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高天原への扉

水瓶座の時代を生きるヒント

大自然の禊払い

2013-02-28 11:58:27 | 水瓶座の時代を生きるヒント

私たちは、常に大きな愛に包まれています。太陽は、常に私たちの頭上にあり、熱と光を供給し続けています。そこには何の見返りも求められることはありません。もし、この世に光がなくなれば、この世は闇と極寒の世界となりましょう。

月は、私たちに優しい光を投げかけ、強い太陽の光を和らげて夜の世界を照らして下さっています。月は、世界の奥深い美しさというものを教えて下さっています。月の満ち欠けによって、潮の満ち欠けがあり、月の光に照らされることによって、人は優しさというものに気づくのではないでしょうか。

地球は、多くの生命を育んでいます。海や山、空をあらしめ、木々や草花を育み、昆虫や魚や鳥、獣達といった活発に生を営むものたちを生かしておられます。

私たちは、太陽、月、地球によって常に生かされているのです。何も見返りを求められることはないのです。電気代やガス代、水道代といったように請求されることはないのです。ただ、受け入れられているのです。

大自然を見てください。その中に自らの心を溶け込ませてみて下さい。都会の喧噪(けんそう)を離れ、川の流れに耳をすませて見てください。ゆっくりと流れる雲に心を泳がせて見てください。風を感じ、鳥達の声に耳を傾けて見てください。寄せては返す波音の安らぎを感じてください。

そういった私たちを包み込んでいる世界に思いを向けたとき、日々、あまりにも自分のことばかり考えていた自分と言うものを知ることでしょう。人は、気が付けば自分のことばかり考えているのです。自然という豊かさを目の当たりにしたとき、自分の小ささというものを知るのです。

そういった大自然というものに自らの心を溶け込ませ、日々の生活というものに目を向けて見てください。そのとき、今まで見えなかったことが見えてくることでしょう。

人の評価ばかり気にしていた自分、人の評価ばかり求めていた自分、人を恨み、世界を恨んでいた自分、人を憎み、世界を憎んでいた自分、お金を求めて汲々(きゅうきゅう)としていた自分、思い通りに自分の人生が運ばないことに対する焦りや苦しみ、欲望に振り回されていた自分、そのような自分に気づくことでしょう。

太陽、月、地球、そして地球の大自然の中に、私たちは小さな小さな人間社会というものをつくっています。事細かにルールを決め、お互いの魂を縛り合い、人よりも高い評価を求め、人よりも裕福な生活を求めて生きているのです。大自然を見てください。大自然に自らの心を溶け込ませて、人間社会を見てみて下さい。人間達の愚かしさ、日々の己の心の醜さというものが見えてくるのではないでしょうか。

本当は、難しいことを知る必要はないのです。大自然に己の心を溶け込ますということ、たったそれだけでも日々、穢してしまった己の心というものを洗い清めることができるのです。

反省や精神統一をすることは大切です。しかし、大自然に己を溶け込ませるというたったそれだけで、心が清らかになることもあるということは知っておいて頂きたいと思います。


神の大神殿とコトバの力

2013-02-26 14:38:23 | 水瓶座の時代を生きるヒント

「大宇宙大自然界に意識あり。
意識は大宇宙体を支配し、万生万物をして調和の姿を示さん。
万生万物は、広大無辺な大慈悲なり。
大宇宙体は意識の当体にして、意識の中心は心なり。
心は、慈悲と愛の塊りにして、当体意識は不二なることを悟るべし。
この大意識こそ、大宇宙大神霊・仏なるべし。神仏なるがゆえに、当体は大神殿なり。
この現象界における太陽系は、大宇宙の小さな諸器官の一つにすぎず、地球は小さな細胞体なることを知るべし。
当体の細胞なるがゆえに、細胞に意識あり。
かくの如く、万物すべて生命にして、エネルギーの塊りなることを悟るべし。
大宇宙は、大神体なるがゆえに、この現象界の地球も神体なり。
神体なるがゆえに、大神殿なるべし。」-高橋信次 「心行」


私たちの生きているこの世界、現象世界は、神の心によって存在しています。神の心の中に私たちは生きていると言ったほうが良いかも知れません。目に見えるもの、耳に聞こえるもの、鼻で感じる匂い、舌で感じるもの、手で触れるもの、五感の世界はことごとくこれ神の心の中にあるのです。

そして、私たちの生きている地球、これは神の大神殿であります。私たちは気づこうが気づくまいが、神の大神殿の中に暮らしているのです。

皆さまは、お寺や、神社、教会などに行かれるとき、とても神聖なお気持ち、清らかなお気持ちでいらっしゃることかと思います。そのときの気持ちを日々大切にして頂きたいのです。なぜなら、神の大神殿に今、私たちは住んでいるからなのです。神の大神殿に、今、自分は居るのであると思って、心の穢れを取り払って生活して頂きたいと思います。


「完全なる神の
『心』動き出でてコトバとなれば
一切の現象展開して万物成る。
万物はこれ神の心、
万物はこれ神のコトバ、
すべてはこれ霊、
すべてはこれ心、
物質にて成るもの一つもなし。」-谷口雅春 「甘露の法雨」

同じことをこちらでも言われています。神の心によって万生万物が成り立っています。すべてが神の内にあるからこそ、日々、私たちは既に与えられているものに目を向けて感謝して行かねばならないのです。感謝し、自らが幸福であることを実感して行かねばなりません。その幸福感を伴った感謝は、心の法則に従ってあなたを更に幸福へと導くということを知って頂きたいと思います。

また、万生万物をあらしめているのは、コトバであるとも言われています。

古来より、日本では言霊(ことだま)といってコトバには力があるとされて来ました。私たちは、言葉というものを大切にしてきたのです。八正道というものの中にも、正しく語るという項目がありますが、言葉は大切なものであります。日々、美しい言葉を心がけるということ。そのような中にも、御霊を輝かせる道はあるのです。美しい言葉とは、美辞麗句ではありません。己を飾ることをもって、美しい言葉であると思ってはなりません。

美しい言葉とは、褒める言葉であります。褒めるとは、愛でる言葉であります。人の中に眠る神の性質を認め、呼び覚ますということであります。けなす言葉というのは、人の神性を穢す言葉であります。それは、その方の神性を包み隠して仕舞うがゆえに、罪であるのです。

ネットの世界では、人をけなす言葉が飛び交っています。自分が日々罪を犯しながら生きているということに気づかずにされておられるのです。それはとても悲しいことではないでしょうか。人として恥ずかしいことではないでしょうか。

コトバは、神のお与えになった創造力の現われであります。日々、自らの言葉によって、何かを創造しているのです。イエス様はコトバによって、人の罪を許されたのです。「汝の罪は許されたり」と言って、自らつくってしまった罪にとらわれた人々の心を解き放ったのです。

八正道の中に、正語というものが入っているのも、日々自らが行っている創造力で何を創り出しているかを知る必要があるからです。神の大神殿に住まいながら、コトバにて何を創造しているのか、それを知れということであります。コトバとは、「心行」の「行」に当たるのです。

否定的な言葉は、そのコトバの力によって、否定的なものを造りだしているのです。

人は、肉体的に傷つくよりも、コトバによって深い傷を負って生きていくのではないのですか。今、地上にはとても否定的な言葉ばかりが蔓延(まんえん)しているということに気づかねばなりません。

