将来はオーストラリアに住んで砂浜で寝転がりながらかっこいいオージーの彼氏と手をつなぎながらサンセット眺めたい

自然を愛する東京育ちの女子大生がオーストラリアに憧れて将来の妄想とそのための計画を練ってく日記です。

ミニマリストって?

2016-01-26 23:12:08 | 日記
モノで溢れていると自分の本質が見えにくいです。

かつて私の部屋はモノで溢れていました。
おっきなタンスに、それでも入りきらない洋服が部屋のいたるところに散乱して、また化粧棚には使い切っていないのに買い足されたオイルや化粧水が列をなし、鉛筆だかシャーペンだかペンだかが数え切れないほどある。

明らかに自分の持ってるモノを把握しきれていないし、把握していないからまた買ってしまう悪循環。

それが幸せとは口が裂けても言えないし思えない。

自分の趣味とは違う服も捨てずに持っていたから本当は自分がどうなりたいのか分かっていませんでした。

ケンゾーもミヤケもポロもビビアンウエストウッドもアレキサンダーワンもプラダもルイビトンもトッツも取り敢えず雑誌に載ってた有名ブランドが欲しかった。

自分のタイプも分かってなかったです。

今服は5分の1以上減って数えられる位になり、初めて自分のタイプって結局かーヒッピーよりのスタンダードな服が好きなんだなーってやっと分かった。。。。

そして結局ブランド品は必要入らなくなりました。

服のタイプもそうですが、ノートやペンや小物にも傾向が出てきて、すっきりとした部屋まとまりました。

私って結局、単一色しか好きじゃないんだーって思ったのもその時です。

柄もので目がチカチカしてた昔の部屋とは大違い。

モノを少なくする事で昔よりすっきりして幸せになった気がします。

でも最近ミニマリストとか言われてますが、私はミニマリストではありません。

だって必要なものは二、三個じゃないし、捨てる事が幸せだとは思えない。

ファッションを楽しみたいし、tpoに合わせて服の種類が必要だからミニマリストって言うには持ってる服もまだ多いです。

ですが、これだけは言えるのは
大切に出来ない服は絶対に買わないってことです。
それが高くないh&mの服でも同じです。
ファストファッションって言われる様に二、三回使って捨てる様なことは絶対しない。
擦り切れてグランジになるまで着ます。

モノは増えるのは良くない事です。でもだからってどんどん捨てていくのも資本主義を助長してる様で癪に思います。

資本主義は悪だと思います。
自分たちの母なる大地である地球を苦しめてるし、
経済的に弱い人から搾取するのは人道に反しています。

ザラやh&mなどのファストファッションはまさにその搾取の象徴です。

安い人件費で今日を生きるのに精一杯な中東の発展途上国の人々をこき使い苦しめています。

それを見て見ぬふりをしているのも悪です。

使っているモノ全ての作られる肯定を想像し、感謝してモノを買い、また使い切る事が私達のせめてもの責任だとおもいます。

日本人は本質を分かってないとよく他国に思われてるのは、キチガイみたいにモノを消費するからだと思うます。

クールジャパンをもっと世の中に広めたいです。
かつての日本人はモノをリサイクルしていろんなことに応用するリノベーションの達人でした!

是非クールジャパンを実行して他国に誇る日本を実現したいです。

って最近思いました

珍しく今回はちょっと真面目な話になりました!

Happiness only real when shared.

2016-01-26 21:37:02 | 日記

Into the wild
Happiness only real when shared.

