7月30日、島原半島 南有馬にある廣宣寺に、庫裡の落慶法要のため訪問した。
この建物は、筑波大学の安藤邦廣先生が設計・監理された建物で、私は主に構造部材を担当した。
↑安藤先生は、民家や茅葺の研究でその名を知られる。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4761523689/249-3335194-9078725?v=glance&n=465392
↑「住まいを四寸角で考える」は、安藤邦廣著書の中でも、特に愛読している本だ。
この本は、
「1.板倉の家づくり 2.民家の再生は地域の再生 3.木の学校づくり 4.民家の見方」
の四部で構成されている。
私のお気に入りは、「民家の見方」。
森林と共にあった人々の生活の歴史と民家の変遷が実に分かりやすく書いてある。
文章を書かなければならないとき、この本からの引用は多く、その度に何度も読み返したことになる。
バイブルの中の大切な一冊なのである。
安藤先生は、JMRA九州の土公純一さんhttp://www.ne.jp/asahi/doko/net/ と同窓ということもあり、
JMRA九州主催のシンポジウムや民家塾の講師として、九州には度々にお越しいただいている。
文系卒の私にとって、環境・資源・燃料と建築との関連性を歴史的に教わったのは初めてで、目から鱗の視点だった。
しかしながら驚いたのは、研究だけにとどまらない、数多くの実践への取り組みとそのバイタリティだ。
「住まいを四寸角で考える」の中にある、「板倉の家づくり」もその一つで、広宣寺庫裡は、板倉構法で建てられている。
柱間に30ミリの杉厚板を落とし込んで壁を作る構法を板倉構法と呼ぶ。
広宣寺は、さらに板倉を発展させた。
↑↓屋根野地板(厚45ミリの巾210ミリ)の上に、ご平使いで垂木(厚45ミリの巾105ミリ)をのせ、屋根部までも板倉としている。
床、天井、壁、全てスギ板でできているのだ。(スギ板の上に漆喰塗りをしている壁は多い。)
安藤先生は、「スギを生かした家づくり」という文章の中で次のように述べている。
「第二次大戦後、石油文明の到来で利用価値を失った里山の多くは、スギの人工林へとその姿を次第に変えた。
(中略)ところが、戦後の復興を乗り越えるために住宅は、外材と石油化学製品でつくるのが主流となった。
その結果、今日に伐採の時期を迎えた膨大なスギの里山の多くは、放置され荒廃しているのが現状である。
(中略)現代の里山に循環を取り戻すにはまず第一に、里山のスギを有効に使うこと、すなわちスギを生かした現代の住まいをつくりだすことである。
そのうえで、適地を越えて拡大したスギの人工林では、スギを伐採したあとに広葉樹を増やし、里山としての多面的な機能を回復させることも必要である。
スギの資源が豊富にある時代に生きたものの責任として、スギの家を現代の民家として、のちの時代に受け継がれる地域社会のストックとなりうるものを、つくり上げたい。」
安藤先生は、今ある資源を有効に使い、民家史の一ページとなる「イエのカタチ」として、スギをふんだんに使用した板倉構法に辿り着いたのだ。
安藤方式の板倉構法は、大臣認定を取得している。今月の8月27日に企画している「板倉構法セミナー」でまた来福される。http://www.forum.or.jp/(←HP内、「活動案内」をクリック後、「板倉構法セミナー」をクリック)
つづく・・・