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夜の箱庭

潔(isagi)の楽描きブログです。

敦賀・小浜に行ってきた話~小浜編~

2023-05-22 21:38:18 | 旅行


2日目は小浜にいってきたよ
なぜに小浜なんかに行ったのかといいますと、
浅井三姉妹の真ん中、お初さん関係でございます
お初さんといえば、人生で小谷、北庄、大津、そして大阪城と4つも落城を経験したり、京極高次に嫁ぎ、なんやかんやあって若狭小浜藩に行き着いたというかたでございます
お茶々さん(淀殿)、お江さんと比べると地味だとかなんだかいわれますが、十分波瀾万丈な生涯を送ったかたです
てことは知ってたんですが、小浜…遠いな…いやでも、敦賀まで来たら行くしかねぇな…!!!! と腹を括りまして(?)、ついに小浜にいったよ! 敦賀から1時間だ!!!!!!

と思ったらば、9時に小浜に着くか、12:30に小浜につくかの究極の2択でww、ならと一駅手前の東小浜の若狭歴史博物館に行ってきましたよ



GWとはいえ、ほぼ開館と同時に来るやつは少なかったww そしてその後も来館者は少なかったwwwww



若狭といえば、鯖街道、京都への道があり、京都と交易を盛んにしていたことが有名なんだそうで、色々な村祭りにも京都の文化が垣間見えるそうです
京都では消えてしまった昔々の絵巻物に描かれた古式の服装な踊りなんかも若さでは残っていたりするそうで、とてもとても興味深く展示を見ました
ゾウも若狭小浜に来たそうですよ。すごいものですね
そして、若狭といえば塩なんだそうです。たくさんの積荷の木簡が残ってるそうですよ。越前とは違うものですねぇ



展示には小浜藩主京極氏、そしてお初さん(常高院)もおりはりましたよ



お菊物語はとてもとても泣けますね(´;ω;`)
大坂夏の陣(ちょうど昨日のことだ!)の最期、淀殿と秀頼をずっと説得していたものの、想い叶わず、大阪城を脱出…。。 そんな…そんな落城しなくてもよいじゃない……
悲しいものですね……
でも、お初さんはとてもとても良いかただったそうで、そのことはまた後で書きますw



写真がないけど小浜藩といえば、小浜藩医杉田玄白、解体新書なんだそうです
京極氏の後譜代酒井氏が入ったそうなんですが、この酒井氏は学問を奨励したそうで
杉田玄白がフランスのお高いターヘルアナトミアをほしいなぁ…でも超高いんだよなぁ…っていっても買ってあげて、そしてかの有名な解体新書が書かれたそうです
「えっ高いからヤダ」って言われたらそこで話は終わっていたわけで、すごいものですねと思います
友達に解体新書ノートをお土産であげたよwwww めちゃくちゃウケましたwwwww




これは新収蔵品展にあったものですが、なんかこうおもしろかったですw





博物館のあとは若狭姫神社へ
ここが若狭の一宮の下宮(上宮は離れたところにある彦神社)なんだそうで、越前国と若狭国の一宮にいったもんやのって思いました
これがとても気持ちのいい神社で、とても素敵



なんと1000年杉がありまして、これがものすごく巨大で息を呑むほどすばらしかったです
なんで大きい木ってあんなにも圧倒されるのでしょうか。とてもよかったです



電車まで時間があったので、フラフラしてたよw 博物館の横の庭園が素敵だったけど、天気が悪かったねww




さて、なぜ小浜なんていったの、釣りするのって感じですが、
目的は浅井三姉妹の次女・お初さん(常高院)が建てはった、夫京極高次と父母、そしてご自身が眠る常高寺に行くためです




このお初さん、とてもよい人だだったそうで、なんやらを読んでますと「この手紙には他者を思いやり気づかう気持ちが表れている」などよく書かれてるんですね
ほんだらば、遺言状があるそうなんですが、何ヶ条かに分かれていて、1つに「侍女の皆には扶持をきちんと与えること、望むならこのお寺に尼寺を作って、そこできちんと暮らさせること」等々、本当に色んな人への気遣いに溢れてはるんですよ
7人の侍女の方が亡くなられたのち尼にならはったそうで、本当に慕われてたんだなぁとしみじみします



御位牌所には真ん中がお初さん、右が夫京極高次、左から父母連盟のでござそしまして、泣けますね(´;ω;`) 本当に父母好かれてるな…なんともや……
父母の御位牌のお隣には竹生島の念持仏がありまして、養源院にあるのんとおんなじやんと…………
胸が詰まる………………
どうしようもなく動けなくて、なにもいえませんね。ちらほら他の拝観者の方が現れるのですが、さっさと去っていきます(笑)
なんなんやろなぁ、このなんと表現したらええのんかわからん想い
「そやっイケメンのにーちゃんのこと勉強したろ!」って理由からですけど、色々勉強して、小浜まできて、そして1人で胸が詰まる…なんていっとるわけで
こんな人生歩むとはなぁという思いが溢れます(笑)
こちらのお寺さん、お江さんの京極高次夫妻やポスターがまだまだ貼ってあるので、ぜひ見に行こう!!





