勝ち負けという考え方は、天上界にはありません。天上界の諸霊が勝ち負けという言葉を使うときは、「己に克(かつ)つ」「己に負けてはならない」という克己心(こっきしん)という意味での勝ち負けでしかありません。
他人との比較によって勝った負けたという価値観は、極めて地上的な価値観であり、地獄世界の価値観であるということに気づいて頂きたいと思います。
自分の持ち物と他の方の持ち物を比べて、人よりも高級とされるものを身につけることを競ってはなりません。人よりも高価なものを自分が所有しているから勝ちである、人よりも安価なものを自分は所有しているから自分は負けであると思ってはなりません。そのような価値観は地獄の価値観であるのです。
所有という考え方、所有欲ともいう考え方は、自他を区別する考え方なのです。すべての世界は、神のものなのです。自分だけのものという考え方は本来ないものであるのです。そのような考え方、感覚は、天上界にはないのです。地上を機縁とした価値観であるのです。
所有しているものによって人の価値が測られるものではないのです。人の価値は、神の子であるという点において皆同じなのです。だれがだれよりも価値があるとかないとかということはないのです。大宇宙の大本の神様からしたら、すべての生あるものは愛(いと)しい子であるのです。誰がより愛しいかということはないのです。
また、給料の金額などによって自分と他人を比較する気持ちもあろうかと思います。自分の年収は平均年収より多いか少ないかを気にしたり、ボーナスの金額が同僚と比べて多いか少ないかを気にしたりされる方も居られるかと思います。金銭の多寡によって人間の価値は計られるのではないのです。人よりも年収が多いということは、その人が他の人よりも偉いということではないのです。人よりも年収が少ないからといって、自分が卑しい身分のように感じてはなりません。
皆、分かってはいるのです。このようなことをこうやってあえて言わずとも、頭の中では分かっては居られるはずなのです。気づいてはおられるはずなのです。しかし、どうしても人と比較して仕舞うのだと思うのです。
単に比較するだけなら何も申しません。しかし、そのように人と比較することによって、落ち込んだり人を羨ましく思ったり、或いは焦ったりされるのでありましょう。中には、他を蹴落とすことまで画策されたり、良心に反する行動に結びついて行かれる方もおられます。それがいけないと言っているのです。人と比較して、自分が人より劣っていると感じて、あなたは苦しくはありませんか。辛くはないですか。そのような苦しみは、外なる価値観でもって自分の価値を計ろうとしているからなのですよ。ですから、外なる価値観でもって自分の価値というものを計ってはならないと申し上げているだけなのです。
勝ち負けという考え方や、人の上下、偉い偉くないといった考え方は、天上界にはない考え方であるのです。そのような考え方は、地上の人々を混乱させようとするものたちの罠であるということを見破らねばなりません。
あの世の存在を信じる方々の中でも、あの世は4次元幽界、5次元霊界、6次元神界、7次元菩薩界、8次元如来界というような次元構造になっていると信じておられる方もいらっしゃいます。そのような方であっても、神界の人よりも菩薩界の人の方が偉く、菩薩界の人よりも如来界の人の方が偉いと考えて、自分はせめて菩薩界に還れるようになりたいと願っておられる方がいらっしゃいます。比率で言えば、あの世の次元構造を信じておられる方の99%以上の方がそうなっておられるのです。その価値観も、勝ち負けという考え方、人の上下、偉い偉くないという考え方に基づいているということに気づいて頂きたいと思います。
そのような考え方自体、地獄に通じている考え方であり、菩薩界どころか幽界からすら脱皮していない考え方であると見破らねばなりません。そのような価値観を持つくらいであるならば、あの世のことを知らず自らの良心に従って美しい心で生きた方がよっぽど菩薩界の心境に達することが可能であるのです。菩薩になりたい如来になりたいといった考え方は、あの世的な欲であるということに気づいて頂きたいと思います。
何度も何度も申し上げますが、外なる価値観で自らの価値を計ってはなりません。そんなことをせずとも、既にあなたは神の子であるのです。宝石で言えば、ダイヤモンドであるのです。皆、同じ大きさのダイヤモンドを宿しているのです。違うのはその輝き方であるのです。表面が薄汚れてしまったり、どろどろになってただの石ころのように見えることもあるかも知れません。しかし、本質はダイヤモンドであるのです。
外なる価値観でもって自らの価値を計ろうとする心を持っていると、その石に装飾を施そうとしていくのです。そのダイヤにどれだけの装飾を施そうとも、その宝石の価値自体は変わることはないのです。煌(きら)びやかな装飾を施そうとする前に、そのダイヤの輝きを取り戻せと言っているのが天上界の諸霊であるのです。「そんなガラクタで己を飾らずとも、あなたの内にはそんなものと比較にならないほどの輝きが眠っている。その輝きを取り戻すために、己の穢れを取り払え。」と言っておられるのです。
あなたは神の子です。それは誰がなんと言おうとも天地がひっくりかえるようなことがあろうとも、あなたが神の子であることに変わりはありません。どのような罪を犯したものであろうとも、大宇宙の大本の神からしたら可愛い可愛い我が子であるのです。
心の清い方の中には、「自分はあんなことをしてしまった。だから、もう神の御加護は受けることはできない。」と思われる方もおられます。そんなことはないのです。天上界の諸霊は、いつでもあなたを受け入れておられるのです。罪を犯したからと思って天上界から差し出されている手を取ろうとしていないのはご自身であるのです。心を天上界に向けてみて下さい。さすれば、「あなたがこちらを向くのをずっと待っていましたよ。」と優しい言葉で包んで下さるのが天上界の諸霊であるのです。その悦びを知ってください。その悦びを一人でも多くの方に味わって頂きたいのです。
皆さまの魂の鎖が解き放たれんことを、お祈り致します。
神性に反する事をする事が負けなんですね。
残念ながら負けまくってる自分が居るようです><、
後、本当の意味で神の子として生きているのか
考えさせられました。現在、自己保身と戦っております(笑)
コメント失礼致しましたー
のびのびと生きてください。
身の丈にあった生き方をすればよいのですよ。
勝ち負けというか、評価から来ているだと思います。
今砕いてる途中です。
失礼致します。