあんなに大きなヒル見たわ」
母 「さわろうとしたら、
   ○○○が『おばあちゃん、さわったらあかん!』と、叫びよったわ(笑)」
僕 「○○○、ヒルなんか知らんやろ~」
母 「そのあと、真っ暗になるまで、一生懸命洗ってくれたで」

  「『ポンプ詰まったら、鯉、死んでしまうで』っていうたら、
   ○○○が『あかんやろ!』とむきになってたで」
 
 ・・・

そんな会話だったけど、
孫に洗ってもらったことがうれしかったらしく、上機嫌だった。

ページにも残しているが、この池、僕の父が作ったもので、
鯉は、父が大切に飼っていたもの・・・
そのことを知っていて、おじいちゃん子だった○○○にとっては、
おそらく、おじいちゃんのことも思い出しながら掃除していたんだと思った。

そして、息子は今夜もサッカー友達の家にお泊りです。


今夜は、「東京タワー」から父のことを思い出した。

卒業式

2007-03-01 22:13:13 | 思い出
その日の朝は、雪だった。

 真っ白なグランドで、ラグビーボールを蹴って遊んだ。

        僕の高校卒業式の日の思い出です。


膝の痛みのこともあって、
サッカーから野球に転向して、
ひたすら、白球を追いかけた。
ダイビングキャッチが妙に気にいって、毎日飛びまくっていた。

なんと言っても、三年生の全国大会予選、
勝ち進んで、優勝して、全国大会に出場した。

初めて、彼女らしい彼女ができた。
そして、失恋もした。

        そんな高校生活。


今より、短気で、
今より、わがままで、
そんな僕だったけど、

        毎日、毎日が充実していて、本当に楽しかった。



昨日、息子の高校卒業式。

        そんなことを思い出した。

ある日の出来事

2007-01-16 23:42:37 | 思い出
朝、寝過ごした。
 いつもより10分寝過ごした。
 電車を1台遅らせても遅刻にはならないが、
 何となく意地になって、急いでいつもの電車に飛び乗った。
 コンタクトを入れ忘れたので今日は眼鏡(^0_0^)


土曜日、グランドでデジカメが壊れた。
 家に帰ると、叔母もラジカセが壊れた。と言う。
 時間は、夜の7時過ぎ、電気屋もカメラ屋も8時まで。
 またまた、意地になって車を走らせる。
 修理を出すだけでは納得出来ずに両方安物も購入した
 デジカメは単三電池。

翌日、ポッケに電池を入れてグランドに向かった。
 が、その電池が古かったのか、デジカメが動かない。
 諦めようか…とも思ったが、
 またまた意地になって試合の合間に車を走らせる。

夜、急に娘が証明写真がいると言う。
 HPの写真整理をしたかったが、先に証明写真を撮影、編集、印刷した。
 (デジカメ購入が役立った。)
 かなり、写真の写りにこだわったので時間がかかった。

そのあと、またまた変なところでも意地になって
 急いでHP更新(追加)をした。
 睡眠についたのは、夜中の2時だった。
 (ちなみに、勿論HP更新に期限はない。(笑))

    …意地でも前向き、そんな判断続けています。
               ((-.-;)クスッ…(^O^)アハハ!)


写真は、全く関係ありません。
今日のルーニーです。(^-^)ニコ

○○歳の誕生日

2007-01-12 23:10:25 | 思い出
○○年前の今日、僕は生まれた。

 その年は、すごく寒い冬だった。
 僕は、家で産婆さんにとりあげてもらったらしい。
 僕が、生まれた直後、お母さんの妹が、泊まりこみで世話をしてくれたらしいが、
 おむつを洗濯して干すと、すぐに『バリバリ』に凍ったらしい。

   そんな話を聞いたことがある。

誕生日の今日、
 僕の小さいころの写真を探してみた。
 探していたアルバムは、みつからなかったが、
 親子4人で撮った写真を見つけた。
 当然、父と母も若く、姉も小さかった。(当たり前!)

好きな歌

2006-10-16 21:47:52 | 思い出
この本 高校生のころ買いました。

ボロボロだけど、今でも使っています。

この本見て ギターを弾いて・・・

いろんなこと思い出します。(思い出す内容は、さておき・・・)

            (〃^×^)★あははははっ


この本、ラブソングばかりなんですが・・・

そんな中、仕事を終えて、帰り道、よく口ずさむ歌があるんです。

今日も 何となく口ずさんでいたので・・・


    「残 照」

 今日一日が終わりだと 西の空がため息ついた

 家路を急ぐ人の波 やすらぎ達が お出迎え

 ささやかだから 愛しくて

 ささやかだから 大好きで

 笑う事が 泣く事が 悩む事が 生きる事が




      家にたどり着いた。
      我が家にはルーニーしかいなかった。

      メールが届いた。
      娘と妻は 買い物に行っているようだった。
     
      さめたご飯を一人で食べた。


         ささやかだから 愛しくて

         ささやかだから 大好きで

         笑う事が 泣く事が 悩む事が 生きる事が



             まだ、誰も帰ってこない。

             今、ルーニーも 横で眠った。