私は何冊か人生の教本を持っています。
海辺のカフカ。
into the wild.
僕たちにもうモノは要らない。
などです。

Into the wild はクリストファー・マッカンドレスのノンフィクション小説です。
日本名だと「荒野へ。」
クリストファーは大学卒業してすぐ、自分の名前を偽りながらお金も持たず、車も捨ててアラスカを目指して旅立ちます。
ジョンクラカワーという登山家がクリスの残した手紙や痕跡をたどって一冊の本にまとめました。
ショーンペイも映画にしています。
エディーヴェダーのサウンドトラックが大自然の美しい映像とともに流れて、なんとも言えない哀愁を漂わせます。

長い旅の終末に彼が残した言葉が
Happiness only real when it shared.
でした。
幸せは分かち合った時に実現する。

これを聞いただけだとクッキング番組とかのおばさんがよく言ってそうな言葉です。

でもクリスの最後の言葉にはその何倍もの重みがあるように感じます。

クリスはもともと恵まれた家庭に生まれました。仲のいい妹もいて、喧嘩ばかりな親たちだけれど、なんだかんだ言って母親も子供を気にかけています。卒業祝いには車ももらいました。

なに一つ人生に不自由ない人が、日頃から感じていた不自由とはなんだったのか。
そして家を出て、繋がりを絶ち、お金も捨て、id(身分)も捨てて、なんにも持っていない1人の人間にになって、初めて得た自由はどんなものだったのか。

この考え方は映画のファイトクラブと同じ考え方だと思います。
"持っているものに束縛される。"

私たちは持っている物、今いる立場に固着しています。なぜなら、それがあたかも私たちの幸せの証拠みたいに扱われているからです。

経済社会においてモノを持っていることは幸せの象徴で、持っていないことは惨めに見えます。

私たちは人からどう見られているかで自分の立場を測っています。お金を持っているか。高いブランド品を持っているか。いい職についてるか。家は広いか。学歴は優秀か。友達は沢山いるか。

人に羨ましがられる様になりたい。かっこよく思われたい。可愛く見せたいって思ってる。誰だって惨めに思われたくないし、馬鹿にされたくない。

でも持てば持つほど肩に重みが増して、背伸びすればするほどかんじがらめにされて、日常に閉塞感を感じるようになります。

だからって急にじゃあ明日全て捨ててしまおうって思っても文明社会においてそれは誰にでも出来ることではない。
だって明日から貴方はどこの誰でもないホームレスでしかなくなってしまう。自分を知ってる人は1人もいない。社会から孤立してたった1人です。

全てを断つという極端で究極に難しい挑戦をしてくれたのがクリスです。

クリスはお金やモノだけではなく、身分も繋がりも帰る場所さえ捨てて身一つになって旅に出ました。もう帰らないつもりで。

そんな全て捨てた彼が旅の最後に見つけた心理が
"Share(繋がり)"だったわけです。

幸せが最高に発揮されるには、分かち合うことがベストだと思ったのでしょうか。
自分だけ幸せを感じても虚しくなるだけだったのでしょうか。
それとも人肌恋しくなったための言い訳だったのでしょうか。
それは最後まで彼にしか分かりません。

でも確かな事は、最後に彼は人と繋がることを選んだ訳です。

そして彼は繋がりを求めてアラスカから文明社会に帰る事を決意しました。
その後彼は不運にも帰ることなく死んでしまいましたが、、、、。




そんな彼の行動から学べることが10も100もある様に感じ、
いつまでもこの本が自分のバイブルになっています。

この本を読んだ直後の数年間は、いろいろ考えてしまい突拍子もない行動が増えた気がします。一人旅して擬似into the wild体験をしてみたりしながら、最近やっと自分なりにこの先の生き方や振る舞い方を決めました。

それ以来なるべくモノを持たず身軽でいたいと心から思う様になりました。
そして家族がどれだけ自分の生命線になっているか思い知りました。

みなさんにも是非読んでいただきたいです。
映画もすごいクヲリティーです。

経済社会で身の回りがモノにあふれた幸せを、今一度それが本物の幸せなのか考えるいい機会になるとおもいます。

ただ、幸せのあり方は十人十色なので違うのが当たり前です。恋に生きるのが幸せの人もいれば、生き甲斐が家族だったり、趣味だったり、それがモノであることもしかりです。

ただ今、漠然と閉塞感や不安で悶々としてる方にはいいスパイスだと思います。

よかったらエディーのアコースティックギターと共に読書してみてください笑