言霊・言の端

言葉のマジックをどこまで行使できるか?そんな想いで言葉を綴っています。

祈り・・・時 は 間(はざま) を超える 

2013-02-28 15:16:56 | 言の葉



祈り・・・

時 は 間(はざま) を超える 





ここ に 今 を加えむ

場 に 時 を加えむ


今 ここ にある 我



されど

今 という 時 は

ここ にある


我が肉体

我が実体





縛らるることはなし





今 で 繋がるるは


処(ところ) 超え

距(へだたり) 超え


次元 をも超えゆく





溢るる心 は

溢るる想い は 


則(のり) 超え

枠 外し

意乗りと化し



馳せゆく 





其に応える心あらば


時 は 間(はざま) 超え


我 と 彼 に 有さるる




心を放つ  ~眠れぬ夜よ に~

2013-02-26 12:07:20 | 言の葉


心を放つ  ~眠れぬ夜よ に~




仰向けて寝転がって


渾身こんしん の力をこめて


全身を



硬直させる

硬直させる

硬直させる




そして


緩める

緩める

緩める



深く息をすって

ゆっくりゆっくり 

外へ出す





空を 海を 花を 雲を


風を 木々を 雪を 光を




一番好きな景色を思い浮かべ


その中に抱かれようとする




おーーーい おーーーい

私はここよ ここにいるよ

腕を差し伸べてよ 迎えにきてよ




ほら今ひとつになれる



もっと高く

もっと深く

もっと広く

もっと大きく


自分が極みへと導かれていくのがわからない?



己は己であって 己ではない



このとき 心は



何を望む?

何を願う?



自も 他も そんな感覚すらなくしてない?



ここまで昇ってしまえば



貴方は私


私は貴方



もとをただせば 


みな同じ


みーーーーんな同じ



空も 海も 花も 雲も

風も 木々も 雪も 光も



そう



月 すらも


私 自身



~ 2010年記 ~


今宵望月逢瀬の刻  ~2011年11月の満月に捧ぐ~

2013-02-25 16:06:54 | 言の葉


今宵望月逢瀬 あふせ の刻



今宵望月逢瀬の刻


月を望む我が思いが満たさるる時


月が

我を引寄せ 

我を抱 いだ く   

月と我が 一 いつ となる時


清かなる月影の道しるべ

月は煌々と我をみつめ

我を誘 いざの ふ



月と地に何の違いがあろうぞ


夢と現 うつつ に何の違いがあろうぞ



我が心に刻まるる 象 しょう こそ 真実 まこと


 

月よ

我を抱け

存分に抱け


己 おの を満たし

我 われ を満たせ



冬薔薇 ふゆさうび 追記

2013-02-25 12:40:45 | 言の葉
冬薔薇 ふゆそうび 追記




私のことを 殺伐 としていると表現してくださった方がいる。

でもその 殺伐 は記事の上には現れていないそうだ。


私が撮ったある景色をみて、その方はそう感じたそうである。

それはもしかしたら、ご覧になられたこの方自身の心の反映であると私は思ったが、

私はそれを褒めてくださったと受けとった。(←勝手な奴です)


グレーの世界なのだそうだ。

水墨画の世界みたいに色のない、ゴウゴウという音だけが聞こえるような感じがした


っと。

グレーの世界みたいなことは、モノクロだったかな?

他の方にも言われたことがあった。

私はこのお言葉に対して以下のようにお返事した。



私はもともとそういう感じの人間だとおもってる。
色でいうとグレーっていうのは 鋭いなあ と思った。


私は自分には 白と黒 が相応しい感じがしている。
その二つの色の混合の具合で出来る色が私のその時々の色って
気がしているの。


ただ、、それは もとの私が 赤 だからかもしれない。
赤を抑えるために 白と黒が必要だからと思っている部分もあるかも。

でも私は 赤 でありたいと思うけど、赤で長時間いられるほどの
エネルギーが肉体的、現実的にないのよね。


これは、自分を色でたとえたら・・・と思って書いてみた。


そしたら


もしかしたら、冬さうび の色のように、なまめかしい甘い赤かもしれないけれど。


とお答えがきてびっくり。

私が 赤 と書いたのは 戦う 性質のことを思ったのだったけれど。。。

戦うために、どうしても必要なエネルギー のこと・・・


私は、、、冬に咲く薔薇 冬さうび(冬そうび)が好きじゃない。

好きじゃないわけではないけど、ジッと見られないのだ。

このことは 冬さうび という詩に書いた




冬薔薇 ふゆさうび



ふゆさうび の忍耐と潔さを愛する人もいる


私には彼女をジッとみつめられるだけの

心の強さがない


薔薇であって薔薇でない

華やかさと豊満さをほとんど失った

最低限の姿


それでも

ああ・・・彼女は薔薇なのだ


芯の強さと健気さだけで

その場に凛と咲き香る

私の胸には棘が突き刺さる

素(す)だけを残した美しさが

私の心を締め付ける


世にも気高い悲劇のヒロイン





そして、以下のような想いから、私はこんな詩を書いたのだった。


私は雑草だから、冬は辛い。
でも美意識も、プライドもないからまだ楽。
でも 薔薇 がそんな状況で 咲き誇る って
咲き誇れないのに咲き誇るって考えただけで
痛みで目を閉じちゃう、これ以上見られない。

私は、冬に咲く薔薇にはなりたくない。
もしそうありなさいっていわれたら、、、
日陰でそういう姿してる。
人の目にさらされたくないの。



冬の薔薇は確かに目立つ。
冬に咲くだけで目立つのに、
しかも薔薇なんだもの!

