昨日3日、AmazonよりSVBONY SV503鏡筒が届いた。2日に小物が届いていた。半世紀近くまえにビクセンの6cm屈折を買ってもらい、一時は夢中になったがその後冷めてしまった。昨年あたりからまた星空に興味が湧き、ビクセンのアスコット7×50の双眼鏡を買って、秋に星空ツアーに参加した。しかし、以前ブログに載せたが最悪の阿智村であった。それにめげずやっと天体望遠鏡を手に入れた。なんせど素人なので初心者向けの望遠鏡はと、YouTubeなどのを参考にしてビクセンのポルタII ED80Sfを買おうかと迷ったが、SVBONY社の製品はコスパに優れていてそうなのでこの写真の物に決めた。貧乏人の少ない小遣いを貯めて買うので、目一杯の物を買ったと思っている。休みの間に今すぐにでも出かけて覗いてみたいのだが、悲しいかなまだポルタⅡ経緯台が注文してるのだが入荷はひと月待ちといわれてしまった!う~ん悲しい😢今度は冷めてたまるか‼
今日は朝から恒例行事の餅つきをした。餅つきといっても機械でつくのである。今年は子供宅や縁者に配るため6升(約9㎏)ついた。もっとも、親父の亡くなる十数年前まで実家では、毎年3から4斗(60kg)の自家栽培のもち米を前日から水に漬けておき、翌日30日朝から庭に設置した竈で薪を燃やして釜の上に置いた蒸籠で蒸し、石臼と杵でぺったんぺったんと夕方までかかってついていた。大量の餅の内訳は、お供えやお飾り用の鏡餅、お雑煮用などの丸餅、かき餅(エビ、白ごま、青のり、ヨモギ、砂糖、うるち米の小米を混ぜたドヤ餅)は、昭和40年代初め頃までは年越し(旧正月)についてたものを12月30日に一緒につくようになった。これらの餅を我ら兄弟や親せきに配っていた。それと奈良県民のお雑煮に欠かせないきな粉の思い出がある。これも昭和40年代初め頃までのことだが、きな粉は祖父が自家栽培の大豆を炮烙と言ってすき鍋のような鉄製の鍋で竈で炒る(豆まきの豆のように)。そして、その炒った豆を天理の布留のほうで水車で粉に挽いてくれるところで粉にしてもらっていた。残念ながらその頃食べたきな粉を超える味の市販のきな粉に出会っていない。
奈良県の私の住むところは山下達郎「クリスマス・イブ」の歌詞さながらに雨が降っているが、夜更けを過ぎても雪にはならず上がるそうだ。この歳になるとクリスマスといっても普段と変わらずチキンが食卓を飾ることもなく、ケーキもなく、もちろんクリスマスプレゼントも孫にはあげたが、リターンは無かった。何とも寂しいクリスマスである。

さて、写真のLPレコードは私が買った唯一の達郎のレコードである。車で鳴らすため、女子ウケを狙い買った。当時80年代は、お茶付きタクシー(女子のアシになり喫茶店でお茶した後安全に送り届ける)を卒業するため努力していたのだが・・・。メリークリスマス!

予報通り今日は冬本番の寒さとなった。実家の白侘助(表題写真)はサザンカ並みに早く咲き、ツバキのくせにもう満開近くになっている。そのツバキに朝メジロがちょくちょく花の蜜を吸いにやって来る。よくグループでやって来て、花から花へと頭を花弁中央の筒しべに差し入れ、くちばしで器用に雌しべから蜜を吸っている。しばらくすると、ヒヨドリがやってきてキーッと鳴きながらメジロを追い払ってしまう。ヒヨドリは、実家の庭をなわばりにしているのか、他の鳥が来ても追い払ってしまう意地悪な鳥だ。車内からのスマホ写真なので上手く写ってないが、前掲のツバキに来たメジロの写真を載せておく。


注:写真のレイアウトも思い通りにいかず下手くそ!万年初心者ゆえご勘弁を。
1986年昭和61年6月中頃、日産ダットサントラック4×4を購入して早速、慣らし運転を兼ねて、敦賀から北海道小樽に着くカーフェリーに車を乗せて、道東を車で一人旅をした。
目的の一つが知床半島の温泉に入ること!知床半島にて最初に向かった温泉は、滝つぼが温泉になっているカムイワッカの滝。当時は車を止めてから滝までだいぶ歩いた記憶がある不便な所ではあったが、先客に数人の男女グループがいて誰も入浴しておらず、自分一人が裸になる勇気もなく入浴を断念。翌日半島東岸中間あたりにあるセセキ温泉に到着。上の写真の右下に写っている(切れていた)石で丸く囲って湯舟らしきものが一つあるだけで、道端にセセキ温泉と小さな看板一つあるだけで、脱衣所もなく先客もおらず、まさに野趣あふれる海岸縁の温泉であった。近くまで車を止められたが、温泉の周囲は昆布を広げて並べる作業(上写真左下に昆布が写っている。羅臼昆布で有名)の真っ最中で、ものすごく躊躇したが旅の恥は搔き捨てと、トランクス一丁(さすがに全裸は無理)になって温泉に浸かった。湯温はぬるめで海水を温めただけ見たいな湯で、その時の北海道は低温が続いていて十分浸かったつもりでも寒かった記憶がある。続いてもう少し半島先に向かって走った所に相泊温泉というのが同じく海岸にあるのだが、湯舟らしきものが砂利に埋まり浸かれる所は無かったが、近くの海水はほんのりと温かかった。
(写真、相泊温泉と私)私が行った1986年の6月北海道は、梅雨がないと言われていたが、滞在していた7日間で晴れたのは1日で、曇り又は雨ばかりで寒い日が続いた。夏服ばかり持って行って寒かった記憶があり、旭川の繁華街の夜をサマーセーターで歩いているとジロジロ見られ、入った居酒屋では隣客の女子から「観光客の方ですね、寒くはないですか?」と聞かれた。すれ違う人は冬服で、ダウンを着てる人も結構いてて、吐く息が白い中夏服の自分はまさに浮いていた‼


羅臼のヒカリゴケの洞窟とマイカー(右)