それに気づいたならば、気づいた方から良きコトバを使って頂きたいと思います。今、地上には、良きコトバが不足しているのです。

自らを光の使者であると自負する方々よ。人の非をあげつらうことが、光の使者されることでしょうか。人を否定するような言葉を吐くことが、光の使者のされることでしょうか。それをよく振り返って頂きたいと思います。


魂の進化とは何か

2013-02-25 16:34:25 | 水瓶座の時代を生きるヒント

「私達はあらゆる面から体験しなければなりません。欲する側を学び、また与える側を学ばなくてはならないのです。」
「知恵はごくゆっくりとしか身につかない。なぜなら、短期間で簡単に得られる知的な知識が、"感覚的"あるいは潜在意識のレベルでの知識へと変わらなければならないからだ。一度この変化が起これば、この知識は永遠のものとして刻み込まれる。この変化のためには、触媒として行動が必要である。行動がなければ、単なる言葉だけの知識は枯れて色あせてゆく。」―ブライアン・L・ワイス「前世療法」

「知行合一」という言葉があります。知っていても実際に行わなければ、それは知らないのと同じであるという言葉です。人は神の子であるというたった一言ですら、私は「本当に知っているのだろうか?知っていると言えるだろうか?」と自問自答することがあります。多くの方がアセンションを語り、神の子を語り、愛の大切さを語っておられるのを見て、私は、時折、悲しくなるのです。それは、そのような方々の多くは、いざ自分の目の前に苦難困難が立ちはだかったとき、逃げ道を探される方があまりにも多いからなのです。

例えば、ガンだと告知されたとき、「神よ。この病を癒したまえ」と必死で祈ったり、先祖が成仏していないからだとして必死で先祖供養をしたりと、そのガンから逃げる道を必死で探される方があまりにも多いのです。人間は永遠の生命であるということを本当に知っていたなら、ガンを受け入れ、残りの人生をいかに過ごすのかという前向きになられるのではないかと思うのです。お世話になって来た人たちにお礼をしておきたい、自分の死後、子供や伴侶が困らないようにと「こんなときはこうして下さい。」といった沢山のメモを残す方も居られます。あるいは、やり残した事をやっていこうとされる方もいらっしゃいます。中には、今のうちだと言って好きなものを食べておこうと前向きな方もいらっしゃいます。

私達は、一つ一つの知識に対して、本当に魂から分かっているのかということを確認しておかねばならないのです。それが何度も何度も生まれ変わって来ている理由でもあるからです。


「人間は、地上界に一回生まれたというだけで、完成されるものではない。
神は、それを望んでもいない。
転生輪廻の積み重ねの経験をとおして、豊かな心がつくり出されて行くということを知るべきである。
そして、もっとも重要なことは、無駄な体験をくり返さないように生活することであるといえよう。
そして、あらゆる体験に対して、感謝することを忘れてはならない。悪をとおして善を知り、善をとおしてより大善を知るようにすること。これが私達の心を豊かにするための教訓である。」-高橋信次 「心の原点」

高橋信次氏は、八正道と実践の大切さを説いて居られました。「心行(しんぎょう)」という言葉に表されています。「心」とは、思いですね。「行」とは行いですね。思いを清めて実践をせよということではなかったかと思います。

霊感を得たり、霊道を開くということは魂の偉さを示しているのではありません。霊道を開いたからといって、その方が偉いということを示しているのではないのです。たとえ前世、偉大な魂であったとしても、それはそれです。大切なのは、日々の思いと行いであります。今世の自身の「心行」が大切であるのです。今世の「心行」が魂を向上させていくのです。それが転生の意味です。

失敗しても構わないではありませんか。失敗は失敗として魂にとっての体験になるのです。それも栄養になるのです。人として生きて、失敗しなかった人もいなければ、悪を犯したことのない方もいないではないですか。死したとき、「良いことも悪いこともしませんでした」というのでは、何のために肉体を持って生まれたのか分かりません。自らの魂の向上を目指されるのであれば、実践ということを大切にして頂きたいと思います。

近年、肉体を持たれた方で、作家の宇野千代という方が居られます。恋愛というものを中心に実地に学びを深められた方です。若い頃は、とてもひどい生き方をされた方であります。○×でつけるならば、×だらけの生き方でありました。しかし、晩年は自らの生き方から学びを得られ、死後は高次元の世界におかえりになられておられます。そのような方もいるのです。宇野千代さん程、一度の転生の中で実践というものを行った方は居られないかもしれません。

スピリチュアルなブログでこのようなことを申し上げるのは変かも知れませんが、霊的なものに興味を持つ前に、日々の生活というものを大切にして頂きたいのです。日々、自分が接する人たちを大切にして頂きたいのです。そこがスタート地点であるのです。自分の置かれている現実に目を瞑っていては、魂の進化などないということをどうか知って頂きたいと思います。


心の法則とは何か

2013-02-24 02:12:31 | 水瓶座の時代を生きるヒント

「三界は唯心の所現である。すべてこの感覚に映ずる世界、ことごとくはこれ心の所現の世界である。」
「この現象界に現われているものはみなこれ唯心の所現である。心の現われである。」-谷口雅春 「生命の実相」第21巻 経典編

これが心の持つ力であり、法則なのです。私たちは、神より分かれてきた生命であります。神は、宇宙を創り、太陽を創り、月を創り、地球を創りました。人間は神の分け御霊であるが故に、神の持ち給えるその偉大な創造力というものをもっています。それをあらわしたもの、それが「三界は唯心の所現である。」という言葉であります。

「人生の法則は信念の法則です。何であれあなたが知的に受け入れ、真実だと思うものは実現されます。」
「あなたが実際に考え、心の奥底で感じていることが、あなたの人生のあらゆる面を支配しているのです。」―ジョゼフ・マーフィー 「人生に勝利する」

この心の持つ力は偉大である一方、危険も伴っています。それは、何であれ実現するということであるからです。

谷口雅春氏は、その教えの中で取り越し苦労してはいけないと言われています。それは、取り越し苦労というものは、将来に対する不安ですね。その不安を思っているとそれが現実のものになってしまうのです。

「本来、肉体なし」「本来、病なし」というのも禅でいうところの一括であります。病気、病気と言って、「神様、どうかこの病気をお癒し下さい。」と祈れば、それは病気をあると思っているのです。それは病気にとらわれているということですね。ですから、病気に心とらわれるな。とらわれていると良くはならないということであったのです。

大切なことは、偉大なる神の子を自覚し、本来の創造力を存分に使って生きよということです。それが谷口雅春氏の教えであったのです。偉大なる神の子とは何かを知れ。迷っている自分とは、本来の姿ではない。そんな偽者の自分を捨て去れということなのです。偽者の自分を捨て去って、神の子としての本当の自分、御霊として生きよということにあったのです。

言葉にすれば「良い事を思っていればよい事が来るんだ」という表現にはなりますが、これを上っ面だけで捕らえてはならないのです。ジョゼフ・マーフィーは、信念の法則であると言っています。信念にまでなったものが実現してくるということであるのです。

例えば、今、心の中には将来に対して不安があるとしましょう。将来、仕事がなくなるかも知れない、首になるかも知れない、首になってまた仕事が見つかるだろうか、とても不安である、そんな気持ちでいっぱいになっているとしましょう。そこで、これはいかん!ということで、よいことを考えればいいんだなと思って、必死に言葉に出すとしましょう。「よい事が来る。よい事が来る。自分は大金持ちになるんだ。」と口に出すとしましょう。もし、そのとき、不安で不安で仕方ないという気持ちが心の中にあったなら、いくら口でよいことを言おうとも心の中にある不安というものを更に信念にまで高めてしまうことになるのです。そして、段々と不安が現実になってしまう。そのようなことがあるのです。これが腰砕けの光明思想であります。