そこに視点が行く方が多いのかもしれないけど。。。。



でも、私の目には 冬さうび って、

”腐っても鯛”なの。


どんな環境にあっても 薔薇 なんだよね。

薔薇は確かに鑑賞にはいいけど、自分との間には一線あるって感じがする。

憧れるけど、”なりたくない”のだ。

どんなにお願いされても・・・


薔薇 という高級な花を鑑賞するんだったら、、、あんな姿は嫌なのだ。


鯛ではある、でも 腐ってる・・・ここまでの酷評はできないけど、

でも、、、私が 冬さうび を高く評価できない理由はそこにあるように思う。



ううん、、、少し違うのかもしれない。
薔薇は美しいけど 私が求める美しさじゃない っていう意味だとおもう。

薔薇は好きだった。物心ついたときから、長いこと好きだった。

私は薔薇の季節に生まれたから!



でもちょうど私がいろんな点でここ(海外)での生活に疑問持ち始める頃

2008年から、薔薇を好き という気持ちが憑き物が落ちたようになくなった。


それよりね、野草がものすごい外からの過酷さをうけながら、

自分の色と力放って、咲いてる姿に目が覚めるようだった!

それはね、冬 という過酷な状況だけど、他に比較する花がないんでめだつ 

薔薇の美しさ とは全く逆のもの。


ものすごく強くて、眩しい、ギンギラギン!の日光を浴びて、

この地の乾燥しきった気候の中で、

そんな過酷な条件の中でも同じように咲いている別の野草も一杯のなかで、

それぞれが自分の個性を強烈に放って、

基礎にあるのはただ 生命力と、環境への順応と、自分の本能である種の保存、しかないの!

そのために自分を主張する美しさなのよ。

私そういうものに 憧れる! 

冬さうび の美しさ もわかるけど 心惹かれないの。

痛々しい が先にでちゃうの。


冬さうび には憧れない、なろうと思ってもなれないし、なりたくない・・・


私はたぶん、生きること がものすごく好きであり、ものすごく嫌なんだと思う。

この二つの思いを中庸させようとすることとは、

私がいつも戦っている理由、になるんだと思う。。。。

美しい人生を歩みたい、幸せな人生が欲しい

なんて思ったことない。

ただあるのは、どうしても歩まなければいけないんだったら、

自分に納得がいくものであったらいい。

自分の納得ということのなかには、周囲との協調が含まれるけどね。


それは多分 すご~~~~く我侭な私が

生きるという 他と、どのように共存するか? というお題であると思う。


そして、それはまたそんな私の弱い、情けない姿を

哀れだ、可哀想だ と見られないように

そんな想いを抱かせないように

髪振り乱して、一心不乱に、刀がなかったら素手で構えて、戦い続ける


笑いにも通じる やせ我慢 の姿をなりふり構わず見せてまでも、

”同情されるなんてまっぴら御免” っていう、こんな気性からだろうと思うのだ。






以上は2012年の2月6日に記したもの。




今の私の心には、こんな気持ちも追加されている。



私は冬薔薇が好きじゃないんです。
これはもう好みの問題だから仕方がないけれど・・・。

週刊誌で騒がれるような芸能人って、ある意味、
女性に限らず男性も冬薔薇って感じ。

ある部分に於いて、そうやって自分の身を削って、
人の目を惹いているイメージが私にはあります。

雪景色の中で、真っ裸で真っ赤な口紅だけして悲愴感を漂わせて立っているの。

それをお金を払って好奇心を満たすために好んで見に来る人たちがいる。

そしてまた、彼ら(冬薔薇の方)もそうして人の目を惹くための場を求めている。

お金を払ってそれを求めている人が存在する以上、

それは善悪では判断できない世界だけれど、私は好きじゃないんです。

気高さに関しては勿論それぞれですけどね。


この詩には、良心的視点でそれについて言葉で記しましたが、、、、

批判的な視点のほうが実は私の本心なんでしょう。

冬薔薇 ふゆさうび

2013-02-25 01:11:45 | 言の葉

冬薔薇  ふゆさうび





ふゆさうび の忍耐と潔さを愛する人もいる



私には彼女をジッとみつめられるだけの

心の強さがない


薔薇であって薔薇でない

華やかさと豊満さをほとんど失った

最低限の姿



それでも



ああ・・・彼女は薔薇なのだ



芯の強さと健気さだけで

その場に凛と咲き香る


私の胸には棘が刺さる


素(す)だけを残した美しさが

私の心を締め付ける


世にも気高い悲劇のヒロイン



~ 2011年記 ~





願望

2013-02-24 14:33:07 | 言の葉



願望




空に

海に

なりたい

どこまでも高く広く

どこまでも深く続く

そして どこまでも澄み透る

青い空に

青い海に

なりたい


人 が見上げたとき

人 が視線をむけたとき

いつでもそこに広がっている

美しい景色のひとつに

なりたい


私の心を

受け止め 抱きしめてくれたように

私の心も

青い 蒼い 碧い色の

ひとつになりたい






~ 2010年記 ~



慈愛(いとほし)  ~2011年秋の長雨の一日ひとひに~

2013-02-22 14:20:00 | 言の葉



慈愛(いとほし)  ~2011年秋の長雨の一日ひとひに~







空は 地に 涙をそそぐ





大地に 涙が 染み透とほり





香かぐは しき 草と土の 





懐かしき故郷ふるさと の 匂にほい はなち





天地 の 界さかひ にて





飢ゑ  乾き  もがく  我に





愛いとほし  愛し  愛し  愛し





哀し  哀し  哀し  哀し











垂れとまりぬ