咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

昭和期の浦和駅西口駅前のバス発着所

2024年08月03日 | 日記
平成11年浦和市発行『浦和市史 第五巻 現代史料編Ⅰ』所載の国際興業バスニュースをみると、浦和駅舎改築工事のため浦和駅西口駅前広場が使用できなくなったことにより、バス発着所を変更したとある。
ということはそれまで浦和駅西口駅前広場にバス発着所があったということだと思う。
改築された駅舎は昭和42年の完成なのでバス発着所が変更になったのは昭和41年のことだと思う。

平成12年浦和市立郷土博物館編集発行『記憶の中の風景-写された20世紀の浦和-』所載の浦和駅西口(昭和8年)をみると駅前にバスが停まっている。
同誌所載の昭和29年の写真をみる。説明文には “ 駅前に並ぶ2台のボンネットバス。右が池袋行きディーゼル車、左が市内循環のガソリン車 ” とある。
同誌所載の昭和36年の写真をみる。奥のボンネットバスは熊谷行きとある。
同誌所載の浦和駅西口広場(昭和36年)をみる。北から南を撮っている。
同誌所載の浦和駅西口ロータリー(昭和38年)をみる。
平成6年3月発行『さいたまグラフ』に掲載された昭和39年の浦和駅西口は南から北を撮っている。駅前広場はバスとバス利用者と思われる人たちで賑わっている。
前出『記憶の中の風景-写された20世紀の浦和-』所載の浦和駅西口(昭和44年)をみる。
この駅舎は昭和42年完成の新駅舎である。改築前はこのようだった。
昭和42年完成の新駅舎について、ウィキペディア浦和駅には(歴史)(年表)の昭和42年に “ 西口駅舎を改築。2012年まで存在した2階建て西口駅舎が竣工する ” との記述がある。
2010年12月私はこの2階建て西口駅舎を見た。

2011年8月の西口駅舎改札口の写真

国際興業バスニュースによれば西口駅前広場のバス発着所はいくつかの場所に分散したようである。もともといくつかの場所に分散したあったのかも知れないが・・・。
①番から⑧番までのバス発着所が案内されているが、⑧番が駅西口に近く規模も大きい。駅前広場にあったバス発着所の多くは⑧番に変更したのではないだろうか。
ところでバスニュースの左の方に東武バスの八石行がある。マピオン地図の見沼区大字大谷の埼玉県道65号に「八石」バス停が表示されている。2012年5月私は八石バス停を見た。

昭和44年の写真で浦和駅西口の北をみると駅前広場と同じ位の広さの土地が見える。そこは⑧番バス発着所の場所ではないかと思う。昭和44年のそこはバスが停車しているように見える。
浦和駅舎改築工事のためにバス発着所を変更したものの、改築工事が完了してもバス発着所は駅前広場にもどすことはなかったのではないだろうか。
西口駅前再開発中の昭和50年10月の写真でそこをみる。バスのりばがあると思う。

浦和駅西口駅前広場にあったバス発着所が再び浦和駅西口駅前広場にもどってきたのは昭和50年代の西口駅前再開発によって駅前広場が拡張してからではなかったかと思う。
平成5年浦和市都市整備公社発行『SCENERY OF URAWA -浦和市景観写真集-』所載の平成3年浦和駅西口。駅前広場の中央にバス発着所(バスターミナル)がある。

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