先日、原因と結果の連鎖の時間が早くなっていますよとお伝えしたのは、この心の法則に関係しているのです。

現在、あなたの置かれている環境というものが不幸だと思われるような状況であったと致しましょう。その状況に対してどうにかしようとしてはなりません。それは、過去のあなたの心の信念が創り出した結果であるのです。結果に対しては受け入れるしかないのです。「神さま、この不幸をわが前より取り去り給え」と祈るような気持ちでは、病気の話と同じで、不幸というものに心とらわれ、不幸があると更に信念をもつこととなるからなのです。大切なのは、心を入れ替え神の方を向いて心を明るくすることであるのです。それが新たな種となり良い結果を生んでいくのです。

感謝をするということは、心の法則から言っても、とても大切なことであるのです。感謝というものを「ありがとう」と思うことだと簡単に考えておられる方がいらっしゃいますが、それではあまり意味がありません。感謝とは、自分に既に与えられたものを見つめる作業であります。既に与えられている幸福に目を向けるということであります。既に自分が幸福であると知ることであります。そうして自分が幸福であるという感覚を持つところまで感謝が進みますと、心から「ありがとう御座います」と思えますね。そうしますと、自分は幸福であるという信念になってくるのです。ここまでお話すると足ることを知るという言葉が単なる美徳ではないということが御理解して頂けるかと思います。

貧しいものは更に貧しくなり、不幸なものは更に不幸となって行きますが、豊かなものは更に豊かになり、幸福なものは更に幸福になって行くということが起きて参ります。

もし、今、あなたが不幸であるならば、それは与えられた神の創造力をあなたご自身が使って実現したものであるのです。もし、今、あなたが幸福であるならば、それは与えられた神の創造力をあなたご自身が使って実現したものであるのです。

それゆえ、神と一体となる自覚、神の素晴らしい御性質が既に与えられているということを自らの中に見出して行くということが大切であるのです。


愛のヒント

2013-02-23 01:05:21 | 水瓶座の時代を生きるヒント

愛が大切だと言う人、愛を与えることが大切だと言う人は多いものです。しかし、愛とは具体的にどのような思いと行いであるのかを考えている人は少ないものです。自分のどのような行為が愛であるのかに気づく人もまた少ないものです。そして、自分がどれ程愛されているかということに気づく人もまた少ないものです。

ここに一つのヒントがあります。

「相手の言葉に耳を傾けることは、愛情を示す行為だ」
「何年もたつうちに、私たちはだんだん相手に注意を払わなくなる。他に気をとられることがふえ、相手の声がだんだん耳に入らなくなるのだ。そのために、いちばん話を聞く必要のある人の話をほとんど聞いていない。」
―レオ・バスカリア 「愛するヒント 生きるヒント」

愛の大切さを知る人よ。

あなたは奥さんの話を聞いてあげていますか?「疲れた。寝る」と言って取り合わずいたりしませんか?

あなたは旦那さんの話を聞いてあげていますか?子供たちを巻き込んで家族の中でのけ者にしていませんか?

あなたはお年よりの話に耳を傾けていますか?汚い臭いといって関心すら向けていないということはありませんか?

あなたは子供が学校であったことを話し出したとき耳を傾けていますか?話も聞かずに「宿題は?」と言っていませんか?

「ほんとうに相手の話を聞いているかどうかは、相手が話している間をどう使っているかによってきまる。
あなたは、自分の番がきたら何を話そうかと思いめぐらしているのだろうか。明日の献立を考えているのだろうか。それとも相手の癖や服装、言葉づかいなどを観察しているのだろうか。あとで口論になったとき、私たちははじめて、自分がどれだけのことを聞きもらしたかがわかるのだ。」
―レオ・バスカリア 「愛するということ 愛されるということ」

私たちは、人の話を聞くときでさえ、相手の言わんとしていることを真剣には聞いていないものです。それどころか、相手の言わんとしていることを勝手に解釈し、時には嫌味を言っていると被害妄想にすらなる人もいらっしゃいます。たった一度、「あなたの言っていることは、こうこうこういうことですか?」と確認すれば、相手の言いたいことを正確に聞くことができるものです。違えば「違う」と言ってくれるでしょう。そして、自分の理解と一致したとき、相手にもちゃんと聞いてくれていると喜びを与えることができるのです。もし、そんなこと聞けない、と思われるときは、「その言葉を聞いて、私は辛く感じてしまいます。」と自分がどう感じているかをそっと伝えて見ましょう。あなたの誤解であることが分かるかも知れません。

振り返って見てください。どれだけの人があなたの言葉に耳を傾けてうなずいてくれていたかを。そのとき、あなたは愛されていたのです。愛をもらっていたのです。もし、誰も話を聞いてくれなかったと思うならば、それはあなたが人の話に耳を傾けてこなかったからなのかも知れません。

人間関係は、相手の話を聞くことから始まります。人間関係を調和したいと望むならば、まず、相手の話をよく聞くことからはじめてみませんか。相手があなたに伝えんとしていることに耳を傾けるのです。話を聞く、たったそれだけで人間関係が調和していくのを実感される方もいらっしゃることでしょう。なぜなら、相手の話に耳を傾けるということは、愛を与えることであるからです。聖書にもありますね。「与えよ。さらば与えられん。」の法則であります。


汝の隣人を愛せよ

2013-02-21 10:03:03 | 水瓶座の時代を生きるヒント

私たちは、肉親や友人、仲の良かった方々を失うことがあります。そのような時、とても寂しくなり、悲しくなるものです。そして、時折思い出しては、懐(なつ)かしくなりとても会いたい気持ちになられることもあるかと思います。

私たちは、永遠に生きています。死は永遠の別れではありません。あの世に還ってからもまた会うこともありますし、そのような会いたい方々とも、今度地上に生まれるときにも一緒に生まれることもできるのです。

今のあなたの持っておられる人間関係というものは、かつてあなたご自身が「また会いたい」と思っておられた方々であります。今は思い出せないかも知れません。しかし、かつてあなたご自身が死を悼(いた)み、また会いたいと思い続けていた方々と一緒にいるということなのです。

確かに、カルマの刈り取りの為に、苦手だった方と一緒になることもあります。しかし、家族や友人、仲が良かった方という方に囲まれているのは確かなことなのです。

そう聞けば、更に愛しい気持ちが沸いて来ませんか。ご自身の人間関係が愛しくなりませんか。御家庭を、周囲の方々を大切にして頂きたいのです。


「ほかの人と心を通わせることができるかどうかは、子供の頃のスキンシップの有無と密接に関係があることがわかっている。私たちは身近な人とのふれあいをとおして、愛情、やさしさ、そして安心感とはどういうものかを知る。」―レオ・バスカリア 「愛するということ、愛されるということ」より

子供を抱きしめていますか。子供達は、家族に抱きしめてもらいたいのです。怒るばかりせずに、そっと子供を抱きしめてあげて下さい。そして愛を伝えてあげて下さい。花たちが日陰でなかなか育たぬように、家族からの愛が足りないと、人を愛するどころか自分すらも愛することができなくなって行きます。花に水をあげるように、子供達をそっと抱きしめてあげて下さい。


