東方司令部の中は、いつになく静かだった。
ハボックの荷物が片付けられ、何も置かれていない机は、妙に広く見える。
隣の席のブレダはいまだに信じられない気がしていた。
軍人が怪我を負って辞めた。東方司令部の中で、そんなことは日常茶飯事だ。
自分の部下だって、ハボックの部下だって、怪我だけじゃ済まずに死んだ奴だっている。
司令部なんかの事務仕事なんか嫌いだ、現場がいいと言っていたハボック。女運と士官学校の頃の成績は悪かったが、戦闘実技は抜群だった。学校で繰り返される机上の理論よりも、奴は実践向けだった。それが、リタイアだと?
一人将校が減った分の代わりがすぐに配属されるわけでもなく、ハボックの片付けるべき書類は他の人間に配分される。その一番のあおりを食らったのがブレダだった。ハボックが一時休むだけなら後で奢れよとでも言って、増えた仕事も何とかやっていける。しかし、ハボックの席は空白になってしまうのだ。
しかしブレダは自分の仕事が増えたことというよりも、士官学校からの同期だったハボックが、あんな形で退役してしまったことにやり場のない憤りを感じていた。
「中尉、この書類の数字は誰が確認したのかね?」
マスタング大佐がホークアイ中尉に声をかけた。
マスタングもあの戦いで深手を負った。医者にはまだ安静にしていろと言われているはずだが、強引に退院してきて、仕事を片付けている。正気の沙汰ではない勢いで仕事をし、中央図書館から書籍を取り寄せ、ここ数日は家にも帰っていない様子だった。
彼女は席を立って、マスタングの手元を覗き込む。
「・・・間違っていますね、直します」
「馬鹿ハボックめ。片付けていった書類も使えん」
マスタングがつぶやいた。その声には怒りが込められている。ホークアイはその声を完全に無視し、書類を修正していた。ブレダは自分が怒られたわけでもないのに、いたたまれない気持ちになった。それはこの部屋で無言で仕事をしているファルマンとフュリーも同じだろう。
司令部の雰囲気がどんどん重くなっていくのはマスタングのせいだったといっても過言ではない。ヒューズ准将が亡くなった直後も、ピリピリした空気を漂わせながら、見たことのないくらいの集中力で仕事を片付けていた。あの時も、周囲の人間はマスタングが倒れはしないかと心配したが、いつの間にかその刺々しさは緩和されていった。声をかけるのもはばかられるような雰囲気のマスタングを、どれだけ仕事が遅くなっても、かならずハボックが家まで送り届けていた。
そしてホムンクルスとの対決・・・ハボックのリタイア。口には出さなかったが、マスタングはハボックを頼りにしてたのだ。
ホークアイが書類を確認し終え、マスタングへ手渡した。
「大佐、顔色がすぐれませんが、大丈夫ですか」
「いいわけないだろう。そう簡単にあの傷が治るか」
開き直ったようにマスタングは言ったが、腹部の傷が痛むからか声に張りはない。
「休んでください。医務室までお連れします」
「ここで二人も人が減ったら仕事が回らんだろう」
「二人ともサボるのが上手でしたから、大して変わりません。なんなら屋上でも、中庭でもお好きなところでお休みください」
いつにも増して冷たい様子で彼女は言った。
マスタングは仕事を抜け出して屋上や中庭でよく休んでいた。どこかでホークアイが痺れを切らし、ハボックが探しに立つ。そんな日々が日常だったのが、随分と前のことのようだった。今となってはそんな余裕はどこにもなかった。
バターンッ!!
