咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

日光道中絵図で見る見沼区東宮下

2019年09月04日 | 日記
2019年07月01日ブログで私は国立公文書館デジタルアーカイブのサイトから日光道中絵図巻2足立郡元郷村から岩槻宿までを開き、宮ヶ谷塔村から岩槻領に入るところを見た
枠で囲まれた文字を活字で加入した
2019年07月01日ブログで私は大行土橋は現在のこの橋(茶丸)ではないかと書いた。
その橋は深作川に架かる古簀子橋(ふるすのこはし)だった。

日光道中絵図で大行土橋の右(江戸より)を見る。枠で囲まれた文字を活字で加入する
右(江戸より)に日光御成道から日光へ向かって左に分かれる道がある。
そのあたりを拡大する
道を茶で、川を青で示す
日光御成道から左に分かれる道は小さな橋と大きな太鼓橋を渡って延びている。
この道はどこにあるのだろうか。

明治13年の迅速測図を見る。
日光道中絵図の大行土橋は黄丸のところだと思う。
私は日光御成道から左に分かれるはこの道(赤)ではないかと思った。
2017年03月27日ブログで私は蓮沼と八幡神社の案内板を見た。略図黄で示した道が赤で示した道だと思う。
見沼代用水に架かる橋を青丸で示す。日光道中絵図に描かれた太鼓橋はここではないかと思った。

ところが、綾瀬川に架かる大橋を緑丸で示し、黄丸から緑丸までの距離と黄丸から分岐点までの距離を比べると、分岐点までの方が短い。
日光道中絵図では大橋~大行土橋間の距離は大行土橋~分岐点間よりかなり短い。

分岐点の近くに興生寺がある。分岐点の江戸よりを日光道中絵図で見る。
右に萬蔵寺、宮下村、原市道がある。
迅速測図の東宮下村と萬蔵寺を黄枠で示す。東宮下村は江戸時代宮下村だった。
原市道はこの道(赤)だと思う。
迅速測図を拡大する。八幡祠を黄枠で示す。
新編武蔵風土記稿で宮下村の神社の項を見ると八幡社があり、そこに興生寺というのがある。
興生寺は問題の分岐点の近くにある。

迅速測図で八幡祠の近くで日光御成道から左に分岐する道を見ると、このような道(赤)がある。
日光道中絵図に示した道と川を迅速測図に描くとこのようになると思う。実際の道は絵図のように曲がった道ではなかったと思う。黄丸のところに太鼓橋があったと思う。

現在の地図(ヤフー)を見る。
日光御成道を茶で示す。宮下八幡宮が迅速測図の八幡祠だと思う。
宮下八幡宮の近くで日光御成道から左に分岐する道はこの道(茶)である。
だが、この道は分岐してから見沼代用水までの距離が短いと思う。

私は日光道中絵図に描かれた太鼓橋はここ(赤丸)に架かっていたと思う。迅速測図の黄丸もここだと思う。
昭和21年空中写真のここ(赤丸)だと思う。

2017年1月、赤丸の場所で北を見た。南を見た。西を見た
青丸の場所で西を見た。

2017年7月赤矢印方向を見た
コメント (2)
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