汗ばみて夢路を終へり
有明の月は窓より笑み語らひて
画像は今朝の月
明くるまでわれを照らし包む君
今宵も夢で現(うつつ)で逢はむ
心とは愛おしくも手の焼くる
駄々っ子がごと見捨つ能はず
自分のものでありながら
心というものは
どうしょうもない駄々っ子のようで
愛しいけれど酷く手が焼け
また見捨てることも出来ないものです…
俯けり頭(こうべ) 仰がす月光は
う(倦)み(海)に潜みし影映し浮く
煌々と降り注ぐ月洸は
挫けて俯いていた心を空へと仰がせ
倦み、深い海の底に潜んでた
わたしの心の影を映し浮かべる
桃源郷
水面(みなも)に映(は)ゆる夏空に
野分吹き荒れ
雪舞ひあがり
其れをあやしとおもふことなく
春のわれの眺めやる
水面に映っている夏の空に
野分が吹き荒れ
雪舞いあがり
それを不思議と思うこともなく
春のわたしがその景色を眺めやる
憤りとて悲しみとて
たゞ眺む
深き湖(うみ)にわれあらまほし
揺れ動く”心”ではなく
憤り・哀しみという強い感情でさえも
水面に映し眺めている深い湖・・・
”感性” という意識でわたしはありたい
”たゞ眺む”
としたものの、ただ眺めているのではない
水面の揺れをしっかりと感じている
ときに大波となって私は揺れてきたし
これからもず~~~~~っと揺れ続けるのだろう
”たゞ眺む”とは
決して”動じない”ことではない
来る日も来る日もグラグラ揺れている
支柱を揺るがすほどに大揺れしたことも何度もあった
わたしは”そんな私”でいいのだと思う
わたしは”そういう私”をとても愛おしいと思う
グラグラ大揺れしている上で
サーファーのようにバランスをとっているわたしを意識する
バランスをとるために”たゞ眺む”とも言えるのかもしれない
そして、”感性”とはそういうものではないか・・・
っとわたしは最近想ったのだった
セタール初歩その3
8分の6拍子短調の曲ですが、
人差し指を速く動かして、
細かく刻んで弾く練習中で、まだ習得できていないため、
どうしてもテンポを下げざるを得ません。
それでも 初歩その2 で弾いたときよりも倍の数を刻めるようになりました。
50秒弱です。
こちらからお聴きくださいませ。
ひとつき以上も出番なかりて雨は
溜まりに溜まりし鬱憤晴らし?を
儚きわれらへ当り散らし
突如窓叩きつけ訪れる
ついでにあれほどまでに厚く暑く
すっぽりこの地包み込めり気散らし霧消させ
たった一夜(ひとよ)の風雨神さまの来臨は
例年ますます暑さ増すこの時期なれど
窓から吹き抜け通る風に
初秋の肌寒さ置き土産にしてった
嵐去りし次の日のみ見上げられし空の蒼さは
また
その蒼穹より
新たに生まれ届け伝えられし風の温度は
人類が誇らしげに作り上げたる
文明という千万の車吐き出し続く
固く密し、循環・蔓延させ続く熱気と汚れを
既にわが心象風景の
フィルターの一つともなりしこの街から
一瞬ではあれど取り除き
澄み明るきものにしていったようでもある…
一輪の花の記憶
月と陽の軌跡の
夢と現(うつゝ)の境となりし時刻(とき)
蓮華の蜜あらずして口に含めぬ檸檬の飛沫は
かたくかたく閉ず碧い瞳浸し透かし
光あたるも光透さぬ
青き珠となりて溢れ出づ
瞳開ければ
狂ひ泡立つ海に
たちまちのうち
高波の絶壁現れ
その絶壁の影に
骸(むくろ)より奪ひし
肋骨の鎌を手にせし神の
不遜なる横顔の
今か 今かと鎌振り下ろすときを待つ
魔の谷の結界には
いたいけな笑み絶やさぬ一陣の風舞ひ降りて
悪戯な風は渦巻く潮へ
一輪
一輪
花のかれを
花のわれを葬りて
一輪の花の記憶は
苦々しき夢と
鼻を突くうつつを攪拌(かくはん)し
凝らすも
凝らすも
先のみえぬ明日を象り
くぐもる波音となりて
海へ
海へ
流れ織り籠(こ)まるる