派手な音がして、立ち上がろうとしたマスタングが倒れた。
「大佐!」
慌ててホークアイが机の向こう側に回る。他の者たちも駆け寄った。マスタングは腹部を手で庇うようにしながら気を失っていた。ホークアイがその手を除け、軍服の上着をめくると、白いシャツにはかすかに血がにじんでいた。
「フュリー、軍医殿を呼んできて」
「イエス・マム!」
フュリーが慌てて部屋からすっ飛んで行く。ホークアイはブレダとファルマンの顔を見比べた。
三人ともここにハボックがいたらマスタングを一人で抱えて医務室まで走っていくだろうなと思う。
「二人で大佐を隣の部屋のソファーに運んでもらえる?」
「・・・そうっすね」
ブレダが肩をすくめた。見たところ傷が開いてしまったというような緊急事態ではなさそうだった。本来なら安静にしていなければならぬはずが、健康体でも過労の域に達する仕事をこなしていれば倒れても不思議はない。とりあえず崩れ落ちた姿勢のまま床に転がしておくのはよくないだろう。
ブレダとファルマンは、ホークアイの指示通りにマスタングを運んだ。ホークアイが濡らしたタオルを持ってきて、マスタングの額を冷やす。どうやら発熱もしているらしい。
「大丈夫ですかねぇ、この人」
思わずブレダはため息混じりに言った。
「私たちが手伝えることは限られてるものね。とりあえず仕事に戻って頂戴。私はここでやっているから」
ホークアイは自分の書類とマスタングの席から急ぎの書類を持ってきて、マスタングの寝ているソファーの向かいで仕事を始めた。
しばらくしてフュリーが連れてきた軍医は、貧血と診断して、包帯を替え注射して帰っていった。あまりに貧血がひどいようなら輸血に連れて来るようにとホークアイに念を押した。
3時間ほどしてマスタングが眼を覚ました。もうすっかり陽は落ちて、日勤のホークアイの勤務時間は過ぎていた。向かいで身じろぎする様子に、ホークアイは顔を上げた。
「気づかれましたか。お水、いかがですか」
マスタングは小さくうなづいた。彼女は立ち上がって、氷水を満たしたコップを持ってくる。半身を起こしたマスタングの口元にコップを近づけ、水を飲ませてやる。彼も少し落ち着いたようだ。顔色は幾分マシになっている。
「・・・いま手を離したら・・・見えなくなる気が・・・したんだ」
ぽつりとマスタングが言う。
言葉の意味を取りあぐね、ホークアイは彼を見た。手を離したくないものが、ハボックを差すのか未来を差すのか。何を言っていいのか、言うべきなのか。ホークアイには分からなかった。
「私は大丈夫だ。いま無理しなかったら、いつするんだ。大丈夫、大丈夫さ。中尉もいてくれるんだろう?」
マスタングはホークアイを安心させるかのように、まだ少し青ざめた顔のままで自信ありげに笑って見せた。こんな倒れるくらい具合が悪いのに、この人はどうしてこうなんだろう。ホークアイはそっと眼をそらした。
「・・・・・・イエス・サー」
ついていくなんて、ずっと前に決めたことだった。
「せつなすぎる」御題より
配布元様:Unskillful 香雲様
ハボックの荷物が片付けられ、何も置かれていない机は、妙に広く見える。
隣の席のブレダはいまだに信じられない気がしていた。
軍人が怪我を負って辞めた。東方司令部の中で、そんなことは日常茶飯事だ。
自分の部下だって、ハボックの部下だって、怪我だけじゃ済まずに死んだ奴だっている。
司令部なんかの事務仕事なんか嫌いだ、現場がいいと言っていたハボック。女運と士官学校の頃の成績は悪かったが、戦闘実技は抜群だった。学校で繰り返される机上の理論よりも、奴は実践向けだった。それが、リタイアだと?