「スキンシップにたいする欲求は、命あるかぎり消えることはない。文化的背景からくる規制がどんなに強くても、その欲求を追いはらうことはできない。」―レオ・バスカリア 「愛するということ、愛されるということ」より

同書には、ドナ・スワンソンの詩が紹介されていましたので、御紹介しいます。

「だれかが最後に私にふれてから、どれくらいの歳月がたったでしょうか

夫のハンクが死んでからもう二十年・・・・・

私をうやまい、微笑みかけてくれる人は大勢います

でも、ふれてくれる人はだれもいません

神様、私はさびしくてたまらないのです

ハンクや、赤ちゃんだった子供達のことを思い出します

思い出のなかでは、なぜかあの人たちはいつも一緒・・・・・

私がちょっぴり太めになっても、若さが衰えても、

ハンクは少しも気にしませんでした

そんな私が大好きだといってくれました

私にふれるのが好きでした

子供達は、いつもいつも、私にまとわりついていたものです

神様、私はさびしくてたまりません

神様、私は子供たちをりっぱで申しぶんのない大人に育て上げました

でも、愛情たっぷりのおばかさんにも育てておけばよかった・・・・・

子供たちは、素敵な車に乗ってやってきます

私の部屋にきて、たわいのないおしゃべりをします

思い出話に花を咲かせたりもします

でも、だれも私にふれてはくれません

あの子たちは、私をママと呼びます

お母さんとか、おばあちゃんと呼びます

でも、ミニーとは呼んでくれません

母は私をミニーと呼んでくれました

友達もです

ハンクもミニーと呼んでくれました

でも、みんないなくなってしまいました

そして、ミニーも・・・・・」


あなたは、愛する人たちにそっとふれていますか?握手したり、そっと背中に手をあてたり、肩をもんだりしてあげていますか?たったそれだけでも、愛を伝えることができるのです。



転生輪廻

2013-02-19 17:35:14 | 水瓶座の時代を生きるヒント

人は永遠に生まれては死に、死してはまたあの世に旅立ち、そしてまた再び新たな生を得て地上に生まれ変わって来ています。時を越え、何度も何度も生まれ変わりを繰り返しています。

人が他の動物や昆虫などに生まれ変わることは、基本的にありません。中には、人間の尊厳を取り戻すために、他の動物に生まれる方もいますが、それは極々まれな話です。

「親子になる場合は、過去世においても、親であったか子であったか、とにかく親子という関係であったことが全体の七割くらいになります。
二番目に多い間柄としては、過去世で大変お世話になった御霊に対し、お礼の意味で親になる場合です。この中には過去世で、兄弟姉妹に生まれたり、伴侶や友人として、何度も近くにいた御霊が多いのです。」―天乃河ます美「幸せを呼ぶ龍宮物語」より

私達は、いつも似た環境にそれぞれ課題を持って生まれてきます。あなたのご家族は、他の転生でも家族や友達としてあなたと一緒に生きて来たのです。今世の父や母は、かつてのあなたの兄弟、姉妹であったかも知れませんし、仲の良かった親友であったかも知れません。そういった一定の魂グループをつくって私達は、何度も何度もこの地上に生まれてきては生活を共にしているのです。


ペテロは、ブライアン・L・ワイス氏のもとへ前世療法を受けにきます。その中で彼は、4、500年前、スペインに生まれた時のことを思い出します。その時の名前は、フランシスコでした。彼は、妻と息子を残し、遠くはなれたジャングルへ金を探しに行った一船員でした。そのジャングルの中で彼は熱病におかされ、仲間達に見捨てられて死んでいくものでした。フランシスコは二度と妻子に会うことはありませんでした。その記憶を思い出す中で、ペテロは思い出します。

「『息子が誰かわかります。彼は私の兄です・・・そうだ・・・彼はホアンだ・・・なんてすばらしいことだ!』ペテロが修道士だった時、兄は僧院長だった。」―ブライアン・L・ワイス「魂の伴侶」より


「夫婦の縁というのは、親子の縁、兄弟姉妹の縁というような血縁以上に深い縁をもっております。」
「成人するまで、まったく違った環境に育った者同士が出会い、結婚し、人生の大半を共にする伴侶とは、親子の縁と同じくらい、霊界において一番先に決めておきたいとされる事項です。
 さて、一番多い夫婦の問題ですが、やはり、過去世で夫婦であった場合が、親兄弟よりも割合が高く、八割を超えます。それだけ、三次元の世間で他人と暮らすことは大変である事をよくわかっているということです。だから、過去世で何度も夫婦であった、よく知っている御霊を選ぶのです。
 ですから、三次元では、一応は他人ですが、非常に縁の深い者同士であるのです。その事を忘れがちな社会に、今、貴女方は暮らしているということです。」―天乃河ます美「幸せを呼ぶ龍宮物語」より

よくご自分の周りを見回してみて頂きたいのです。ご自身の周りにいる方々は、いつもあなたと一緒に生まれ、苦楽を共にしてきたのです。永い永い年月、一緒に暮らしてきたのです。そう考えたならば、その方々を愛し、いたわり、大切に生きていく事がどれ程大切かということに気づいて頂けるかと思います。


永遠の生命

2013-02-18 10:47:12 | 水瓶座の時代を生きるヒント

永い歴史の中、永遠の生命を得んとした方は沢山いました。しかし、人間は、既に永遠の命を持っています。肉体生命は滅びますが、生命そのものは永遠に生き続けているのです。多くの方が望んでいた永遠の生命と言うものは既に私達には与えられているということを知らねばなりません。

「この世の現象界とちがい、あの世では死はないのです。」
「ノアの洪水が起こり、人びとが水の底に沈んでも魂は死ぬことはできません。それだけ苦しみが続きます。この世は病気で苦しければ、麻酔薬で眠ることができ、その苦しみからいっとき開放されることができます。ところが、あの世はそうはいかず、その苦しみからのがれるためには、苦しみの原因をとり除くしかありません。
苦界からの解脱は、苦界に陥った原因を正さなければならないのです。魂の死は永遠にめぐってきませんから、生きるための調和をはからなくてはなりません。死を称して永眠といわれますが、残念なことに、永眠などと言うことは絶対にないのです。」-高橋信次 「心の対話」より

御霊というものは、永遠に生き続けています。永遠に生き続け、永遠の旅をしているのです。肉体こそが自分であると思ってはなりません。死して迷っておられる方々の多くは、死後も肉体にしがみついておられます。もう既に肉体がなくとも、何千年もしがみついている方もいるのです。肉体がなくなったことをどのように受け止めたらよいか戸惑い、それでも生きている自分というものに戸惑い、自らが死したのであるということを受け入れることができずにおられるのです。

「苦しみからのがれるためには、苦しみの原因をとり除くしかありません。」と言われています。第一段階としてはまず、死というものを受け入れるということが大切です。「あぁ、自分は死んだんだな。もうこの世のことはおさらばしなくてはいけないんだな。もう、この世のことは諦めて、あの世へ行って生活をするんだな。」と思えれば、それでよいのです。

生前に自分の生命というものは、永遠に生まれ変わりながら生きているんだということを知っておくことは非常に大切です。知っていても、腑に落とすということは難しいかも知れません。しかし、そういうことだけは知っておいて頂きたいと切に願っております。

先日来、ブライアン・L・ワイス氏の「前世療法」という書籍から言葉を御紹介しております。「前世療法」という書籍は、読めば「人間って本当に永遠に生きているんだな」と実感して頂けると思います。お読みになられておられない方は、是非御一読を心よりお勧め致します。


