英国ボーディングスクール奮闘記(留学日記)

英検3級程度で無謀にも英国の中学・高校・大学生活を
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日本の大地震…心からの祈りとバトン

2011年04月09日 | 留学
久しぶりの更新ですがランキングにも参加してないので
誰も見てないと思います。でもこの事実は残しておく
記憶として書いてます。

今僕は日本でいう春休みで日本に到着したばかりです。
いつものようにスキポール空港経由ですが何と!今回は
関空です…。
母親が千葉も大地震の影響でダメージ受けてるから今回は
関空から往復しなさいとの事…。今、心斎橋のホテルに
チェックインしました。大阪で買い物した後、明日の夜に
静岡入りです。

地震当日から今日までの記憶をたどります…。
朝起きてすぐに先生や友達が騒ぎ出した。ギリギリ学校の
用意をしていた僕は異様なザワザワとした気分でテレビに
向かった。BBCは日本で異常な地震が発生していて詳細
もわからないほどだと言う。僕はいやな胸騒ぎをしていた。
いつ呼吸をしたか忘れるほど息苦しかった。

学校のパソコンではヤフーニュースが見れるので、何回も
チェックして確認しました。
まるで日本列島が沈没したかのように真っ赤なマーカー
が包んでいた…何があった…地震で津波がきたらしい。
でもそんなに心配してなかった。津波といっても本当に
それほど大きな事はないのかと。

でも、町がスッポリ無くなる程の津波が来て全てを破壊
していったと聞いて信じられなかった。まるで映画のよう
で津波といっても3~5メートルが道路にかぶさって近く
の民家が被害にあうという位しか想像できなかった。

母親から家族全員無事。心配無用ってメールが入っていた。
初めから静岡は遠いので無事なのは分かってはいたけど
日本地図に真っ赤なマーカーで津波警報が付いてたので
心配だった。

先生や友達が心配してくれていっぱい声をかけてくれた
けど、何か不安な気持ちが勉強どころではなく、日本の
友達からもメールが入ってきていた。姉は東京に住んで
いたので心配でメールした。震度5強を経験したらしい。
昔から何があっても生き残ると言われていた姉だけど
さすがに怖かったと言っていました。

小6の時、母親と姉と3人で気仙沼に行った事を思い出し
た。海辺の魚センターで買い物したり美味しい食事をした
思い出もうっすら残ってる。タクシーのおじさんの話が
全然聞き取れなくて外国語かと思った。その時日本語で
もいろんな言葉があるんだと教えてもらった場所です。

そこで関わった人達もそうだけど住んでいる人達が一人
でも助かってくれることを祈りました。
3日4日と時間が過ぎていくたびに死亡者の数が増えて
いく…とんでもない数字。

寒いのにまともな食事や暖房もなくふとんで寝ることも
出来ない人々もいっぱいいるらしい。比較する訳じゃな
いけど僕はどうだろう。もし僕がそんな場所にいたら
ガマン出来ずに何かに怒りをぶつけていたと思う。

極限の人間に一番必要な忍耐が僕には一番不足している
事に今更ながら気が付いた。被災された人達がテレビで
冷静に話しているのも、寒さと飢えに耐えている事も
僕にとっては信じられない…。僕と同年代が必死に物
を運んだり手伝っている姿に比較している自分が恥ず
かしいと初めて思った。

何も出来ない僕ですが、せめて未来に日本の役にたてる
人間になっていたい。単純で真剣さが足りないっていつも
怒られてるけど、今目の前に起こっている現実に少しでも
僕なりに考える事が応援していることになる気がします。
頑張っている人にこれ以上頑張れって言えないって誰か
が言ってました。

だから僕達世代が頑張ってこれからの日本の役に立てたら
いいと思います。被災にあわなかった周りの日本人達は
被災地から今度は頼んだ!ってバトンを渡されたんです。
すぐには役にたたないかもしれませんが、僕は確かに
バトンを受け取りました!

今の幸せに感謝しなさいって周りから言われる僕ですが
日本の深刻な今の状況からもわかるように、感謝だけでは
済まない事に気がつきました。幸せを受けたら返す努力を
しなくちゃいけないですよね。そんな事言ってても今の
僕はぬくぬくとホテルの部屋でパソコンに向かってるわけで…。

ただ考えをまとめてブログに書いていれば20歳の僕や
30歳の僕が16歳の僕に出会うから思い出してくれる。
だらだらしてたり落ち込んでたらみっともないぞ!

マサ