2006/6/18
バルセロナにあるグエル公園はガウディが彼の理解者であるグエル伯爵と理想の分譲地60戸の建設を目論み、しかし僻地過ぎたためかさっぱり売れずにガウディとグエル伯爵の邸宅のみが完成したという。見方によってはコミカルで、それだけ惨憺たる結果に終わり後に市に寄贈された。彼の造形は当代に受け入れられずに後の世に世界遺産としてもてはやされるという、天才の定型を彼もまた踏襲したことになる。
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2006/6/16
イタリア・ボローニャから夜行列車でバルセロナに到着した。やや曲がった屋根のドームが伸びる。
サグラダ・ファミリア大聖堂 降誕のファサード。初代主任建築家ビリャールが建設委員会と対立して辞任しガウディが31歳で2代目に就任し、このファサードを建築中にここから街へ歩く途中、路面電車にはねられて死んだ。73歳だった。
ファサード中央上部にある「生命の木」は、 . . . 本文を読む
オーストラリアの旅の記録(2006年)。一眼レフカメラを持っていないので小さな写真しかないのが少し残念。
早朝から森の中をガイドが案内してくれる。多様な植生の説明に聞き入る。森の中にあった不思議な形の石。脱皮した蛇皮。
鰐の出没する川で釣り。川に伸びた枝に餌のついた釣り針が引っかかった。釣り針の位置は川面から高さ1メートル以上ある。突然川の中から水しぶきが上がり、ジャンプした巨大淡水魚 . . . 本文を読む
いずれも20年ほどまえの米国での記憶を頼りに記した。忘却のフィルターにかけられて残った記憶だ。(私にとって)何かの意味があるかもしれない。
スミス・アンド・ウォーレンスキー
米国の味覚の記憶ではステーキはニューヨークで食べたスミス・アンド・ウォーレンスキー(Smith & Wollensky)がまっ先に思いだされる。2位は昨年の南米旅行で名もない店で食べたステーキだ。レストランの名前な . . . 本文を読む
1990年8月7日昨夜は遅くまで旅行計画を考えたために睡眠不足気味。ParisからLyonに向かう列車SNCFで少し眠る。Lyonは遠藤周作が留学した街だが今でもその面影は残っているのかどうか。ルンペン風の男が多い。一人に小銭を少し提供する。古い建築は駅の周囲には見あたらない。昼食はサラダを食べる。Lyonからマルセイユに向かう途中に工場群を見かける。Lyonは工業都市のようだ。列車の進行方向右手 . . . 本文を読む
アラン・ド・ボトン 「旅する哲学」の原題はthe art of travel で、邦題よりも内容よく表している。哲学などという仰々しいタイトルをつけたために売れ行きを逃しているのではないかと余計な心配までしてしまう。旅あるいは絵画と風景を扱っている。特にホッパーとゴッホの絵と風景に力が入っている。
ジェット機の窓から
広い視野でみるという昔ながらの教訓を私たちは知っているかもしれないが、冷たい . . . 本文を読む
25年以上前に米国に出張した。米国人コンサルタントが通信事情の調査に必要な米国各地の通信事業者や関係団体を案内してくれた。ワシントンDCを訪れて滞在中のホテルの玄関から食事に出かけるためにが我々一行4名タクシーに乗ろうとした。ホテルのフロントマンの指示に従ってタクシーに乗り込もうとしたとき、先に並んでいたらしくなにかの間違いかあるいはフロントマンに嫌われているのか客をあてがわれなかったタクシーの運 . . . 本文を読む
2009/02/02 初稿
2015/09/09 追加
ベルリンの壁崩壊から25年たつのだという感慨。東ベルリンへ入り、ベルリンの壁を撮る。このころはまだホーネッカーがいて、膵臓炎で入院中のころではないか。この後ハンガリーからウィーン経由での亡命が実現し急激に崩壊が促進されることになる。ゴルバチョフがペレストロイカを推進し、崩壊を助けるがイギリスのサッチャーは壁崩壊に反対するという判断ミスをお . . . 本文を読む
2009/1/16 初稿
2015/8/14 追記
1989年平成元年7月26日~の旅行記NTTデータから日本高速通信へ転職が決まり、次の会社まで2か月の休暇を拵えた。念願のヨーロッパ旅行に行くことにした。1989年つまり平成元年の7月26日に成田を出発してクアラルンプール経由でロンドンに向かった。帰国予定は8月22日で、この後正式に会社の退職手続きをしたのち再び海外に出る予定。(バリ島に約ひ . . . 本文を読む
2007-05-05 初校
2015/01/21 追加
イタリアのボローニャから夜行列車でスペインのバルセロナに向かい、4日ほど滞在した。快適なクッシェを予約したつもりが、なぜか、ただの一等座席だ。荷物を盗まれる恐れがある、十分注意などといたるところに書かれているので、周りを見渡す。そんな目で見るのも申し訳ないが、怪しそうな目つきでこちらに視線を送ってくる男も近くにいる。途中で警官が乗り込んで . . . 本文を読む
2015/01/20 追加
2012/05/08 初校
ガウディがデザインしたグエル公園へVallcarca駅から歩くが登ったり下りたりと結構遠い。
前方にエスカレータが
モザイクのベンチ
モザイクは近所で大量に安く手に入ったからだと聞いたが
確かにこんな風なモザイクを見ていると廃物利用だろうな
波をモチーフに
斜め . . . 本文を読む
1989年8月17日ベルリンを朝から見学する予定であったが帰国便のリコンファームの電話がつながらない。ロンドンへの電話がなにか番号変更でも有ったのかも知れない。結局3時間ほど試行錯誤したがうまくいかない。次にフランクフルトにかけてみたがこれまたつながらない。クアラルンプール、パリとすべて試したがうまくいかない。徒労感が募るがせっかくベルリンにきてリコンファームで一日つぶすのはいかにもばかくさい。と . . . 本文を読む
(2013年9月24日加筆)
1990年8月9日朝フランクフルトに着く。カイザー通りを散策する。テレホンカードを購入したいのだがどこにも売っていない。睡眠不足のせいでこんなことにもいらつくことになる。うわさに聞いていたとおり、両替屋の態度の横柄なこと。商売とは思っていないのかも。朝の9時というのに客を引く女がいる。歴史博物館の裏手のレストランで食事をする。19DM。
フランクフルト市立美術 . . . 本文を読む
1990年8月6日QuinperからLemans Toursを経てNanteへ。Toursで自転車を借り古城巡りをしようと考えたのだがお客が多いらしくなかなか順番が回ってこないのであきらめる。歩いて市内を見て回ることにした。教会のようなホテルがあり、遠くには城が見える。バスによる古城巡りは翌日にならないとだめなのでこれも又あきらめる。あきらめることの多い街だ。ToursからNanteまでの列車で充 . . . 本文を読む
1990年8月5日ブルターニュ地方を列車の車窓から楽しむ。時折深い緑をたたえた川が見える。放牧牛がのんびりと尾を振りながら草をはんでいる。交尾している牛も。丸く巻いた干しわらが無数に点在し、カラスが上を飛び交う。たしかゴッホの絵で見た風景だ。モンサンミッシェルに向かう列車がドルで時間待ちとなる。5時間半の待ち時間があったので街を何気なくぶらついてみることにした。期待していなかったのだがこのドルの街 . . . 本文を読む