明治35年大宮町営業便覧で中山道の南側を見る。
氷川大門は氷川参道のことだと思う。営業便覧では中山道と直角に交差しているが、実際は斜めに交差している。
中山道を北へ向かって氷川参道手前右側に「川魚商 清水平八」と表示されたところがある。
5月21日のブログで私は現在のその辺りで鯉平さんを見た。

鯉平さんのホームページから社史を拝見すると始まりはこのようである。
吉敷町交差点(5月19日ブログ)の位置を明治35年営業便覧に示すとこの辺りではないかと思う。
吉敷町から下町へさしかかると左(西)から交差する道に「與(与)野道」の表示がある。
北側角は「種物商」と表示されている。
昭和9年大宮商工並ニ名勝案内地図でこの辺りを見ると「橋本種店」がある。
明治35年大宮町営業便覧の大宮町略図の與野道だと思う。
平成17年さいたま市立博物館発行『ウォーク・イン・中山道大宮宿』所載の案内地図(吉敷町から下町)に「与野道」と表示されたところがある。
与野道は現在地図のこの道(赤)だと思う。
その三差路を中山道の北から見た5月19日ブログの写真。
中山道の三差路から与野道(西)を見た今年2月の写真。

『ウォーク・イン・中山道大宮宿』には “ 涙橋の手前、高島屋流通センターの所で西に入っていく路地は、与野方面に向かう旧与野道にあたり、この付近に高札場があったようです ” と記述されている。
高島屋流通センターさんの場所には現在、ザ・大宮タワーズさんがあると思われる。
『ウォーク・イン・中山道大宮宿』には “ この付近に高札場があったようです ” とあるのだが、2020年05月10日ブログ(中山道分間延絵図でみる宿場町大宮) で私は高札場を中山道分間延絵図のここ(赤矢印)に見た。
そしてその場所は現在地図の赤丸の辺りかも知れないと書いた。
その場所を先ほどの案内地図に赤丸で示すとこの辺りだと思う。
全然違う場所である。
『ウォーク・イン・中山道大宮宿』の表紙背景は中山道分間延絵図の大宮宿で、ちょうど高札場付近を見ることができる。「下町石橋」は涙橋のことだと思う。
下町石橋と高札の間から西へ延びる道は「与野道三拾丁程」と書かれていると思う。
1丁を109.09mとして計算すると三拾丁は3.273kmになる。
現在の地図(ヤフー)を見る。
下町石橋(涙橋)、高札があったと思われるところを赤で示す。
その二つの場所の間から西へ延びる道は、現存する道ではこの道(赤)になると思う。
2017年12月その三差路を東から見た。

三差路入口から西を見た2016年10月の写真。
今年2月、その道の西の突き当たりで東を見た。
氷川大門は氷川参道のことだと思う。営業便覧では中山道と直角に交差しているが、実際は斜めに交差している。
中山道を北へ向かって氷川参道手前右側に「川魚商 清水平八」と表示されたところがある。
5月21日のブログで私は現在のその辺りで鯉平さんを見た。

鯉平さんのホームページから社史を拝見すると始まりはこのようである。
吉敷町交差点(5月19日ブログ)の位置を明治35年営業便覧に示すとこの辺りではないかと思う。
吉敷町から下町へさしかかると左(西)から交差する道に「與(与)野道」の表示がある。
北側角は「種物商」と表示されている。
昭和9年大宮商工並ニ名勝案内地図でこの辺りを見ると「橋本種店」がある。
明治35年大宮町営業便覧の大宮町略図の與野道だと思う。
平成17年さいたま市立博物館発行『ウォーク・イン・中山道大宮宿』所載の案内地図(吉敷町から下町)に「与野道」と表示されたところがある。
与野道は現在地図のこの道(赤)だと思う。
その三差路を中山道の北から見た5月19日ブログの写真。
中山道の三差路から与野道(西)を見た今年2月の写真。

『ウォーク・イン・中山道大宮宿』には “ 涙橋の手前、高島屋流通センターの所で西に入っていく路地は、与野方面に向かう旧与野道にあたり、この付近に高札場があったようです ” と記述されている。
高島屋流通センターさんの場所には現在、ザ・大宮タワーズさんがあると思われる。
『ウォーク・イン・中山道大宮宿』には “ この付近に高札場があったようです ” とあるのだが、2020年05月10日ブログ(中山道分間延絵図でみる宿場町大宮) で私は高札場を中山道分間延絵図のここ(赤矢印)に見た。
そしてその場所は現在地図の赤丸の辺りかも知れないと書いた。
その場所を先ほどの案内地図に赤丸で示すとこの辺りだと思う。
全然違う場所である。
『ウォーク・イン・中山道大宮宿』の表紙背景は中山道分間延絵図の大宮宿で、ちょうど高札場付近を見ることができる。「下町石橋」は涙橋のことだと思う。
下町石橋と高札の間から西へ延びる道は「与野道三拾丁程」と書かれていると思う。
1丁を109.09mとして計算すると三拾丁は3.273kmになる。
現在の地図(ヤフー)を見る。
下町石橋(涙橋)、高札があったと思われるところを赤で示す。
その二つの場所の間から西へ延びる道は、現存する道ではこの道(赤)になると思う。
2017年12月その三差路を東から見た。

三差路入口から西を見た2016年10月の写真。
今年2月、その道の西の突き当たりで東を見た。
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