「三界は唯心の所現である。すべてこの感覚に映ずる世界、ことごとくはこれ心の所現の世界である。」
「この現象界に現われているものはみなこれ唯心の所現である。心の現われである。」-谷口雅春 「生命の実相」第21巻 経典編
これが心の持つ力であり、法則なのです。私たちは、神より分かれてきた生命であります。神は、宇宙を創り、太陽を創り、月を創り、地球を創りました。人間は神の分け御霊であるが故に、神の持ち給えるその偉大な創造力というものをもっています。それをあらわしたもの、それが「三界は唯心の所現である。」という言葉であります。
「人生の法則は信念の法則です。何であれあなたが知的に受け入れ、真実だと思うものは実現されます。」
「あなたが実際に考え、心の奥底で感じていることが、あなたの人生のあらゆる面を支配しているのです。」―ジョゼフ・マーフィー 「人生に勝利する」
この心の持つ力は偉大である一方、危険も伴っています。それは、何であれ実現するということであるからです。
谷口雅春氏は、その教えの中で取り越し苦労してはいけないと言われています。それは、取り越し苦労というものは、将来に対する不安ですね。その不安を思っているとそれが現実のものになってしまうのです。
「本来、肉体なし」「本来、病なし」というのも禅でいうところの一括であります。病気、病気と言って、「神様、どうかこの病気をお癒し下さい。」と祈れば、それは病気をあると思っているのです。それは病気にとらわれているということですね。ですから、病気に心とらわれるな。とらわれていると良くはならないということであったのです。
大切なことは、偉大なる神の子を自覚し、本来の創造力を存分に使って生きよということです。それが谷口雅春氏の教えであったのです。偉大なる神の子とは何かを知れ。迷っている自分とは、本来の姿ではない。そんな偽者の自分を捨て去れということなのです。偽者の自分を捨て去って、神の子としての本当の自分、御霊として生きよということにあったのです。
言葉にすれば「良い事を思っていればよい事が来るんだ」という表現にはなりますが、これを上っ面だけで捕らえてはならないのです。ジョゼフ・マーフィーは、信念の法則であると言っています。信念にまでなったものが実現してくるということであるのです。
例えば、今、心の中には将来に対して不安があるとしましょう。将来、仕事がなくなるかも知れない、首になるかも知れない、首になってまた仕事が見つかるだろうか、とても不安である、そんな気持ちでいっぱいになっているとしましょう。そこで、これはいかん!ということで、よいことを考えればいいんだなと思って、必死に言葉に出すとしましょう。「よい事が来る。よい事が来る。自分は大金持ちになるんだ。」と口に出すとしましょう。もし、そのとき、不安で不安で仕方ないという気持ちが心の中にあったなら、いくら口でよいことを言おうとも心の中にある不安というものを更に信念にまで高めてしまうことになるのです。そして、段々と不安が現実になってしまう。そのようなことがあるのです。これが腰砕けの光明思想であります。
先日、原因と結果の連鎖の時間が早くなっていますよとお伝えしたのは、この心の法則に関係しているのです。
現在、あなたの置かれている環境というものが不幸だと思われるような状況であったと致しましょう。その状況に対してどうにかしようとしてはなりません。それは、過去のあなたの心の信念が創り出した結果であるのです。結果に対しては受け入れるしかないのです。「神さま、この不幸をわが前より取り去り給え」と祈るような気持ちでは、病気の話と同じで、不幸というものに心とらわれ、不幸があると更に信念をもつこととなるからなのです。大切なのは、心を入れ替え神の方を向いて心を明るくすることであるのです。それが新たな種となり良い結果を生んでいくのです。
感謝をするということは、心の法則から言っても、とても大切なことであるのです。感謝というものを「ありがとう」と思うことだと簡単に考えておられる方がいらっしゃいますが、それではあまり意味がありません。感謝とは、自分に既に与えられたものを見つめる作業であります。既に与えられている幸福に目を向けるということであります。既に自分が幸福であると知ることであります。そうして自分が幸福であるという感覚を持つところまで感謝が進みますと、心から「ありがとう御座います」と思えますね。そうしますと、自分は幸福であるという信念になってくるのです。ここまでお話すると足ることを知るという言葉が単なる美徳ではないということが御理解して頂けるかと思います。
貧しいものは更に貧しくなり、不幸なものは更に不幸となって行きますが、豊かなものは更に豊かになり、幸福なものは更に幸福になって行くということが起きて参ります。
もし、今、あなたが不幸であるならば、それは与えられた神の創造力をあなたご自身が使って実現したものであるのです。もし、今、あなたが幸福であるならば、それは与えられた神の創造力をあなたご自身が使って実現したものであるのです。
それゆえ、神と一体となる自覚、神の素晴らしい御性質が既に与えられているということを自らの中に見出して行くということが大切であるのです。
取り越し苦労と、心配とでは何が違うんでしょうか??
不安という意味では同じように見えてしまいます^^;
愛があるか無いかですかね?
それとも両方ともしない方が良いんですかね・・・?
では失礼します ぺこり
将来に対して不安になって、「大丈夫かなぁ」と心配することを取り越し苦労というのではないでしょうか。
また、言葉にとらわれ過ぎておられるようですね。
言葉、表現にこだわっていては、本質は見えません。
言葉の奥にある本質をつかむことが大切ですよ。
自分、また変な癖ついてしまいましたね(笑)
大変お世話かけます^^;
お返事有難う御座いました^^
では失礼致します。