先日私は東岩槻駅から豊春駅までこのような道筋を歩き、07月11日ブログと07月13日ブログに綴った。
その道筋で赤丸から赤丸の区間は昔の岩槻~粕壁道だったのではないかと思う。
大正初期の地図で岩槻~粕壁間を見る。岩槻~粕壁間を結ぶほぼ一直線の幅広い道を赤で示す。現在の埼玉県道2号さいたま春日部線の前身となった新道である。
大宮市史の年表、明治21年の箇所に「この年、大宮~岩槻~粕壁間道路開削」という記述がある。大宮ではこの道を岩槻新道と呼んだ。
明治21年開削の新道が出来る前の岩槻~粕壁道を大正初期の地図に赤で示すとこのようになるのではないかと思う。
新道開削前、明治18年頃の地図で岩槻~粕壁道を、元荒川から古隅田川まで赤で示すとこのようになるのではないかと思う。
先ほど現在地図に示した赤丸~赤丸の区間を明治18年頃の地図に示すとこのようだと思う。
現在地図で元荒川側の範囲を見る。
明治18年頃の地図で日光御成街道から粕壁道が分岐するところを青丸で示す。
その交差点を現在地図に青丸で示すとここだと思う。
2013年8月私はその交差点で石仏を見た。この石仏は道標を兼ねており、平成4年発行さきたま双書『埼玉ふるさと散歩(岩槻市)』によれば、「是より右かすかべミち」と刻んである。
この交差点の住所は岩槻区南辻であるが江戸時代には辻村だった。昭和62年発行『岩槻・城と町まちの歴史』によれば、辻村の由来は粕壁道の分岐点があることによる。
日光道中絵図には元荒川に架かる田中橋と辻橋が描かれている。元荒川の中に島があったのである。
辻橋を渡ると三差路がある。その三差路が日光御成街道と粕壁道の分岐点だと思う。道が分岐した先(絵図上部)に神社が描かれている。
日光道中絵図で岩槻宿を出て辻村に入ったところを見る。
上に神社が描かれ、鎧八幡社と表示されている。私は先ほどの神社はこの神社が描かれていたのではないかと思う。
2013年8月私は矢印のように見た。鳥居をくぐって参道を進むと八幡宮があった。ここが鎧八幡社だと思う。
日光道中絵図には鎧八幡社参道はこのように描かれていた。
昭和22年の空中写真を見る。元荒川の新旧二つの流路がわかる。
『岩槻・城と町まちの歴史』には、“ 大正期に河道を短絡させる改修工事が行われた ” とあり、“ 旧河道は沼になった ” とある。そして“ 昭和50年代、旧河道は埋立てが行われ、短時日のうちに平地と化してしまった ” とある。
昭和22年空中写真の旧流路は沼状態ということになる。
さきほどの赤丸と青丸の位置はここだと思う。
昔の粕壁道と思われるところを赤で示す。
鎧八幡社と思われるところを黄矢印で示す。
その道筋で赤丸から赤丸の区間は昔の岩槻~粕壁道だったのではないかと思う。
大正初期の地図で岩槻~粕壁間を見る。岩槻~粕壁間を結ぶほぼ一直線の幅広い道を赤で示す。現在の埼玉県道2号さいたま春日部線の前身となった新道である。
大宮市史の年表、明治21年の箇所に「この年、大宮~岩槻~粕壁間道路開削」という記述がある。大宮ではこの道を岩槻新道と呼んだ。
明治21年開削の新道が出来る前の岩槻~粕壁道を大正初期の地図に赤で示すとこのようになるのではないかと思う。
新道開削前、明治18年頃の地図で岩槻~粕壁道を、元荒川から古隅田川まで赤で示すとこのようになるのではないかと思う。
先ほど現在地図に示した赤丸~赤丸の区間を明治18年頃の地図に示すとこのようだと思う。
現在地図で元荒川側の範囲を見る。
明治18年頃の地図で日光御成街道から粕壁道が分岐するところを青丸で示す。
その交差点を現在地図に青丸で示すとここだと思う。
2013年8月私はその交差点で石仏を見た。この石仏は道標を兼ねており、平成4年発行さきたま双書『埼玉ふるさと散歩(岩槻市)』によれば、「是より右かすかべミち」と刻んである。
この交差点の住所は岩槻区南辻であるが江戸時代には辻村だった。昭和62年発行『岩槻・城と町まちの歴史』によれば、辻村の由来は粕壁道の分岐点があることによる。
日光道中絵図には元荒川に架かる田中橋と辻橋が描かれている。元荒川の中に島があったのである。
辻橋を渡ると三差路がある。その三差路が日光御成街道と粕壁道の分岐点だと思う。道が分岐した先(絵図上部)に神社が描かれている。
日光道中絵図で岩槻宿を出て辻村に入ったところを見る。
上に神社が描かれ、鎧八幡社と表示されている。私は先ほどの神社はこの神社が描かれていたのではないかと思う。
2013年8月私は矢印のように見た。鳥居をくぐって参道を進むと八幡宮があった。ここが鎧八幡社だと思う。
日光道中絵図には鎧八幡社参道はこのように描かれていた。
昭和22年の空中写真を見る。元荒川の新旧二つの流路がわかる。
『岩槻・城と町まちの歴史』には、“ 大正期に河道を短絡させる改修工事が行われた ” とあり、“ 旧河道は沼になった ” とある。そして“ 昭和50年代、旧河道は埋立てが行われ、短時日のうちに平地と化してしまった ” とある。
昭和22年空中写真の旧流路は沼状態ということになる。
さきほどの赤丸と青丸の位置はここだと思う。
昔の粕壁道と思われるところを赤で示す。
鎧八幡社と思われるところを黄矢印で示す。
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