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咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

埼玉県工業技術研究所があった場所

2018年11月12日 | 日記
2018年10月26日ブログで私はこのような道筋を綴った。
バス停が3ヶ所(青丸)あった。
左から西高前木崎木崎三丁目である。
東武バスOn-Lineのサイトから「岩槻営業所・天沼営業所管内バス路線図」を開き、この付近を見る。
3ヶ所のバス停を青枠で囲む。

平成4年浦和市発行『わがまち浦和 地域別案内(改訂版)』所載の市内バス路線図この付近を見る。
3ヶ所のバス停はここ(青枠)だと思う。
現在の木崎が下木崎、木崎三丁目が工業技術研究所になっていると思う。

平成2年の地図を見る。
3ヶ所のバス停はここ(青枠)だと思う。
工芸センターは現在の木崎三丁目だと思う。
平成2年の地図には工芸センターバス停の北に県工業技術研究所がある。
県工業技術研究所の場所は現在の埼玉県警察本部分庁舎木崎の場所だと思う。

彩の国デジタルアーカイブ写真検索で「工業技術研究所」を検索すると、昭和60年当時の工業技術研究所の外観が見られる。
この建物は現在の埼玉県警察本部分庁舎木崎の建物と同じだと思う。


ウィキペディア大宮警察署(埼玉県)に挿入されている写真の旧科学捜査研究所庁舎を見るとこの建物である。
ウィキペディアによれば、浦和区木崎にあった埼玉県警察科学捜査研究所は旧埼玉県工業技術センター南部研究所跡地を転用したものである。

ヤフーで「埼玉県工業技術センター南部研究所」を検索すると、埼玉県産業技術総合センターがヒットした。組織/案内の沿革を見る。
それによると、昭和42年に「埼玉県工芸試験場」が浦和市に設立された。
昭和58年「埼玉県工芸試験場」は「埼玉県工業技術研究所」に改称された。彩の国デジタルアーカイブの写真「工業技術研究所」は昭和60年だった。
平成10年「埼玉県工業技術センター」に統合され、浦和市の元工業技術研究所は「南部研究所」となった。
平成15年、川口の「埼玉県産業技術総合センター」に統合された。この時「南部研究所」は閉鎖されたのだと思う。建物はその後埼玉県警察に移管され、科学捜査研究所が置かれたのではないだろうか。

グーグルマップ航空写真3Dで埼玉県警察本部分庁舎木崎を見る。
ヤフー地図航空写真で見る。
昭和54年の航空写真を見る。埼玉県工芸試験場の時代。
埼玉県工芸試験場設立2年後、昭和44年の航空写真を見る。
工芸試験場設立の3年前、昭和39年の航空写真を見る。

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