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咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

与野町にあった県下最大の料亭かにや

2017年05月29日 | 日記
昭和63年発行『与野市史 通史編 下巻』に昭和9年の与野町案内図が載っている。
与野駅の近くに「かにや」の表示がある。そこはどういうところかというと、昭和6年5月3日の毎日新聞埼玉版にこのような記事がある。そこには “ 昨冬「かにや」の出現は県下の旗亭戦線に異常を来し県下の上層客を吸収して大宮、浦和はもちろん川越、熊谷の花柳界にまで影響しているというから素晴しい ” と記述されている。与野駅に近いこともあり、切符の売上げが伸びたようで、その方面の人達にはちょっとしたブームだったかもしれない。

昭和52年読売新聞社浦和支局編『まちかど新風土記』には「料亭かにや」として紹介されている。
“ 与野駅西口から線路に沿って、大宮方向へ歩いて一分たらず。住宅公団与野団地のある一帯に、かつて「かにや」はあった。その敷地約三万三千平方メートル。県下最大の料亭だけあって、母屋と百畳の大広間、それに離れが二十九もあり、昭和八年から十八年まで営業していた。蕨の「シャンクレール」のように、東京からの客がほとんどだった ” と記述されている。

「かにや」があった場所は、与野駅西口から大宮方向へ歩いて一分たらずの住宅公団与野団地だとある。
平成2年の地図を見る。公団与野団地が表示されている。
与野駅西口広場の公共施設案内図には公団与野アパートと出ている。
現在のアーバンハイツ与野さんの場所だと思う。

『まちかど新風土記』は「料亭かにや」の “ 建物は宮大工の手に成る数寄屋造りで庭にはうっそうとした赤松が茂り、立派な石を配置した大きな池があり、その上にかけられた橋を渡って、それぞれの離れへという趣向。さらにこの離れが、大変こった造作で、植え込みで互いに見えないように工夫されていた。” とある。
建物の写真は見たことがないのだが、庭の写真はある。

『まちかど新風土記』によれば、「かにや」経営者は当時浅草で松竹専門の大道具をやっていた人物で、その関係上、歌舞伎役者や芸能人の客が多かったという。市川団十郎(先代)、水谷八重子(先代)、水の江滝子 等々。

ところで、先ほど引用した『まちかど新風土記』の記述の中に、“ 蕨の「シャンクレール」” というのがあった。彩の国デジタルアーカイブ写真検索で見ることが出来る。大きいサイズの写真
昭和10年の開業だから「かにや」の2年後になる。蕨市中央1丁目7番を地図に赤丸で示す。
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2 コメント

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Unknown (矢部)
2022-05-17 23:06:39
初めまして。かにや経営者の孫の矢部と申します。
祖父の情報を知ることができました。
誠に有難うございます。

父から晩年の祖父の話をたまに聞きますが、私が生まれる前に他界しており、遺影の祖父しか知らないのでこのようなお話を読めて、本当に感謝します。
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当時のこと (咲いた万歩)
2022-05-18 07:41:22
おはようございます。
御親族の方からコメントをいただいて嬉しいです。
当時のことをいろいろお聞きになっているかと思っていましたので意外でした。
お役に立てて幸いです。
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