Into the wild
Happiness only real when shared.
私は何冊か人生の教本を持っています。
海辺のカフカ。
into the wild.
僕たちにもうモノは要らない。
などです。
Into the wild はクリストファー・マッカンドレスのノンフィクション小説です。
日本名だと「荒野へ。」
クリストファーは大学卒業してすぐ、自分の名前を偽りながらお金も持たず、車も捨ててアラスカを目指して旅立ちます。
ジョンクラカワーという登山家がクリスの残した手紙や痕跡をたどって一冊の本にまとめました。
ショーンペイも映画にしています。
エディーヴェダーのサウンドトラックが大自然の美しい映像とともに流れて、なんとも言えない哀愁を漂わせます。
長い旅の終末に彼が残した言葉が
Happiness only real when it shared.
でした。
幸せは分かち合った時に実現する。
これを聞いただけだとクッキング番組とかのおばさんがよく言ってそうな言葉です。
でもクリスの最後の言葉にはその何倍もの重みがあるように感じます。
クリスはもともと恵まれた家庭に生まれました。仲のいい妹もいて、喧嘩ばかりな親たちだけれど、なんだかんだ言って母親も子供を気にかけています。卒業祝いには車ももらいました。
なに一つ人生に不自由ない人が、日頃から感じていた不自由とはなんだったのか。
そして家を出て、繋がりを絶ち、お金も捨て、id(身分)も捨てて、なんにも持っていない1人の人間にになって、初めて得た自由はどんなものだったのか。
この考え方は映画のファイトクラブと同じ考え方だと思います。
"持っているものに束縛される。"
私たちは持っている物、今いる立場に固着しています。なぜなら、それがあたかも私たちの幸せの証拠みたいに扱われているからです。
経済社会においてモノを持っていることは幸せの象徴で、持っていないことは惨めに見えます。
私たちは人からどう見られているかで自分の立場を測っています。お金を持っているか。高いブランド品を持っているか。いい職についてるか。家は広いか。学歴は優秀か。友達は沢山いるか。
人に羨ましがられる様になりたい。かっこよく思われたい。可愛く見せたいって思ってる。誰だって惨めに思われたくないし、馬鹿にされたくない。
でも持てば持つほど肩に重みが増して、背伸びすればするほどかんじがらめにされて、日常に閉塞感を感じるようになります。
だからって急にじゃあ明日全て捨ててしまおうって思っても文明社会においてそれは誰にでも出来ることではない。
だって明日から貴方はどこの誰でもないホームレスでしかなくなってしまう。自分を知ってる人は1人もいない。社会から孤立してたった1人です。
全てを断つという極端で究極に難しい挑戦をしてくれたのがクリスです。
クリスはお金やモノだけではなく、身分も繋がりも帰る場所さえ捨てて身一つになって旅に出ました。もう帰らないつもりで。
そんな全て捨てた彼が旅の最後に見つけた心理が
"Share(繋がり)"だったわけです。
幸せが最高に発揮されるには、分かち合うことがベストだと思ったのでしょうか。
自分だけ幸せを感じても虚しくなるだけだったのでしょうか。
それとも人肌恋しくなったための言い訳だったのでしょうか。
それは最後まで彼にしか分かりません。
でも確かな事は、最後に彼は人と繋がることを選んだ訳です。
そして彼は繋がりを求めてアラスカから文明社会に帰る事を決意しました。
その後彼は不運にも帰ることなく死んでしまいましたが、、、、。
そんな彼の行動から学べることが10も100もある様に感じ、
いつまでもこの本が自分のバイブルになっています。
この本を読んだ直後の数年間は、いろいろ考えてしまい突拍子もない行動が増えた気がします。一人旅して擬似into the wild体験をしてみたりしながら、最近やっと自分なりにこの先の生き方や振る舞い方を決めました。
それ以来なるべくモノを持たず身軽でいたいと心から思う様になりました。
そして家族がどれだけ自分の生命線になっているか思い知りました。
みなさんにも是非読んでいただきたいです。
映画もすごいクヲリティーです。
経済社会で身の回りがモノにあふれた幸せを、今一度それが本物の幸せなのか考えるいい機会になるとおもいます。
ただ、幸せのあり方は十人十色なので違うのが当たり前です。恋に生きるのが幸せの人もいれば、生き甲斐が家族だったり、趣味だったり、それがモノであることもしかりです。
ただ今、漠然と閉塞感や不安で悶々としてる方にはいいスパイスだと思います。
よかったらエディーのアコースティックギターと共に読書してみてください笑