”ご縁日記”木挽棟梁をめざして

出会いに偶然はないと聞く。これまで出会った方々からどんなメッセージを受け、私はどのように進むのだろうか?

山師 杉山博文

2006-03-08 15:41:47 | 水の師(エコロジー・デザイン)

「自分の工場を回すことばかり考えてはダメだ。もっと世の中のことをよく見てわかりなさい。」


最初にX先生と会ったとき、こう言われた。これは、今でもドキッとさせられる。売上見通しが不透明な月の後半などは、頭の中は目標達成だけでいっぱいになる。そして、押し付けとまではいかないにしても、売りの圧力を強める自分がいる。ニーズではなくシーズで考えているのだ。


「現状分析ばかりやっててもダメだ。聞いた人がワクワクするような夢を語れるようになりなさい。」


とも言われた。新しいことをやりたいと検討し始めたとき、直感だけに頼るのは危険だからと、市場や自社内の現状を分析する。いろんな人に相談しても、上手くいかない、それは大変だよ、と言われ、現状分析を止める言い訳にしてしまう。考えただけで自分はえらく行動した気分になっているが、現状は全く変わっていないことに気付く。そんなスパイラルに陥っていないか、今でも反省させられている。


「好きなことをやるのではなく、やらなくてはならないことを好きになりなさい。」


人がワクワクする夢を語るのとは矛盾しているのではないか、と当時は感じた。師が語った言葉は今後も小出しにしていくが、そんな師が突然私に電話を掛けてきた。会ってから1ヶ月後ぐらいだったと思う。その電話とは、


「自分の山ではなく、人の山を守ってあげる動きを初めなさい。」


というものだった。師と会ったとき、荒廃して行く山林の現状を悲観的に話していたからだったと思う。そこで、森林ボランティアについていろんな情報を集め始めた。すると、ワールドカップのカメルーン滞在地となり有名になった大分県の中津江村に、田島山業という会社があって、森林ボランティアを募り山を管理しているという話を耳にした。福岡市内など都市部からの参加者が多く、半数が学生だということにも驚かされた。というのも、幼少の頃から、山に入っているが、私の記憶の大半はシンドイ仕事だというものだったからだ。ボランティアで手弁当で山仕事をしにやって来るとは、どんな物好きな人たちだろうかと興味半分、私も参加することにした。


参加して驚いた。確かに、若い人たちが100人規模で集まっているのだ。おびたたしい数の鍬や鎌、いろんな樹種の苗木が用意されている。道具や苗を運ぶ必要はなく、前段取りにより植えるばかりになって整然と置かれていた。ボランティアというよりは植林セミナーのような雰囲気だった。早速植え始めると、いつの間にか一グループの先生のようになっていた。山師以外の人と共に作業するのは初めてで、山仕事自体が楽しく思える不思議な体験だった。


その後も何度か田島山業の森林ボランティアに参加させてもらったが、ここで杉山博文君と知り合うことになる。彼は、海外青年協力隊のような制度でフィリピンへ行き、育林活動をやっていたという。そして、I ターンで田島山業に入社したそうだ。そんな彼が、個人的に森林ボランティアの会を立ち上げたと打診してきた。「フォレストキーパーズキャンプ樵の会」というものだった。


話は飛ぶが、サッカーが好きという人は、「見る」のが好きなサポーター型と、「する」のが好きなプレイヤー型の二つに分けられると思う。杉山君は、例えるなら、森林のオーナーになりたい、という希望を持つ「プレイヤー型」の人たちに対応した会を立ち上げたかったようだ。


そんな彼が、「紹介したい人がいる。会ってもらえないだろうか。」と突然電話してきた。木挽棟梁を目指すきっかけとなる出会いをつくってくれたのだ…


 


 


 


 


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