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まんやま独歩

浮嶽神社の仏像

背振山地の北西端にある浮嶽神社に行きました。
そこに収蔵してある仏像を見るためです。
神社に仏像?
そうなんです。明治の神仏分離政策による廃仏毀釈の難から、地元の人がこの神社に移し守られた仏像です。
元々仏像は、同じ地に建っていた久安寺にあったものだそうです。

浮嶽神社


一見してふつうの神社です。
ところが、境内の収蔵庫には平安時代に作られた仏像が安置されています。

まずは地蔵菩薩立像

(許可をもらって撮影しています)



8の字の袖口






この地蔵様を拝観するのは2回目です。
初めて見たのは3年前、九州歴史資料館での「九州山岳霊場遺宝」特別展のときで、そこで受けたインパクトが大きく、機会があればこの像が祀ってある浮嶽神社をいつかは訪ねたいと思っていました。
それが実現しました。ゆっくりと色んな角度から仏像を眺めることができ大満足です。


この地蔵様の右側の仏像はここで初めて見たのですが、その佇まい、流麗な美しさに衝撃を受けました。
なんと美しい仏様だろう、と。


如来形立像
















如来形坐像


こちらの仏像は、ウソは許しませんよ、というような厳しい表情をされています。








この目で見つめられると、思わず「ご免なさい」と言ってしまいそうです。
それぐらいの目力のある仏像です。


以上の3体はいずれも平安時代前期の作だそうです。
つぎは平安時代後期に作られた仏像です。


阿弥陀如来坐像


こちらも「九州山岳霊場遺宝」特別展にも展示されていたので、2回目の拝観になります。











最後に、神将形立像


先ほどの阿弥陀如来坐像の周りを囲むように7体の神将が配置されていました。
元々は十二神将で薬師如来像を守っていたのでしょうが現在はこのような展示になっています。

ボロボロです。




仏を取り囲むように守護する神将




虫食いや傷みがひどく立てない神将は、寝せて仏をお守りされていました。


痛々しい仏像ですが、3年前の「九州山岳霊場遺宝」展にはこの神将形立像が展示をされていたのです。
繰り返しになりますが、あの時は浮嶽神社の遺宝として地蔵菩薩立像、阿弥陀如来坐像、そしてこの神将形立像でした。
アート(芸術)という点では如来形立像なのでしょうが、あえて傷みの大きい神将形立像が選ばれていたことに今更ながら感動を覚えました。
同じように歴史の風雪に耐えたという点でどの仏像も尊いのです。
神将立像は、明治の廃仏毀釈の頃もかなり傷んでいたのではなかろうかと思われるのですが、他の仏像と同じように、災難から避難させた地元の人達、その方々の信仰心の厚さには敬意の念を抱かずにはいられません。



収蔵庫の様子
(庫内は照明が暗かったので、うまく写っていません。←言い分け…)











この後、山岳信仰の山・背振山の最北の山・十坊山に向かいます。
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