お寺さんの外にお初さんのお墓があるのですが、こちらのお寺さんはお寺の中をJRが突っ切り、お墓までは国道が突っ切ってるという今どきさw
「しあわせの道」なんて名付けられてますけど、結構しんどいのでがんばっていこうw
上にも書いたようにお初さんが亡くなられた後、7人の侍女が尼になられたそうなんですが、お墓の周りにその侍女のみなさんのお墓もあるよ
なんたが色んな想いが溢れてしみじみしますね
小浜駅からそう離れてないので、小浜にいったら是非行ってみよう





常高寺の前後は小浜市街をチリンチリーンとフラフラしましたよ
あんまり大きくない街なので、すぐ回れます



途中、海をみたら黒い砂で「気比の松原が白砂青松って書いてたのわかるな~」っていったり、一休みして横向いたら桂小五郎の嫁の末裔の宿があるらしく目ん玉飛び出ました(  Д )    ゚   ゚ あなた小浜藩士だったの!!! びっくりだよ…




フラフラと小浜神社へ。旧小浜城の跡地だそうです
ちょうどいきました4/30の翌日5/1が小浜城祭りだったそうで、適当に行ったから仕方ないね




小浜城は明治に入って焼失してしまったそうですが、立派な石垣が残ってます。とても大きかったよ!



敦賀小浜とどんよりofどんよりって感じでしたが、最後の最後にやっとこさ晴れました。きれいだったよ!!



小浜の壁には小浜の有名人の皆さんが描かれているのですが、ご夫妻はとてもよいですね^^
昼ごはんをやってるところはやはり爆発していたので、小鯛の笹漬け買って、鯖寿司買って食べました。美味しゅうございました


帰りももちろん新快速ですよ。なんてったってこの景色が見られるのが楽しいっちゃありゃしない!!!!
1時間くらいあっという間にすぎていって楽しすぎますね
田んぼを麦畑にした人が多いのかなぁ?? 水田が減ってる気がするなぁ、大変やなぁと思いました


敦賀・小浜に行ってきた話~敦賀編~

2023-05-22 21:26:43 | 旅行


GWのことを投稿したいぜ!!
夢の9連休だけど天気悪そうだがおれは旅行に行く!!!
てなわけで、「新快速の終点に乗ってみたい!!!」という野望を叶えるべく、敦賀に行ってきたよ!
残念ながら米原乗り換えだったけど、琵琶湖を見るのはちょーーーーーーーーーーーーー楽しいからオッケーやね!!



最初は人道の港 敦賀ムゼウムへ
ワタクシ、小学生の頃端から端まで漫画偉人伝を読んだんですが、その時一番感動したのが杉原千畝
敦賀ってなにがあるんや? と思ったら、杉原千畝が発行したビザを使って日本に来た人は、最初に敦賀に入港したとあるではないですか
これはいくしか! で心が暗くなってきました
杉原千畝の命のビザの10年ほど前にもポーランド割譲によって生じた孤児たちが敦賀経由で日本に来ていたそうで
なんともや…な話をたくさん勉強してきましたよ
敦賀に滞在しはったのは1日2日のことなんだそうですが、日本円を得るために貴金属を換金したり、歩きながらりんごを食べていたのが強烈に記憶に残っておられるそうで、りんごがモチーフになってます



くら~いけどわかりやすく解説されているので、是非行ってみよう
いさぎさんが敦賀行くって金ヶ崎のためやろ?w といわれそうですが、新快速とムゼウムのためなんや、わかってくれ!!!



ほんで、ムゼウムの裏は金ヶ崎です。てなわけで登りました(笑)



今は神社になってまして、かわいい萌えキャラがおりますよ
雨降る前のすげーーーーーーーーーーーー風が強くてびびってたら、宮司さんが「こんなものよ〜」っていってたので、これぞ地域特性ですね






金ヶ崎というと信長と浅井朝倉の金ヶ崎の退き口のほうを浮かべてしまうけど、太平記の新田義貞もここで戦って負けたそうで
こないだ堅田に行ってきたのでなんともや…です



朝倉は新田義貞時代の色々を改修して備えたんだって。すごい堀切が現れて興味深かったよ
長政様はここまで進軍してきはったのか…と思うと感慨深いですね
そしてどうする家康の阿月ちゃんはこんなとこまで走ってきたのか…と思うと辛いですね



金ヶ崎のあとは自転車をチリンチリーンと漕ぎまして、気比神宮へ
こちらが越前国の一宮なんだそうです
とても大きなお社で、美しかったですよ




ほんだらば、まぁまぁ藤の見事なこと!
きゃいきゃいしてたらお掃除のおいちゃんが「こんなになるのは初めてなんだよ〜」って教えてくださいました
道中の山々にも藤が這わしていて美しかったですよ(あまりよくないことだそうですが…)
藤ってそんな興味なかったんやけども、色々ありまして好きになったもんやなぁ、胸が詰まるなぁと思ってました



