まっしゃんの雑事記

 日々の興味のある出来事などを、気ままに書いていきたい。
特に、郷土史には力を入れたい。

五月雨

2020年06月30日 | 日記
今日は朝より雨です。梅雨後半で予報によると近畿も南部を中心にかなりの雨量になるとのこと。注意されたしです。五月雨や大河を前に家二軒(蕪村)まさに梅雨末期の豪雨で、河幅いっぱいに広がった水に、家が飲みこまれそうな様子を詠んだ句でしょう。さて、今日は地名と災害について書いてみます。
2,川西町の地名と災害
川西町は四方を川に囲まれた地形で、大和川によって排水された大古の奈良盆地の湖の名残で大昔は湿地帯でした。それ故に水との闘いの歴史でした。出典本の名前が不明で書けませんが災害の危険がある地名に使われる漢字として「崎」とか「﨑」は川の氾濫するところの自然堤防の高まりに名付けられることが多いそうです。同じく町内に梅戸という地名がありますが「梅」という字も「埋まる」という字の当て字で、となりの井戸という地区の「戸」というは「門」と同じく水の出口をあらわし共に水害の危険がある地域に付けられている事が多いそうです。昔、川西は大和川という暴れ川を抱えてたため「久度(王寺)と吐田は水浸所、嫁はやっても荷はやるな」と言われてました。その吐田という地名の由来も、私は「水を吐く」からの由来ではないかと思います。以上地名と災害の関係を述べました。
 いつか機会があれば町内の過去の水害の話や一転「ひやけ」干ばつの話をかきます。ではまた。

初ブログ!

2020年06月28日 | 日記
ようやく初ブログをUPすることができました。かなり以前よりUPしたいと思っていましたが、スマホに替えたのは二か月前というIT難民に近い存在でしたから中々勇気?が出ませんでした。今日一発奮起して初投稿しました。さて、これからは日々気になった事プラス郷土史(磯城郡川西町)を折に触れて載せていきたいと思います。

1,コロナウイルス禍考 今年に入ってから世間はコロナウイルスで一色と言っていいほど毎日耳にしそして今も関わっています。昔もいわゆる伝染病との闘いがありました。その痕跡を過去の地図より見つけます。避病院という言葉を聞いた事ないでしょうか。法定伝染病の患者を隔離、収容し治療に当たった病院です。明治の中頃より設置されたようで、奈良県においては明治後期の地図から避病院の地図記号がちらほらと載せられてきます。郷土川西町においては、明治後期の地図には載ってませんが大正十一年の地図には載せられています。この頃になると全国的に設置されたようで、大体が人里離れた山麗や田園の辺地に置かれたようです。川西町では現在の水道局辺りにあったようで、以前聞いた話によると、結核患者が収容されていたとの事です。(参考地図)各地にあったこれらの病院は、戦後解消され、避病と言う言葉も死語となりました。但し、伝染病患者やそれに関わる施設や職員に対しての差別意識は今も昔も変わりません。悲しい事です。