これから何が起きてくるのか

2013-02-17 01:06:11 | 水瓶座の時代を生きるヒント

◎これから何が起きてくるのか

今日お話する内容は、とてもにわかには信じて頂けないないだろうとは思います。変になったと思われる方もいらっしゃるかも知れません。しかし、一人でも多くの方に気づいて頂ければと願いお話することに致しました。

これから地球人類にとって予想を超えることが起きて参ります。

出口王仁三郎氏は、「火の雨が降る」と言われておりましたが、原爆のことではありません。ロシアに火の玉が降りましたが、それも、まだ火の雨ではありません。ロシアへの火の玉も今回一度きりでは終わらないとも伺っております。今後、文字通り、火の雨が降ってくる可能性があります。

氏の予言は、予言の為の予言ではありません。このまま行けばこうなるという予言であり、予言のようなことが起きてはならない、悲惨なことになるからそれを何とか緩和せんという目的の為に、大本教があるといわれています。

地球人類は既に7度、滅びの門をくぐって参りました。今回で8度目といわれております。7度目にあたるアトランティス末期は、地球史上、もっとも悲惨なものとして記録されています。アトランティス大陸が沈んで行った際、多くの方々が命を失って行きました。その後、1万年以上が過ぎたつい最近まで自分が死んだということに気づけずに迷っておられた方が何人もいらっしゃった程、悲惨な文明の最期であったのです。

しかし、今度の8度目は、そのアトランティスを上回る悲惨な歴史として記録されて行くことが天上界の方でも言われています。大洗濯の時代、大峠の時代であります。地上では、「アセンションがはじまる」と思われておられる方がいらっしゃるようですが、そうではありません。先に大掃除がなされた後、御霊の心音の美しい方々が一人一人アセンションして行くのです。たとえ大峠を越えて生き延びたとしても、すべての方がアセンションして行くのでもないのです。

遥かなる昔に立てられた天上界の計画では、グローバルアセンションというものは御座いました。人類が次元上昇する予定は確かにありました。しかし、地上は乱れ、人心は乱れ、当初の天上界の計画も崩れて行きました。それゆえ、各人においてアセンションして頂くしかない状況になって来ているのです。そこを誤解されておられる方が大変多いように思います。

また、現代、日本の各地において、次元が歪んで行っております。三次元でありながら、四次元の間、三.五次元ともいうべき状況が広がっております。敏感な方ですと、頭が重くなったり、異常に疲れるような不思議な感覚、頭がもわっとおわんを被ったような感覚におちいるかもしれません。それもアセンションが近づいているのでもなんでもありません。とても気をつけなくてはならないことなのです。それは、地上に一番近い四次元とは、地獄界であるからなのです。その次元の歪みが激しい場所では、よく交通事故などが起きているようです。どうしてこんな事故が起きたのかと事故を起こした当事者ですら分からないような、ちょうど狐につままれたような感じを受けられる方もいらっしゃるかも知れません。

次元のゆがみが起きている理由としましては、既に四次元以降の世界においては地震や津波、地殻変動が起き大変な被害が出ております。しかし、三次元ではそれが起きていません。本来、三次元世界というのは、四次元以降の世界に起きたことが投影されてくる世界であります。しかし、現時点では起きていないということが、次元の歪みとなって現われているようなのです。これは、三次元には起きないということではなく、その歪みは反動を伴って現象化する可能性があることを意味しています。

今という時は、そのような時代の中にあるということを知って頂きたいと思います。


◎天上界からの重要なメッセージ

今、天上界の諸霊が一人一人に訴えかけておられるのは、とても簡単なことなのです。「御霊はあります。御霊は永遠です。肉体が自分であると思ってはなりません。」と単純なことであります。

ブライアン・L・ワイス氏の「前世療法」の中で、マスターと呼ばれる霊的な存在からの言葉にも次のようにあります。
「命には終わりがない。そして、人は決して死なないのだ。新たに生まれるということも本当はないのだ。ただ異なるいくつもの場面を通り過ぎて行くだけなのだ。終わりというものはない。」「肉体の中にいるのが異例なことなのだ。霊的な状態にいるのが、自然なのだ。」

天乃河ます美さんの「幸せを呼ぶ龍宮物語」の中でも、玉依姫より何度も何度も御霊は永遠であると言われています。
「何度でも言っておきましょう。魂は永遠の存在です。その永遠の時の中を、永遠の存在である魂(御霊)は何百回、何千回と生まれ変わっているのです。貴女方は時々、神様は本当にいるのだろうか、いないのだろうかと、疑問というのではないにしても、様々な出来事に直面した時に思います。
しかし、安心して下さい。貴女方が神と呼ぶ存在は、事実、存在しております。その多くは、肉体を持って、貴女方と同じように転生を経験しております。はるか昔に肉体修行を卒業した者達であると思っておよろしいでしょう。」

玉依姫は、本当は色々と深遠な真理や、これからの文明がどうなっていくのか、大宇宙の秘密など御存知なのです。しかし、あえて御霊が永遠であると言う点を何度も何度も仰っておられます。
その意味するところをお考え頂きたいと思います。


苦難困難の意味

2013-02-14 17:40:03 | 水瓶座の時代を生きるヒント

魂修行とは何かについてお話をしましたが、もう少し掘り下げてお話したいと思います。

人生には、辛く苦しいことが起きて来ることが御座います。しかし、それは苦しみの為の苦しみではありません。神が罰を与えて苦しませているのでもありません。苦しいときというのは御霊としての学びがあり、御霊を更に飛躍させるものであるのです。

ブライアン・L・ワイス氏の「前世療法」の中で、マスターと呼ばれる霊的な存在から次のようなメッセージが投げかけられています。

「あなた方は自分の欠点に気づかねばなりません。もし、それを怠ると、次の人生に、その欠点を持ち越すことになります。自分でため込んだ悪癖は、肉体を持っている時にだけ、取り除くことができるのです。マスター達が私達のかわりにやってくれるわけではありません。もしあなたが争いを選び、しかもそのくせを取り除こうとしなければ、それは他の転生に持ち越されます。そして、自分はその問題を克服できると自分で決めたときには、もはや次の人生に持ち越すことはありません。」

ここでは、肉体に宿っている間に、ご自身の持っている欠点や悪い癖を取り除けと言われています。その悪い癖を取り除くために、苦難や困難が目の前に現われて来るのです。そのような貴重な機会であるということを知って頂きたいと思います。

また、マスター達は、「学びにも色々なレベルがあります。肉体を持たなければ学べないことがあるのです。痛みを感じないといけないのです。肉体のない時には痛みを感じません。人は肉体を持っている時、痛みを感じ傷つくことができます。しかし、霊魂の姿の時はその感覚がありません。肉体を持っている時にだけ・・・・・人間関係ということを体験できるのです。」と言っています。

痛みを感じたり、傷ついたり、苦しい思いというものも貴重な機会であるということなのです。御霊が向上し輝いて行く為には、痛みを知らねばなりません。それは、器を大きくしていくのです。他の人の苦しみ悲しみというものを心から分かるためには、自分もそこを通り越さねばなかなか分かるものではないのです。

そのため、7次元以上の世界におかえりになられるような方の人生の多くは、苦難困難というものが多かったりするのです。それは、人にもよられますが、更に人の気持ちを知りたい、大きな器になりたいと愛の念(おも)いが強い方などは、望んで自らそのような辛い人生を選択される方もおられます。

