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咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

中山道辻村と道満の渡しを結ぶ昔の道

2020年01月28日 | 日記
2020年01月03日ブログで私は市民の浮世絵美術館さんのサイトから『広重・英泉の木曽海道六拾九次』を開き、ページ下の方にある「より以前の記事一覧」から04 武蔵国「浦和」を拝見した。
そこに、“ 前掲分間延絵図には、山口土橋の手前から左に折れる道があって、「足立郡笹目領道満渡場江出ル一里余り」と記されています ” との記述があった。
本日のブログはこの道について考えてみたい。

2020年01月03日ブログで私は山口土橋について中山道分間延絵図に描かれたこの二つの橋の右の橋(蕨より)ではないかと見当をつけた。
明治13年の地図では下の橋になると考えた。
現在の地図に2本の水路を描いた。

現在の地図を拡大して山口土橋と見当をつけた場所を赤丸で示す。
中山道分間延絵図の “ 山口土橋の手前から左に折れる道 ” というのはこの道(赤)ではないかと思う。
北が上になるよう回転する
明治13年の地図に辻用水を青で、その道を赤で示すとこのようになると思う。
山口土橋の手前から左に折れる道は一里余りで足立郡笹目領の道満渡し場へ出るという。

ヤフーの地図で荒川方面を見ると彩湖・道満グリーンパークがある。
案内図の右下に道満河岸つり場がある。
2012年8月、売店の近くで道満の渡し案内板見た


歴史的農業環境閲覧システムのページから比較地図を開き、彩湖・道満グリーンパーク付近を見る
左(明治)の荒川流路を右(現在)の地図に青で描くと概ねこのようになると思う。
道満の渡しはここ(赤丸)だと思う。
明治13年地図ここ(赤丸)だと思う。
明治13年地図を縮小し、先ほどの中山道辻村から分岐する道(赤)を道満の渡しまで辿るとこのようになった。

道満の渡し案内板には “ 中山道の蕨方面から宗岡・引又(志木市)などへの東西を結ぶ交通路になっていました ” とあった。
蕨宿方面から道満の渡しまで辿ると、途中で先ほどの道に合流した。

明治13年の辻村から道満の渡しまでの赤で示した道は、現在当然そのままのかたちで残っていないのだが、現在存在する道当時の道と近い道と思われる道を赤で辿ったところこのようになった。

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