咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

浦和耕地整理組合確定図をみる (3)

2021年05月17日 | 日記
埼玉県立図書館ウェブサイトの(デジタルライブラリー)(埼玉県立図書館デジタル化資料一覧)(絵図)から埼玉県浦和耕地整理組合確定図(浦和耕地整理組合 1934刊)を見る。左下で(その2)を開き、埼玉県庁の左を見ると自彊会がある。自彊会のところを拡大して回転する

彩の国デジタルアーカイブの写真検索で「自彊会」を検索すると埼玉自彊会事務所がヒットした。
大宮市史年表には大正3年5月3日に “ 埼玉自彊会設立(県文書) ” という記事がある。
大正4年出版『浦和案内』には各種団体のところで埼玉自彊会が案内されている。
そこには “ 初め埼玉慈善会保護院と云ひしを後改めたり(中略)明治23年に創立されしもの ” とある。
明治45年出版『浦和案内』には埼玉慈善会保護院が案内されている。写真もある。

埼玉慈善会保護院院長は大島完爾氏とあり、埼玉自彊会会長は大島寛爾氏とあるが同じ人物だと思う。
埼玉県ホームページの県議会から歴代正副議長総括表の初代~第48代をみると、大島寛爾氏は13代で明治27年~明治29年に埼玉県議会議長を務めている。
コトバンク大島寛爾はこのようで明治19年埼玉県会議員となっている。埼玉慈善会保護院創立の明治23年は埼玉県会議員を務めていたと思われる。
ウィキペディア浦和市の歴代首長をみると、大島寛爾氏は2代の明治32年(1899)~明治34年(1901)と6代の大正3年(1914)~大正10年(1921)、さらに第9代の大正15年(1926)~昭和3年(1928)に浦和町長を務めている。
大宮市史年表によれば、埼玉自彊会設立は大正3年5月3日であるが、2期目の6代浦和町長に就任したのは4日後の大正3年5月7日だった。
埼玉県議会歴代正副議長総括表には大島寛爾氏の出身地は南埼玉郡岩槻町とあるのだが、コトバンク大島寛爾には肥前高来郡(長崎県)出身とある。歴代正副議長総括表の出身地は就任当時の出身地のことのかも知れない。

浦和耕地整理組合確定図の自彊会を赤丸で示し、現在の地図と照合する。
浦和耕地整理組合確定図に赤で示した道は現在のこの道と重なると思う。
そうすると自彊会があった場所は現在の埼玉県佛教會館さんの場所だと思う。
2013年6月、北から見た写真。
2017年1月の埼玉県佛教會館さんの写真。

昭和46年埼玉県発行『埼玉百年記念誌 目でみる埼玉百年』所載の免因保護事業の埼玉自彊会事務所(昭和4年)。

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