苦難困難を礼讃する必要はありませんが、苦難困難という一見不幸であるように感じるものにはそのような意味があるということなのです。

ですから、苦難困難を恐れてはなりません。逃げ惑ってはなりません。じっくりと腰を据えて取り組んで頂きたいと思います。「自分は神の子である」と「神の子の前には、解決できない問題などない」と思って勇気を持って取り組んで頂きたいと思います。


魂修行の意味

2013-02-13 11:17:19 | 水瓶座の時代を生きるヒント

◎魂修行の意味

人間がこの世に生まれてくるのは、魂修行のためであると言われています。この魂修行の意味をまだまだ分かっていらっしゃらない方が大変多いのです。

この世で生きておりますと、大変辛いと感じることが次から次へと目の前に起きて参りましょう。病気や失敗、失恋、離婚、失業、愛するものと分かれ、そして死。一見、悪いことと思えることが起きて参ります。しかし、そこから逃げてはいけないのです。なぜなら、その時こそがあなたにとっての修行の時であるからなのです。

それはその辛い時期をじっと耐え忍ぶことが魂修行であるという意味ではありません。誰もが苦しく辛く感じたり、嘆いたり人を恨(うら)んだりしてもおかしくないような状況の中で、如何にあなたは人のせいにすることなく、感謝をし希望を持って天上界とつながった心でもって、その時を過ごすことができるかということが試されているからなのです。旧約のヨブのように目の前にあらゆる災難が訪れたとき、神を呪うあなたであるのか、それとも、そのような苦境の中であっても、天上界に心を向け、感謝をして喜びを周囲に分け与えながら生きていくあなたであるのか、それが問われているのです。

このような神理を知っている人は多いのですが、いざ自分の身に災(わざわ)いが降りかかってきた時に、必死で逃げ道を探し、逃げ惑うのが実はほとんどであるのです。

そのような苦難と見える状況の中で、常に神に心を向け、日々感謝を忘れないことが大切であるのです。それができるようになった方は、魂修行として一つの卒業を向かえるのです。何も難しいことを知る必要はないのです。

ヘレン・ケラーという方は、それを身をもって人々に教えんがためにお生まれになられました。私の後姿を見よと人々を口で説き伏せるのではなく、自らの身をもって人々に真実の生き方をお示しになられたのです。


◎苦難困難への対処

知識はあれども、いざという時、人は逃げ道を探してしまうことが多いのです。それはとても勿体無(もったいな)いことなのです。

もし、苦難困難と見える現実から上手く逃げ延びたと感じていても、やがて時間をおいて再び目の前にやってくるものであるのです。いくら逃げようとも何度も何度もやってくることでしょう。しかし、一度克服したならば、もう目の前に現われてくることはありません。心して苦難困難に立ち向かって頂きたいと思います。

人生における苦難困難のときというのは、例えるならば、部屋の入り口が燃え盛る炎で包まれていて、おまけにその部屋には、窓もなく他の扉もない、ちょうどそのような状況であるのです。多くの方は、壁を叩いたり、どこか秘密の抜け道はないかと探したり、誰か天井からロープをたらして助け出してくれないだろうかと逃げ惑うのです。しかし、勇気を出し燃え盛る入り口へ飛び込めば、何と言うことはないのです。燃えていたのは、入り口の扉だけであったのだと知るのです。そのようなものであるのです。

あなたは神の子であるのです。あなたには神と同じ力が宿っているのです。神の子の前には、あらゆる苦難困難を解決することができるのです。解決できない苦難困難など、起きては来ないのです。必ず乗り越えて行けるものであるのです。

苦難困難の克服とは、己の心と戦うということであります。克己(こっき)、己に克(か)つということであります。

例えば対人関係に問題があるとき、「苦難困難に立ち向かう」ということを目の前に現われた敵と思しきものと戦うというように思われる方がいらっしゃいますが、そうではありません。敵は己の心の中にいるということです。相手は敵ではありません。同じ神の子であります。憎む相手ではなく、愛すべき相手であるのです。ご自身の中で、相手の神性を拝み出すという姿勢を持つことが大切です。人を恨んでしまいそうな己に打ち克ち、愛を実践するということです。商品を買ったときに、欠陥品を愛することはできないでありましょう。良品であってこそ、愛着がわき大切にするのではないのですか。ならば、相手の神性をよく見て、良品であると、良いものであると知らねばなりません。

例えば経済的なものに問題があるならば、自らの心の中に豊かさがないということを示しているのです。三界(さんがい)は唯心(ゆいしん)の所現(しょげん)であるのです。心に認めたものが現象化するという理(ことわり)があるのです。豊かさというものを心に把持しておれば、豊かとなって行き、貧しさを心に把持していれば貧しくなっていくということなのです。つまり、貧しさばかりに目を向けているのではないかということなのです。まず、現時点で与えられていることに目を向け感謝するということからはじめてみて頂きたいのです。豊かさとはお金ばかりではありません。人間関係が豊かであるとか、物が豊かであるとか、食べ物が豊かであるとか、豊かさと言っても色々な豊かさと言うものがあるのです。足ることを知るという言葉が単なる美徳ではないことに気づいて頂きたいと思います。


◎二極化とは何か

今、時間と言うものが早まっています。24時間が23時間や22時間になっているという意味ではありません。原因と結果の連鎖の時間が早くなっているということです。

それは、己の魂の持っている問題点、課題と言うものが目の前にどんどんと現われて来るということでもあります。己の心音がいかなるものであるのかということをまざまざと見せ付けられることとなって行くのです。魂の膿み出しの時期であるとも言えます。

そのため、二極化が進んでいくのです。心音の美しい方は、その心音にあった現実が現われて参ります。心音の豊かな方は、豊かになり、醜い方は、醜き現実と言うものが現われて参ります。

あるものにとっては、幸運が幸運を呼ぶようになって参ります。現実が豊かでなくとも心に豊かさがあるものは、豊かになって参ります。しかし、あるものにとっては、不幸が不幸を呼ぶようになってくるのです。現時点で裕福な生活をしていようとも、社会的地位があろうとも、その心貧しいものは貧しい現実が訪れて参ります。次から次へと訪れてくることでしょう。

それ故、魂修行という考え方をもう一度見直して頂きたいと願っております。


人生の本筋

2013-02-12 14:01:41 | 水瓶座の時代を生きるヒント


様々な教えや宗教というものの本義、本筋は、人生を生きていく時の道しるべにあるのです。どのような心音が美しい心音であり、どのような心音が神と通じたものであるのかを知り、その上でどのような心音でもって、日々を生きるのかということが大切であるのです。

様々な用語はあるでありましょう。しかし、そのような用語をいくら覚えたとて、ご自身の人生、ご自身の心音が変わらねば、意味がないのです。様々な考え方を知ることは素晴らしいことです。ただ大切にして頂きたいのは、ご自身の御霊に響くものを見つけて頂きたいのです。御霊に響くものは、本来御霊が知っているものであるからなのです。本来の世界であなたご自身が掴(つか)み、知っていたことなのです。それは己の個性の発見、己の御霊の姿を知ることに繋がるのです。

いたずらに、どの教えが正しい教えであるのか、何を信じればよいのかと迷ってはなりません。迷っているうちに、月日は流れ貴重なあなたご自身の時間が流れ去って行くからです。それはとても勿体(もったい)ないことではないでしょうか。

