ウィトゲンシュタインと竜樹、時代も世界も異なるこの二人は意外に同じ果まで達していたのではないかと感じさせる。
前段はウィトゲンシュタインで、あまりに純粋な地には進むことができないといい空を示唆させる。後段は竜樹で、まったき無に何人もすむことができないといい、これまた空を述べている。
ウィトゲンシュタイン
94年2月にエイズで死去した英国の映画作家デレク・ジャーマンの遺作「ウィトゲンシュタイン」のラスト・シーン、死の床に横たわる哲学者に友人の経済学者ケインズが語りかける。
おとぎ話をしてあげよう。昔々世界を論理そのものにしようと夢見る若者がいた。大変頭の良い彼はその夢を実現した。仕事をやり終えた彼は、一歩下がって出来栄えを見た。それは美しかった。地平線まで音なくきらめく果てしない氷原のように、不完全性も不確実性もない完璧な世界。若者は探検に出かけることにした。しかし一歩踏み出した途端彼は仰向けに倒れた。摩擦のことを忘れていたのだ!若者はそこに座り込み、自分の素晴らしい創造物を眺め涙にくれた
でも年をとって賢い老人になるにつれ、彼にはわかってきた。ザラザラや不確実なものは欠点ではないのだと。それは世界を動かすものなのだ。彼は走ったり踊ったりしたくなった。
その地面に散らかった言葉や物はどれも壊れ、色あせて形も定かでなかった。だが、賢い老人はそれこそが物のあるべき姿だと悟った。それでも彼の中の何かが氷原を恋しがった。そこではすべてが輝き、純粋で絶対だった。ザラザラの地面という<概念>は老人の気に入ったが、そこに住むことはできなかった。それで彼はザラザラの地面と氷の間で(between rough and ice)で身動きができず、どちらにも安住できなかった。それが彼の悲しみのもとだ。
竜樹
空はまったき無を目指しているように見える。しかし、竜樹自身も述べているように、この否定作業は、否定を通じて新しい自己あるいは世界をよみがえらせるための手段なのだ。すなわち、竜樹自身まったき無に何人もすむことができないことは知っているのである。「空の思想史」立川武蔵 p5
竜樹は言葉を否定して空性に至るまでの過程に中論の9割をあてている。空性に至った人が仮説としてよみがえる世界についてはほとんど述べられておらず、それは後に唯識学派の人々によって、議論がなされていく。 p135「空の思想史」立川武蔵
以下は龍樹についての下記のメモです。空を語りえぬものとして理解する助けになる。
https://docs.google.com/document/d/1tX8Q0lNwf_7cLYqkPUTWBVjo9XYowewA52quLB5hgQ0/edit
ウィトゲンシュタインの命題七
語りえぬものについては沈黙せねばならない
ウィトゲンシュタインは超自然的な原理について語る形而上学を「たわごと」とする。さかしらな知よりも存在へのより根源的なものを求めていた。
『中論』初期大乗の『般若経』の「空」を明らかにした。
龍樹は「縁起」を「空性」と同義、「空」の別角度からの言い換えとみた。
立川武蔵「言葉あるいは世界は自らを止滅させることによって行者あるいは仏は聖なるものとしての空性の顕現を可能にする」
究極の真理は言葉で語ることができない。
「空」は言語活動の領域を超えた涅槃に到ることで大乗仏教の示す最高の真理
「空」「仮」「中」の「三諦」は中国仏教独自の理解が難しい概念だが立川武蔵は「縁起」つまり「空」を
「仮」は俗なるもの
「中」は聖化された俗なるものに戻るプロセスを意味する。
この偈は俗なるものとしての縁起から聖なるものとしての空性に至りその空性が俗なるものへと俗なるものを聖化しながら戻るプロセスを示している
親鸞の空の理解
「凡夫」の自覚をもつ親鸞、にとって「空」「仮」「中」の「仮」が我が身の愚かさとして実感された。
空性を知らず賢しらな「仮」の自性に固執する。