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咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

大正期の荒川上流部流域図をみる 6

2023年09月06日 | 日記
荒川上流部流域図に大宮町の北で中山道から右に分岐して原市町に向かう道が描かれており、赤で示す
その道を明治18年頃の地図に赤で示すと概ねこのようになると思う。
中山道の分岐点付近を拡大する
その三差路は現在地図のどこになるのかを迅速測図の比較地図でみたところ赤丸のところを示した。
現在地図をマピオンに置き換えて比較地図が示したところを赤丸で示す。
2019年5月私は旧中山道を北から南へ向かい、①地点のバス停警察学校入口を通過し、②と③のところに建つ石仏二基を通過して振り返った。

平成17年さいたま市立博物館発行『ウォーク・イン・中山道大宮宿』にはこの二基の石仏についてこのように解説されている。
比較地図の左右にこの三差路を描いてみた。この付近の迅速測図の位置精度は約50mの誤差があると思う。
国際日本文化研究センター所蔵の東都近郊圖 : 全弘化元年(1844)を見る
中山道を黄で示し、土手宿の北で原市へ向かう三差路を赤丸で示す。
その三差路は荒川上流部流域図に赤丸で示した三差路で、迅速測図比較地図に赤線で示した三差路だと思う。

昭和57年発行『大宮市史 第四巻 近代編』に大宮~原市間の乗合馬車についてこのような記述があり、明治41年から約3年間営業を続けただけで廃止したとある。明治44年頃廃止したと思われる。
昭和55年大宮市発行『大宮のむかしといま』所載の写真(安藤馬車)。
また、昭和39年大宮市立大砂土小学校発行(非売品)『大砂土郷土誌』には原市新道について “ 上尾川口線の東側にある道路が原市新道である。大宮と原市を結んでいた道路で産業道路の誕生完成によって影がうすい存在となった。明治41年(1908)に改修されて県道となった原市新道はそれ以後大砂土地区の主要道路として種々な面に貢献してきた。” と記述され、そして “ 明治43年(1910)にこの原市新道に乗合馬車が通るようになり…中略…大正3年(1914)に乗合自動車が原市新道を通るようになった ” と記述されている。
私は明治41年から約3年間営業を続けただけで廃止した乗合馬車というのは荒川上流部流域図に赤で示した道を往来していたと思う。そして明治43年に原市新道での乗合馬車が開始されたのに伴って旧道での営業を廃止したのだと思う。原市新道で営業を開始した業者が同一業者か別業者かは不明。

荒川上流部流域図に上尾宿と原市町を結ぶ道が描かれており、赤で示す
国際日本文化研究センター所蔵大宮(1914年)地図に上尾と原市を結ぶ道を黄で示す。
マピオン地図赤で示した道は大宮地図に黄で示した道を引き継いでいると思う。
右方の赤丸で示した三差路の角をストリートビューで見ると原市新道の標柱が建っている。
左方の赤丸の三差路近くに上尾原市新道のバス停がある。マピオン地図に赤で示した道が上尾原市新道ではないだろうか。
2018年3月赤丸の三差路で上尾原市新道の原市方面を見た。
上尾方面を見た。

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