イスラム教を信じる方であるならば、そのままでも良いのです。イスラム教以外の正しい教えに改宗せねば、救われないということはないのです。

キリスト教を信じる方であるならば、そのままでも良いのです。キリスト教以外の正しい教えに改宗せねば、救われないということはないのです。

仏教を信じる方であるならば、そのままでも良いのです。仏教以外の正しい教えに改宗せねば、救われないということはないのです。

神道を信じる方であるならば、そのままでも良いのです。神道以外の正しい教えに改宗せねば、救われないということはないのです。

大切なのことは、その中で自らの御霊を輝かし、どのような心音でもって、日々を生きるのかということなのです。異教徒を非難し、服従せしめ、改宗せしめる必要はないのです。

誰が誰の生まれ変わりであるとか、誰それは何次元の魂であるとか、あるいはどこの星からやって来たですとか。そのようなことが言われております。そのようなことに関心をお持ちの方も多いかも知れません。

しかし、大切なことは、人間として如何に生きるかということなのです。ご自身が神の子として、如何に生きるかということが大切なのです。

誰が何次元で誰それが誰の生まれ変わりであるかとか、何億年前にどこの星から誰が来たのかといったことは枝葉であるのです。そのようなことをいくら知ったとしても、ご自身の御霊が向上することは決してないのです。

本筋は、神の子として如何に生きるのかということなのです。その本筋を外れて枝葉に拘(こだわ)り、挙句(あげく)の果てには枝葉の違いで争い合ったりしているのが地上の人々であるのです。

天上界の諸霊からしたら、枝葉はどうでも良いのです。誰々が誰それの生まれ変わりであるかということは、大した問題ではないのです。今までの過去世認定というものは、殆ど間違っているのです。

しかし、天上界としては大した問題にはしていないのです。それは枝葉であるからなのです。枝葉であるので、必要なくなれば切って仕舞うだけのことであるのです。髪の毛のようなものと言えば分かり易いでしょうか。夏が近づき暑くなれば、切ってさっぱりするといった感じであるのです。

ですから枝葉にしがみ付いてはなりません。大切なことは、如何に生きるかということです。そのような枝葉に拘る人々によって、セクト間や宗教間の争いが生まれてきたのです。そのようなことに天上界の諸霊は、もううんざりしておられるのです。

大切なことは、如何に生きるかということです。どのような心音でもって日々を過ごすかということなのです。

神理の世界には生きる人々の多くは、神を求めながら家庭をかえりみない方が多くいらっしゃいます。神を求めながら、家庭において夫や妻や子を蔑(ないがし)ろにしたり、父や母を蔑ろにしていては、なりません。それは本筋から外れているのです。それは本末転倒であるということを心得て頂きたいと思います。

神を求める方々の心は、美しいものであります。しかし、自らの周囲にいる方々を大切にしないでは、どのような高度な教えであろうとも意味がないのです。周囲を大切にするということが、自らの人生を生きることとなり、御霊を輝かすものであるということを知って頂きたいと思います。


木々の生き方に学ぶ

2013-02-10 11:34:00 | 水瓶座の時代を生きるヒント

◎木々の生き方に学ぶ

アニミズムとは、単に自然を畏れ敬うということではありません。大自然の中に息づく神の教えを紐解くことでもあるのです。

自然をよく見てください。神は、自然の中に人がいかに生きるべきかというヒントをお与え下さっているのです。

人生というものは、木に似ています。小さな苗木が、やがて大きな大きな大木となっていく姿に似ています。

木々は、自分が植わった場所を自分では動くことができません。もっと日当たりの良い場所に移りたい、もっと冷たい風の当たらない場所に移りたいと願っても、自分では植わっている場所を変えることは出来ません。しかし、木々は、そのようなことに不平不満を漏らすこともなく、ただ太陽の方を向いて坦々と根から養分を吸い上げているのです。

冬の間もじっと静かに毎日を過ごしています。たとえ北風にさらされようとも、冷たい雪に覆われようとも、じっと根から養分を吸い上げ生きています。そして、春が来て、夏が来れば新芽を出し、枝を伸ばし葉を茂らせて行くのです。そして、秋になり冬が近づけば、そんな栄華を物語る葉を惜しげもなく散らして冬に備えて行くのです。

そして気づけば、そこに植わってから既に何年も年を重ね大きな大木になっているのです。一年また一年と少しづつ年輪を刻みながら大きくなって行くのです。

木々には、焦りの心はありません。冬の時期に無理をして枝葉を茂らそうとはしません。木々には、自らを飾ろうという虚栄心はありません。夏の栄華にしがみ付く気持ちもありません。ただ太陽の方を向いて日々坦々と根より養分を吸い上げつづけているのです。

木々のそのような姿から学ばねばなりません。それが自然なあり方であるのです。自然体であるのです。そのような木々のあり方を仏教では中道と呼び、儒教では中庸と呼んで来たのです。

木々だけではありません。森羅万象の中に息づいている神の教えを紐解き、日々いかに生きるべきかを知らねばなりません。


◎自分の人生を愛する

木々は、自分の植わった場所に対して不平不満は持ちません。もっと良い場所に植えて欲しかった、もっと条件の良いところに芽を出したかったなどとは思っていません。日々太陽の光がさすことを喜び、吸い上げる水があることに喜びを感じ、そこにある自分というものを喜んでいるのです。

しかし、人間は自分の生まれに対してでさえ不平不満を漏(も)らすのです。もっと裕福な家に生まれたかった、恵まれた家庭に生まれたかった、もっと美男美女の家庭に生まれたかったと思う方が多いのです。そして、「誰も生んで欲しいとは頼んでいない」「生んでくれと頼んだ覚えはない」と自分の生まれを呪うような方までいらっしゃいます。

霊的な事実を申し上げるならば、人は、生まれる前に自分の親を選んで生まれてきているのです。親となる方を自ら選び、「どうか自分を生んでください。」とお願いして、地上に生まれてきているのです。地上に生まれる際に、あの世にいた時の記憶を失うために、今は思い出せないだけであるのです。

自分の生まれに対して受け入れることができないという方は、まず、そういったことを知って頂きたいと思います。自ら選んで生まれて来た家庭環境であるということをどうか知って頂きたいと思います。

たとえ自分の生まれや、人生を否定しても、誰も変わりには生きてくれません。自分の足で立ち、自分の人生を歩んで行かねば、人生と言うものは進んでは行かないのです。良くなっていくことはないのです。自分の人生を受け入れ、今与えられているもの一つ一つに目を向けて頂きたいのです。自分の人生を抱きしめて頂きたいのです。それが自分を愛するということなのです。それが足ることを知るということなのです。

人は生まれたときには、何も自分のものなどないのです。裸一貫、何も持たずに生まれてきているのです。何の記憶も持たずに生まれて来ているのです。人は、無一物にて生まれて来ているのです。

しかし、今、あなたは生まれてより既に何年も経っているのです。その間、父や母の愛情をたっぷりもらったり、友達と楽しく遊んだり、一生懸命に何かに打ち込んだことがあったり、愛する人々との生活があったりとさまざまな思い出があるのではないのですか。確かに、思い出というものには、良い思い出もあれば苦(にが)い思い出もあることでしょう。たとえ苦い思い出であろうともそれは、生まれたときから比べれば、それはプラスの人生であるのではないでしょうか。

