まっすんのアワセミソ

フィリピンにあるCFF『子どもの家』でインターンをしていたまっすんのブログ。

バーミー。

2006-08-14 04:45:07 | Weblog
バーミー。
お兄ちゃんのダドと一緒に『子どもの家』に暮らしてもう数年が経ちます。
現在小学4年生。

『子どもの家』に来た当初はちっちゃくかわいらしかったので、
タガログ語で“ちっちゃなねずみ”の意味を持つ「ブリリット」と呼ばれていました。
でも、最近はもう僕だっておっきくなったぞ!!!
ってことで本名の「バーミー」と呼ばれるようになりました☆

でも、私たちからすればまだまだちっちゃくてかわいらしいバーミー。
自分の顔の3倍くらいはあるんじゃないかと思われる
バスケットボールを全身使ってピョーンとゴールへ!
それがまたすっごくかわいいんだけど、上手なんだよな~。

大好きなお兄ちゃんダドの愛情を全身で受け止め、
またその愛情をお兄ちゃん、そして他の人たちにも分け与えてくれる、
あったかいあったかーいバーミーです。

i miss you バーミー


せっかくの写真がちっこくなっちゃうー。
なぜに???

夜空。

2006-05-03 01:46:15 | Weblog
今日の夜空は星が結構きれいに見えた。
もちろんフィリピン・スワルとは比べものにならないけど…。
この前も自転車に乗りながら夜空を見上げたら星が見えた。

星を見上げていつも思い出すのはケルビン。
いつも笑顔のケルビン。
その笑顔の裏側で、実は人一倍寂しがり屋さんのケルビン。
だからこそ、余計彼のことがイトオシイ。


-ある日の晩、ケルビンと夜空を見上げていた-

ケルビン『あの星がぼくの星だよ』
と、数ある星の中からとても輝く星を指差した。

ケルビン『アテ(お姉さん)の星はどの星?』

私『じゃぁ、あのキラキラした星が良いな』

ケルビン『それじゃぁ、僕の星と遠いいよ』

私『そうだね。ケルビンの近くが良いからあっちの星に変えちゃお』


今すぐにでもスワルに飛んで行ってケルビンを抱きしめたい。
インターンも終盤になった頃、ケルビンが私のことを『マミー』と呼ぶことがあった。
とてつもなく切なかった。
母・父の愛情を求めているケルビン。
私は母親になることは出来ない。。。

でも、だからこそ私は私に出来ることをするんだ。
ケルビンに、「子どもの家」の子どもたちに絶対また会いに行くんだ。
そしてたっくさんの温もりを込めて、子どもたちを抱きしめたい。
子どもたちの可能性とハピネスを信じて。。。

そして、より子どもたちを皆を愛せる様な人間になれるよう自分も成長し続けたい。

『子どもの家』の子どもたち、フィリピンで出会った人々、物事、
すべてが私の大切な大切な宝物。

←ケルビン&ジェネロス@ジョリビー

祝☆ジャムジャム昇給!

2006-04-28 19:12:32 | Weblog
38・39回キャンプに参加してくれたジャムジャム。
以前、80ペソマイナス交通費でスワルタウンのパン屋さんでほぼ毎日働いていた。

そして、この度というか1,2ヶ月前ですがなんと昇給しました!
『140ぺソ』に!!
このことを聞いたとき、私は大喜び。

一生懸命、家族のために働いてる姿を知っていたから。
勉強したい、だけど家族のために働いていることを知っていたから。
時たま見せる切なそうな表情を知っていたから。
彼女の人を想うあたたかい心を知っているから。

そんな彼女の昇給報告。ほんとに嬉しかった。

『140ペソ』皆さんはどう思いますか?
日本円にして300円ほど。
私たちのバイトの『時給』にも届かない値段だよね…。
何なんだろう、この格差。。。
何なんだろうな。。。

皆様にパワーを。

2006-04-21 12:03:31 | Weblog
わーい、飴玉おいしー。
そんなハッピーな時間を激写!!!

この日、あることがあって私は子どもたちのあたたかいピュアな心と
パワーにとってもとっても感動したのでした。

P.S.昨晩だか今朝だかに、我らがサース(犬)が赤ちゃんを6匹程産んだらしー。
おめでとーサース。私は君が女の子なことを忘れていた。ごめんよ、サース。



←『サーズ』じゃないよ『サース』だよ。

帰国しました。-感謝-

2006-04-13 23:39:34 | Weblog
大分更新してませんでした。申し訳ないです。

4月3日夜、約8ヶ月ぶりに日本に帰って来ました。
久しぶりの日本、寒くてびっくりしました。
でも、その冷たい空気の心地よさを凍えながらも感じています。
日本でもきれいな空、輝く光がたくさん見られるんですね。

