咲いた万歩

さいたま市在住。 デジカメ片手に、四季折々の花木草を眺めつつ、 万歩ウォーキングで健康な日々。

中央区新中里の庚申塔と川越道

2019年04月10日 | 日記
4月2日のブログはこのような道筋を綴った。
青矢印のところに庚申塔があった。

庚申塔の右側面には「享保五庚子歳(1720年)四月吉辰」「是より北よの町みち」と刻まれているように見えた。
左側面は塀があったのでよく見えなかった。
その場所を縮小した地図に青丸で示す。
そのあたりを明治13年の迅速測図で見る。

迅速測図に高沼用水路を青で示す。現在地図に同様にする。
別所村道と思われる道を赤で示す
現在のこの道(大戸中通り)に引き継がれていると思う。
迅速測図で別所村道が北に突き当たった道を左に辿る川越道と表示されている。
川越道を反対側に辿ると中山道に突き当たる。

平成4年与野市発行『朝まんじゅうに昼うどん -與野ちょっと昔案内-』に所載の略図大正初期の下落合を見る。
この道(赤)は別所村道と川越道だと思う。

大正13年の地図を見る。
中央付近に中里の文字があり、その斜め左上に地図記号で学校、寺院、神社がある。
迅速測図には稲荷の表示がある。
現在の地図でそのあたりを見ると学校はないが寺院と神社はある。昭和53年与野市役所発行『与野市20年のあゆみ』には明治6年 “ 中里大日堂に、「中里学校」(現大戸小学校)が開校される ” とある。さいたま市立大戸小学校沿革史を拝見すると学校名は変更されたが、校舎は昭和16年まで大日堂にあった。
平成2年の地図を見ると国道17号とたつみ通りの交差点に与野稲荷前というバス停がある。与野稲荷というのは中里稲荷神社のことかも知れない。
大正13年の地図に川越道を赤で示すとこのようになると思う。

先ほどの略図大正初期の下落合を参考に大正13年の川越道現在の地図に描くとこのようになるのではないかと思う。
冒頭の庚申塔は青矢印のところにあった。
迅速測図のここ(青矢印)である。
コメント (2)
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