カカオは、それだけではとても美味しいものとは言えません。苦いものです。しかし、そのカカオを原料にしてチョコレートという甘く美味しいものができるです。カレーなどもその原料になっているスパイスは、それ単体では美味しいものではありません。しかし、さまざまなスパイスが効いて美味しいカレーというものができるのではないのですか。甘いだけでは、とても奥深い味はでないでありましょう。苦味もなく、辛味も塩気もない食べ物は人を魅了することもないでありましょう。人生における苦い思い出も、辛い思い出も、全てあなたご自身のスパイスになっているのです。

死んであの世に持って還れるのは心だけであるのです。記憶であるのです。思い出であるのです。死後、あなたご自身の財産として持てるもの、それが思い出というものであるのです。人に語れる財産です。その財産はなくなることはありません。

お金も地位も名誉も持って還ることはできないのです。どれ程の財産家であろうとも、どれ程偉大な功績を残した方であろうとも、どれ程大きな会社の社長であろうとも、死ねば皆、等しく一人の人であるのです。そのようなお金や地位や名誉は死後の財産とはならないのです。しかし、死後もその価値を失わないもの、それがあなたの歩んできた人生という思い出であるのです。

あなたの人生というものは、あなただけのものであるのです。二つとして同じものはないのです。あなたこそがあなたの人生の主人公であるのです。あなたは今、一冊の物語の主人公としてあなたの人生を歩んでいるのだということをどうか忘れないで頂きたいと思います。

それが自分の人生を愛するということなのです。



学習会のお知らせ

2013-02-06 17:06:30 | お知らせ

色々とお伝えして参りましたが、そろそろ学習会を開催して参りたいと考えております。
開催場所、開催日時についてはご連絡頂いた方々と調整して参ります。


◎開催場所について
・ 遠方であっても、何らかの形でお応えできるよう
 にしたいと考えております。


◎開催日について
・ 第1回の予定
  2月中旬~3月中旬
・ 土日と言わず平日でありましても検討させて頂きます。


◎参加資格
・ 真剣に学んでみたいという方。


◎募集期間
・ 本日より、常時、受け付けます。


◎参加申込の方法
・ 下記アドレスより必要事項を記入の上、メールして下さい。

 学習会申込へ






豊かさを生む調和

2013-02-05 10:00:10 | 水瓶座の時代を生きるヒント

◎豊かさを生む調和

多くの方は、豊かになりたいとお考えでありましょう。では、豊かさとは何でしょうか。何をもって豊かであると言えるのでしょうか。いったい何が神の御心にかなった豊かさなのでしょうか。皆様はお考えになったことはおありでしょうか。

大宇宙に満ち満ちている神の性質の中に、豊かさというものがあります。豊かさとは神の性質の一部分であります。それゆえ、神の子もまたその中に豊かさというものを兼ね備えているのです。

大自然を見て下さい。大自然の中に息づいている豊かさとは何でしょうか。それを知ることが神の中に宿る豊かさを知ることに繋がるのです。

日本には春夏秋冬という四季があります。春があり、夏があり、秋があり、冬があります。山々には生き生きと天に伸びた木々があり、どこからともなく静かに流れ来る川があり、晴れ渡る空があり、青々とした大空に浮かぶ雲がゆっくりと流れて行く姿があります。そういった自然の中に身を置く時、人は感動を覚え、とても豊かな気持ちになるのではありませんか。反対に、嵐の中、荒れ狂う大海原を見て豊かさを感じる方はいないでありましょう。

実は、豊かさとは、調和の中に生まれて来るものであるのです。調和し、秩序をもって整然としているところに豊かさというものが生まれてくるのです。調和なきところに豊かさというものは生まれないのです。争いの絶えない国で豊かな国などないのはそのためであるのです。つまり、争い心を持っていては、本当の意味での豊かさを享受(きょうじゅ)することはできないのです。それを知らねばなりません。

豊かになりたいがゆえに他から奪って自分のものにせんとする心、それは争いの心ではないのですか。それでどうして本当の豊かさが手に入るというのでしょうか。豊かさというものを皆、手に入れたいと願っておられますが、そうではないのです。豊かさというものは手に入れるものではないのです。他から奪い、手に入ったと思った豊かさは、時と共に消えて行くことでしょう。しかし、本当の豊かさとは時と共に失われるものではないのです。

色とりどりの装飾が施されたクリスマスツリーは、煌(きら)びやかですが、それを豊かだとは思われないでしょう。永遠に続くものだとは思われないでしょう。それは、クリスマスが終われば、その煌びやかな装飾はなくなり、一本の木に戻ることを皆知っているからではないですか。豊かさを手に入れたい、豊かさを手に入れようとする心は、丁度、クリスマスツリーを飾ろうとしているのと同じなのです。

豊かさとは、調和を実現せんとする中に生まれてくるものです。調和の中に豊かさがあるのです。

前回、家、家系を大切にすることの大切さをお伝えしましたが、それは調和というものを実現していく方法であると同時に、皆が豊かになって行く道であります。

まやかしの豊かさを求めてはなりません。一時の煌びやかな豊かさを求めてはなりません。真実、豊かとなるためには、調和というものを大切にして頂きたいと思います。



◎根を結ぶ覚悟

結婚とは、根を結ぶことであります。すなわち、結根です。家系という生命の大樹の根を結ぶことが結婚というものであるのです。

伴侶の父、母は、あなたの父、母であると思って下さい。伴侶の父、母ではなく、あなたご自身の父、母であると思ってください。

あなたが男性ならば、嫁の父、母ではありません。あなたの父、母であります。

あなたが女性であるならば、夫の父、母ではありません。あなたの父、母であります。

結婚するということは、あなたご自身の父、母が増えるということなのです。そのような気持ちを持って頂きたいのです。そのような気持ちを持たねば、その結婚はいずれ破綻して行くことでしょう。そこに調和は訪れることはないでありましょう。調和なくば、真の豊かさなど生まれてくることはないのです。

このようなことを改めて申し上げることなくとも、お気づきになる材料はそろっているではありませんか。昨今、離婚する夫婦がどれ程いらっしゃいますか。その数が証明しているのではありませんか。

皆、伴侶の父、母を自分の父、母と思うというそのような覚悟なく結婚をされているから様々な問題が出てくるのではないのですか。数多くの破綻が起きているのは、そういった家系という生命の大樹の考え方を皆忘れているからではないでしょうか。

また、結婚し相手の姓を名乗ることになるもの、嫁に行くもの、養子になるものは、相手の家、家系を大切にする覚悟をして頂きたいのです。相手の家、家系を大切にする覚悟なくば、相手の姓を名乗らぬことです。

昔は、昔といっても昭和の時代までは残っていた考えですが、嫁(とつ)いだ娘が実家に泣き帰ったならば、父は娘に「お前は、もううちの人間ではないのだから、自分の家に戻りなさい。」と娘を相手の家へ追い返していたのです。それが当たり前であったのです。それが大和の心であったのです。

父、母であっても同じです。息子や娘が結婚したならば、それは自分の息子、娘が増えるということなのです。息子が取られたとか、娘が取られたとか思わぬことです。奪われたという気持ちを持っていれば、いずれ不調和が訪れて参りましょう。そうではなく、自分の息子が一人増えた、自分の娘が一人増えたと思って頂きたいと思います。そこに喜びが生まれ、調和が生まれて参ります。それでこそ家系という生命の大樹が更に繁栄することとなるのです。

大いなる調和、大和の心を大切にして頂きたいと思います。