日本に帰ること、帰ったらどんな風に感じるのか全然想像つかなかったけど、
実際帰って来てみて、案外自然と日本の生活に馴染む自分と、
時にスワルの空気の中に戻る自分とが共存している気がします。
(日本の消費社会っぷりがこわいです


『感謝』

私の決意を大して文句も言わず受け入れ、でもずっと心配してくれていた家族、
私がフィリピンに行っている間に入院しちゃったけど、生きて待ってくれていた祖母、
距離はちょっと離れてたけど、日本から応援してくれていた友人たち、
私にこの機会を与えてくれたCFF、

フィリピンで出会ったたくさんの人たち、
私をたくさんたくさんしあわせにしてくれたスワルのみんな、

それから、スワルに行くきっかけと無限の愛情を与えてくれたアテアキ、
いつもいつも忙しいのに支えてくれたクヤマサ、

なかなか心を開けない私を最後まで支えてくれたCFFフィリピンのスタッフの皆、
私の大切な大切な『子どもの家』の子どもたち、
ここには書ききれないけど、私にパワーを与えてくれたたくさんの人たち、

私に出会ってくれたみんなみーんな、そして起こりえたすべての物事に
心より感謝します。
『ありがとう』では伝えきれない『ありがとう』を送ります。
みんなありがとう、そして、みんな大好き!!!

そして、私がこの自分に生まれ、悩みながらも、たくさんの可能性と愛情、感動に恵まれ、
今こうして感謝できる人生を送れていることにも感謝したい。
スワルに行く決断をしてくれた自分にも『ありがとう』を。。。


この8ヶ月、たくさんたくさん苦しかった。
でもその分、たくさんたくさんしあわせも感じた。
そして、この8ヶ月が私という人間をより私らしくしてくれたと思う。

地球の美しさを全身で感じ、
多くの人たちの強さ、弱さ、あたたかさ、素晴らしさに触れることが出来た。

いつまでもスワルのみんなとつながり続けたい。
それが私に出来る感謝を表すひとつの方法だと思うから。

そしてこれからもより輝く自分、みんなとのハピネスを探し続けたい。

みんな本当にありがとう。。。



エドウィン。

2006-01-30 05:47:07 | Weblog
エドウィン、現在19歳。バキワン村に住む。
新しいキッチンスタッフとしてCFFで働いてくれている。

高校卒業後、勉強を続けたかったけれど経済事情で叶わず。
その後、ダグーパンの食堂で一日50ペソ(約100円)で働いたり、
バキワンで夜から朝にかけて魚を採って、一日30ペソ(約60円)稼いだり
していたらしい。

ビジネスマンになりたいという彼。
なぜ?と聞くと、
『ビジネスマンになって自分の様にお金がなくて勉強を続けられない子たちを
助けたいんだ』。

彼のその想いが私の心に強く響いた。

彼は、自分自身まだ学業を続けたいという願いが叶っていないにも関わらず、
すでに他の人たちのことを考えている、想っている。

そんな彼に照らされて、自分自身が映し出される。
何の疑問もなく当たり前のように学業を続けられた自分。
(親に感謝感謝感謝。)
そして、今ここにいる自分。
自分に出来ること、たくさんある。
今までの人生に感謝しつつ、今こそ動くときだ。

私たちに出来ること、たくさんたくさんたくさんあるよね。

グラグラ。

2006-01-30 05:45:42 | Weblog
自分の弱さをしっかりと見つめ受けとめて生きていきたい。
それが、私という人間を底から強くしてくれると思うから。

心をたくさんゆらがせながら、自分を見つめていこう。
グラグラと。



流れ。

2006-01-30 05:45:02 | Weblog
日本には四季があって、春には花が咲き、夏には緑が生い茂り、
秋には黄色や赤に色を染め、枯れ葉を落とし、
冬には幹が力強く生き続ける。

フィリピン、外を掃き掃除していてふと気が付いた。
葉っぱが色を黄や赤茶に変化し、枯れ葉となり、落ち葉になっていることを。
日本の四季のようにわかりやすい変化ではないけれど、
この南国フィリピンの乾季雨季だけではない、細やかな季節の移り変わり。

みんな、この細やかな移り変わりを肌に感じて生きているのだろうな。

ゆっくりゆっくりここの時間も流れているんだ。
木々も犬たちも魚も空も星も、そして人も。

みんなみんな時の流れの中に生きているんだね。
日々の変化を味わいながら。。。


Jham-Jham<ジャムジャム>

2006-01-19 18:20:02 | Weblog
昨年夏にCFFワークキャンプに参加してくれた
ジャムジャム、現在17歳。

日々、スワルタウンにあるパン屋さんで
週6日、朝から夕方まで
一日80ペソ<マイナス交通費12ペソ-約160円マイナス24円>
で一生懸命働いている。

高校を卒業した後、大学進学が希望であったものの
彼女の家庭はフィリピンでの一般家庭。
学費を家計でまかなうのは難しく、
現在、奨学金を受けて大学進学出来ることを
願っている。