一人将校が減った分の代わりがすぐに配属されるわけでもなく、ハボックの片付けるべき書類は他の人間に配分される。その一番のあおりを食らったのがブレダだった。ハボックが一時休むだけなら後で奢れよとでも言って、増えた仕事も何とかやっていける。しかし、ハボックの席は空白になってしまうのだ。
しかしブレダは自分の仕事が増えたことというよりも、士官学校からの同期だったハボックが、あんな形で退役してしまったことにやり場のない憤りを感じていた。
「中尉、この書類の数字は誰が確認したのかね?」
マスタング大佐がホークアイ中尉に声をかけた。
マスタングもあの戦いで深手を負った。医者にはまだ安静にしていろと言われているはずだが、強引に退院してきて、仕事を片付けている。正気の沙汰ではない勢いで仕事をし、中央図書館から書籍を取り寄せ、ここ数日は家にも帰っていない様子だった。
彼女は席を立って、マスタングの手元を覗き込む。
「・・・間違っていますね、直します」
「馬鹿ハボックめ。片付けていった書類も使えん」
マスタングがつぶやいた。その声には怒りが込められている。ホークアイはその声を完全に無視し、書類を修正していた。ブレダは自分が怒られたわけでもないのに、いたたまれない気持ちになった。それはこの部屋で無言で仕事をしているファルマンとフュリーも同じだろう。
司令部の雰囲気がどんどん重くなっていくのはマスタングのせいだったといっても過言ではない。ヒューズ准将が亡くなった直後も、ピリピリした空気を漂わせながら、見たことのないくらいの集中力で仕事を片付けていた。あの時も、周囲の人間はマスタングが倒れはしないかと心配したが、いつの間にかその刺々しさは緩和されていった。声をかけるのもはばかられるような雰囲気のマスタングを、どれだけ仕事が遅くなっても、かならずハボックが家まで送り届けていた。
そしてホムンクルスとの対決・・・ハボックのリタイア。口には出さなかったが、マスタングはハボックを頼りにしてたのだ。
ホークアイが書類を確認し終え、マスタングへ手渡した。
「大佐、顔色がすぐれませんが、大丈夫ですか」
「いいわけないだろう。そう簡単にあの傷が治るか」
開き直ったようにマスタングは言ったが、腹部の傷が痛むからか声に張りはない。
「休んでください。医務室までお連れします」
「ここで二人も人が減ったら仕事が回らんだろう」
「二人ともサボるのが上手でしたから、大して変わりません。なんなら屋上でも、中庭でもお好きなところでお休みください」
いつにも増して冷たい様子で彼女は言った。
マスタングは仕事を抜け出して屋上や中庭でよく休んでいた。どこかでホークアイが痺れを切らし、ハボックが探しに立つ。そんな日々が日常だったのが、随分と前のことのようだった。今となってはそんな余裕はどこにもなかった。
バターンッ!!
派手な音がして、立ち上がろうとしたマスタングが倒れた。
「大佐!」
慌ててホークアイが机の向こう側に回る。他の者たちも駆け寄った。マスタングは腹部を手で庇うようにしながら気を失っていた。ホークアイがその手を除け、軍服の上着をめくると、白いシャツにはかすかに血がにじんでいた。
「フュリー、軍医殿を呼んできて」
「イエス・マム!」
フュリーが慌てて部屋からすっ飛んで行く。ホークアイはブレダとファルマンの顔を見比べた。
三人ともここにハボックがいたらマスタングを一人で抱えて医務室まで走っていくだろうなと思う。
「二人で大佐を隣の部屋のソファーに運んでもらえる?」
「・・・そうっすね」
ブレダが肩をすくめた。見たところ傷が開いてしまったというような緊急事態ではなさそうだった。本来なら安静にしていなければならぬはずが、健康体でも過労の域に達する仕事をこなしていれば倒れても不思議はない。とりあえず崩れ落ちた姿勢のまま床に転がしておくのはよくないだろう。
ブレダとファルマンは、ホークアイの指示通りにマスタングを運んだ。ホークアイが濡らしたタオルを持ってきて、マスタングの額を冷やす。どうやら発熱もしているらしい。
「大丈夫ですかねぇ、この人」
思わずブレダはため息混じりに言った。
「私たちが手伝えることは限られてるものね。とりあえず仕事に戻って頂戴。私はここでやっているから」
ホークアイは自分の書類とマスタングの席から急ぎの書類を持ってきて、マスタングの寝ているソファーの向かいで仕事を始めた。
しばらくしてフュリーが連れてきた軍医は、貧血と診断して、包帯を替え注射して帰っていった。あまりに貧血がひどいようなら輸血に連れて来るようにとホークアイに念を押した。
3時間ほどしてマスタングが眼を覚ました。もうすっかり陽は落ちて、日勤のホークアイの勤務時間は過ぎていた。向かいで身じろぎする様子に、ホークアイは顔を上げた。
「気づかれましたか。お水、いかがですか」
マスタングは小さくうなづいた。彼女は立ち上がって、氷水を満たしたコップを持ってくる。半身を起こしたマスタングの口元にコップを近づけ、水を飲ませてやる。彼も少し落ち着いたようだ。顔色は幾分マシになっている。
「・・・いま手を離したら・・・見えなくなる気が・・・したんだ」
ぽつりとマスタングが言う。
言葉の意味を取りあぐね、ホークアイは彼を見た。手を離したくないものが、ハボックを差すのか未来を差すのか。何を言っていいのか、言うべきなのか。ホークアイには分からなかった。
「私は大丈夫だ。いま無理しなかったら、いつするんだ。大丈夫、大丈夫さ。中尉もいてくれるんだろう?」
マスタングはホークアイを安心させるかのように、まだ少し青ざめた顔のままで自信ありげに笑って見せた。こんな倒れるくらい具合が悪いのに、この人はどうしてこうなんだろう。ホークアイはそっと眼をそらした。
「・・・・・・イエス・サー」
ついていくなんて、ずっと前に決めたことだった。
「せつなすぎる」御題より
配布元様:Unskillful 香雲様
特にこの話が一番好きです。私もオリジナルストーリーを書いております。私が書いているのは焔の錬金術師の過去です。かなり波乱万丈ですが、、、、。
しかし、一回で完結でこんなよく書けるとは!自分はかなり長くなるので(もう40回程になりまして、、、。)本当に羨ましいです!