そんな彼女、私の誕生日にわざわざ仕事を休み、
素敵なギフトと手紙を持って私を訪ねてくれた。

私は彼女のそんなひたむきさが大好き。
人間の欲を感じさせない純粋な想いが大好き。
時に見せるせつなそうな顔が胸に突き刺さる。

そんな彼女、手紙でこんなことを伝えてくれた。

『必要な時、一緒に居てくれてありがとう』
『知ってる?一緒にいると心がやすまるしはっぴーなんだ』
『いつまでもあなたは私の一部だよ』

もちろんわたしはこの手紙を読んで涙。
彼女が『ともだち』をテーマに集めてくれた
曲を聴きながら。

私は彼女に出会えてしあわせだ。
彼女にこんなに想われてしあわせだ。

ここフィリピンにも、
私の特別な場所・カンボジアにも、
ここなしでは今の私は絶対存在しない日本にも、
たくさんの私を想ってくれている人たちがいる。

なんてしあわせものなんだろう。
私もみんなが私を想ってくれる様に、
みんなを想える人でありたい。

だって、こんなに心が満たされるから。。。
誰もが私と同じようなしあわせを感じられますように。

ジャムジャム、ありがとう。
いつまでもいつまでもいつまでもたいせつな人だよ。


宇宙。

2006-01-19 17:02:45 | Weblog
朝起きて外に出てみる。

右の地球には太陽のあったかさが地球を包み始めている。

ふと、左の地球を見てみる。
そこには力強く輝く月の姿が。
これからその美しい輝きとともに月はどこを照らしに行くのだろう。

太陽と月の共存がおりなす幻想は
私に新たな宇宙の感動と生きていることのありがたみを
与えてくれた。

また新たな宇宙を感じることができた。
ありがたや。。。


子どもたちの成長-マルビン編

2006-01-19 16:24:07 | Weblog
マルビン、本名Marvin J.Santos
現在8歳、小学校2年生。
あと数ヶ月でCFFに来て1年が経つ。

皆よりご飯食べるのは遅いけど、頑張ってたくさん食べて
最近身長も伸びて来ました。
その動きのかわいさ、皆をしあわせにする愛嬌、
ちょっと不思議ちゃんで皆を笑わせてくれるマルビン。
とにかくかわいい。かわいくってたまらない。

そんなマルビン、最近顔を真っ赤にして涙を流し声を上げて
泣く姿をたまに見かけます。

初めてその姿を見たとき、驚きとともに
そんなマルビンを見られて私は嬉しかった。

今までなら、他の子にどんなにちょっかい出されようと
ほんの少しぐずるだけで涙を見せることなく、
すぐ笑顔に戻っていたマルビン。

そんなマルビンが感情を表に出して涙を見せてくれた。
この子の世界が新たに広がった!

虐待を受けていたマルビン。
自分を守るために、母がなるべく怒る必要のないように…、
きっと自分の感情を出すという本能を
しまいこんでいたのだろうと思う。

そんなマルビンがここでの生活、自然との触れあい、
人の温もりを感じること、
キャンパーたちやスタッフに愛されること、
他の子どもたちと共に過ごしたりする中で
『泣く』という人間の本能を取り戻してきたのだろう。

嬉しかった。
これからもたくさんたくさん笑って泣いて喜んで
つらいことに出会いながらも、
人の温もりをたくさん感じて、
生きる力強さを持ち続け、
そしていつまでも人にしあわせをふりまいて欲しい。

何よりも、マルビン自身が『しあわせだ』と感じられる
人生を送れますように。。。

I LOVE YOU マルビン。



スペシャルな日。

2006-01-19 16:16:07 | Weblog
1月17日、この日は私にとって、
私を想ってくれている人たちにとってとてもスペシャルな日。
1月17日、私の誕生日。

この日の誕生日は今まで生きてきた中で一番しあわせな誕生日だったかもしれない。

朝、同じ誕生日のメアリー(高校に通うためセンターにステイしている元クライエント)に『happy birthday』を伝えると、
私とメアリーが同じ誕生日だと知っている
CFFの子どもたちがジープニーの中から
『happy birthday』の声を私に浴びせてくれた。

単純にしあわせだった。
心がスゥッとした。

そして、学校に行く途中、15日が誕生日だった
アテ・メイ(クヤ・ルベンの奥さん)にプレゼントを渡しに。
話の流れで今日が私の誕生日だと伝える。

小学校に行ってから、子どもたちにちょっと誕生日をアピってみた。
子どもたちが私のためにHappy birthdayと私の教えた歌を笑顔で歌ってくれた。

単純に嬉しかった。

そして、学校から帰る途中、
アテ・メイのおうちから娘さんのクラレンスとシェイラが
『happy birthday ate massun』とさけびながら満面の笑みで飛びついて来た。