あ、私のブログでの大佐の過去のタイトルは ある医師の日記~7年間の記憶~です。
暇なら来て読んでください。(自己主張強くてすみません。)
またこんな凄い話を書いて下さい!
目下原稿中なので、精神注入棒で殴られたような快感でございます。(←すいません、ようはナチュラルハイです)
本当はこっち路線をもっと書きたいのですが、今月はギャグ話を書いております。原稿が落ち着きましたら、閑様のサイトを拝見したいと思います。
宜しくお願い申し上げます。
ギャグ系楽しみに待っています。明るいのもいいですよね。私が書いているのは暗いのばっかりです。ある医師の日記~7年間の記憶~も暗いです。自分はギャグが書けないので、憧れます☆
そして、一話完結型が書けるのにも憧れです。私のは長い。6つ物語を書いているのに、短編が一つもない。少なくとも、50話はいくような話ばかりです。
ある医師の日記も200話はいくでしょうし(オイ)、もう一つやっているハガレンにいたっては300話行きかねません。
真朱薫さんは一日の事を書いてるから、一話完結できるんですよね。一方自分は何年間もやってしまう。短くても半年程。だから長くなるのは当たり前!、、、ですよね。
話がずれましたが、再び軍部系シリアスを掲載してくれる事を待っております。
ちなみに、この物語は後輩にも好評でした。
これからも真朱薫さん、頑張って下さい!
私も本日46行という一回にしては最長を書きました(笑)
もの凄い長いコメントで申し訳ありません。
そして再び自己主張強くてすみません。
後輩さんにも好評と言うことで、嬉しい限りです。ありがとうございます!とお伝え下さい。
私は今でこそ長い話が書けるようになってきましたが、最初の頃は短い話(ようするに一番書きたいシーンだけ)しか書けませんでした。だから逆に長い話を構成できる人に憧れますよ。
このところ仕事が忙しくなってしまったので、なかなか書けませんが、がんばりたいと思います。
さて、タイトルに書いた事を。大佐主役の物語をもうそろそろ進めなければ、と今思っています。
300話でいくであろう話。キツイ!けど、最初の考えを作ってからもう半年以上経ったので、もうやりたいです。大佐の出番が多い事。エドは少ない、、、。
もう大佐が主人公だと今日己のブログに書いてしまいましたので。あと、中尉の出番、オリヴィエさんの出番も多いので。あ!!この話ではハボが復活します!(本当です)、、とヒューズさん復活!(蘇る)があります♪
こっちの方が真朱薫さん好みかもですね☆
でも、、、、ヒューズVS大佐がある(かも)です。すみません~!!!
しかも、人造人間第一章からぶっ殺します。
なんてありえない展開を造ったんだ。
「ありえないなんて事はありえない」的な話です。
タイトルはBlueroseChildrenー世界の終わりと始まりの為にー です。
まだ第零章やってるので、進行はかなり遅いですが、暇ならば、読んでみてください。
そして、真朱薫さんのガンガン7月号の感想を楽しみに待ってます。もう一週間切りましたし。
では、これからも頑張って下さい。
日記も読んでくださっているようで、ありがとうございます。でも仕事の愚痴ばっかりですよ。
十代がやってるやつは駄目ですか?(笑)うーん、私も似たような十代を過ごして来ているし、その時にしか感じられないことや、書けないことがありますから、大切にした方がいいと思いますが。
閑さんの話もハボやらヒューズ復活と盛りだくさんですね。がんばってください。
物騒な変換ミスだ・・・