とてつもなくかわいかった。

そして、アテ・メイがプレゼントをくれた。
『Lord is always with you wherever you』と書かれた
鉛筆立て。

アテ・メイのその気持ちがすごく嬉しかった。
アテ・メイの優しい笑顔に包まれて嬉しすぎた。
涙が溢れてきそうだった。

夜、日本の母とCFFの事務所から『happy birthday』の電話。
私を生んでくれ、この世で一番私を想ってくれている母からの
『お誕生日おめでとう』。
日本から私を想ってくれている人たちからの
『お誕生日おめでとう』。

わざわざ電話をくれたことが単純に嬉しかった。
また涙がじわじわした。

夜はスパゲッティーとから揚げ、ケーキで私とメアリーの
誕生日を祝ってくれた。
子どもたちがHappy birthdayを歌ってくれた。



まためちゃくちゃしあわせ感じた。
誕生日ってこんなに嬉しいもんだったけ、と
思うくらい嬉しい一日となった。

『誕生日』自分のスペシャルな日も私の大切な人たちのスペシャルな日も
これからはもっとしあわせな日にしたいと思った。
心のこもった『happy birthday』を伝えられるようになろう。
『誕生日』、この世にみんなが自分として生を授かった
大切な大切な大切な日。

こんなしあわせを感じさせてくれたみんな、すべてのものに
心から感謝します。

ありがとう。

めりめりくりすます。

2005-12-27 16:27:23 | Weblog
皆さん、クリスマスいかがお過ごしだったでしょうか?
せっかくなので、こちらのクリスマスの様子をお届けします。

12月を過ぎた頃からだったでしょうか、
『メリークリスマス』と言われ始めたのは。
そして学校、コミュニティー、養殖所などでパーティー
(ほとんどがダンスパーティー)が開かれていました。

そして私が一番驚いた&楽しんじゃったのが
25日になった時(12時am)。

なぜか24日の夜中に料理をしていると思ったら、
25日になったとたん、村からは花火の音が聞こえ、
「子どもの家」では、熟睡中の子どもたちを起こしまくり、
クリスマスのハイテンションな音楽の爆音をバックに
眠い目をこすりながら、ソーセージ・パンシット(ビーフンの炒め物)・
肉などのご馳走を皆で食べました。

でも、もちろん子どもたちは眠いわけで、
置いてあったゴザの上に寝転ぶ子続出。
そりゃ、眠いよね(笑)。

村の青年たちもクリスマスを祝うために
「今日(24日)は寝ないで12時まで待つんだ」と言ってました。
クリスマスの数日前から、毎日朝3時半から(たしか)のミサに
出席してるっていう村の子もいました。

クリスマスが終わった今は、New Yearを祝う
ダンスパーティーが村のあちらこちらで開かれています。
お決まりのダンスナンバーやチャチャの音楽が
CFFの山まで聞こえてきます。
愉快だね◎

人。

2005-12-27 15:46:20 | Weblog
『苦しい』

私が苦しいのなら、あの人やあの人の苦しみはどんなものなのか。
少しでも心を寄り添えることが出来るだろうか。

決して苦しみをベースに生きるわけではない。
でも、自分が苦しみを経験することで
人の苦しみを少しでも感じられるようになるのならば、
何だか私は嬉しく思う。

そんなこと言っておきながら、
出来るだけ早くこの苦しみを乗り越えたいのだけど(笑)。

心のうちをシェアできないってほんとに苦しいよー。
皆は大丈夫?
自分の中にいろいろため込んでないかい?
一人で抱えこまなくって良いんだよ。
心の耳を傾けてくれる人が必ず居るから。
人は一人では弱くっても、
二人になれば、三人四人…になれば強いはず。

出来る出来る、大丈夫だよ。
一歩踏み出せば、私の世界があなたの世界が変わってくるよ。

って、自分に話しかけてみるんだ



生きること。

2005-12-19 15:54:33 | Weblog
『愛する』って一体何だろう。
私は人を、この地球を本当に愛することが出来るだろうか。

『愛する』って何なんだろう。
わからない。
思いやりとかそういう言葉だけでは表せない、
はかり知れないものだってことは感じられる。
だけど、最近何だか思う。
ここの子どもたちを、人たちを、世界中の人々を
心の底から愛したいって。
嘘、偽りではない、本当の愛で。

そんな人間になれると自分を信じて…、
自分の中にゆるぎない何かが生まれてくれる日を信じて…。