敦賀の商工会議所がお願いして(特に敦賀と関係ないけど)銀河鉄道999の銅像がそこかしこにあって楽しかったです
一度ちゃんと読んでみたいなぁと思いつつ通りました



傘をホテルにとりに戻った後は、敦賀城跡を見に。大谷吉継が城主で有名ですね
関ヶ原で石田三成は負けるだろうとわかっていながら、友達だからと出陣し、そして亡くなられたという方です😭
友達思い😭
色んな話があるものよ…としみじみしますね 



「そうだ、博物館に行きたかったんだわ!」とテキトーすぎる旅程で敦賀市立博物館へ
旧大和田銀行をそのまま博物館にいているので、めちゃくちゃ建物が素敵!!!!!!!!
丸の内の明治生命にも劣らないくらい素敵でした。敦賀が物流で栄えてたってのがとてもわかるわぁ!!



展示品は写真撮っちゃダメだけど、建物と調度は撮り放題なのでぜひ行こう
金ヶ崎の展示で「長政様(´;ω;`)」ってなってきましたよ(ちょろい)
「某大河でカニヶ崎なんていわれてたけど、あの時代はあのカニは食べてないわぁ~」って展示がおもしろかったですww



ワタクシの旅行といえば昼ごはんが爆発することでお馴染みですが(?)、今回も元気よく爆発したので、近くのヨーロッパ軒でソースカツ丼食べましたよ
ちょっと多いかなぁ食べれんこたぁないけど…って思ったら、持ち帰りセットがおいてあるというハートフルさでした。素晴らしい
ここは福井とは別店舗なんだそうです。とてもおいしかったよ!




自転車を1日コース借りていたので、気比の松原を楽しくサイクリング!!!!!!
ものすごくどんよりとした雲だったのが残念だけど、楽しいことったらありゃしない!!!!!!!!
きゃーーーーーー楽しいーーーーーーー!!!! って言いながら漕いでました(いつものこと)
そのまま湾をぐるっと回り、外海まで行っちゃう!!!!??? となりましたがw、電灯もないし危ないので程々でやめました
延々と漕いで進むのちょーーーーーーー楽しいやろなぁ…!! 憧れますね!  


京都は七条養源院で勉強した成果を感じてきた話~限界オタク編~

2022-08-25 19:32:01 | 旅行

 どうも私です。元気に限界オタクしています。



この夏はなんと浅井長政公450回忌でございまして、長浜城・小谷城・浅井で3館連携の浅井長政公450回忌記念展を開いてはったり、養源院で松の間の御開帳があったりとまぁもう世界が浅井に満ちておるのでございます。
「あんたそんなときにハマってるなんてどんな天のお導きなの???」と友達に笑われながら、めいいっぱい楽しんでます!!!!
 いやほんと…めいいっぱい楽しんでます…!
 この夏の繁栄期がちょっと意味わかんなくてですね、なんか知らんけど残業が60時間を超えるのが確定しているんですよね…よくわからない…。
長浜も「泊りでいくぞ~~~~!!!!」って超絶うっきうっきしてたのに日帰りになったくらいなんかず~~~~~~~っと職場にいて草が枯れます。
…その枯れた思いを推し活というかオタクのパワーで埋めるという素晴らしき循環でございます。ちょろいな!!!
 まぁそんなわけでですね。8月21日についに、念願の、養源院にいってきたよーーーーーーーログです!!!
前回行ってきたときでさえただ楽しかったのに、その長浜城の展示「浅井長政と菩提寺養源院」の講演会、「養源院の障壁画について」を聞いてきたんですよ…!!!! 最高に楽しかったんですよ!!!!!
マジで、養源院、なんなの? あなた盛大に裏切って滅亡したのではないのか…????
ただ謎である。。
 まぁ、そんなわけで、超楽しくて素晴らしかったログです。長いな! 仕方ないな!!!
勉強する、身になるってこういうことだなぁと感じ続けております。
楽しいわぁ…。。

―――



日曜日に念願、ほんとーーーーーーーーーーーーに念願叶って養源院にいってきました(´;ω;`) 1ヶ月弱前に行くはずが仕事仕事仕事で意味わからずなんで私ずっと職場おるのん養源院にいきたいのに!!!!!!! なぜ!!!!!!!!!! ってずっといっておりましたうふふえへへ





ほら…美しかろ…? もはや限界オタクなので淀屋橋乗り換えでさえ「(´;ω;`)」ってなっていたw 七条に行きたすぎるって毎日いってたかいがありましたね!!! 京阪は憧れの2階にのりましてちょーーー楽しかったよ。ああ…素晴らしい日であった…(早い) 

浅井長政公450周回忌展を長浜でやってるのにあわせて、長政様や歴代徳川将軍(秀忠〜家茂)の位牌所である松の間、俵屋宗達が残した唯一の襖絵の松の間が見られるんですよーーー(´;ω;`) いやもう入ってすぐ座り込んで長浜城やら講演会のあれこれをひっはりだす限界オタクですはい… 




書き忘れてたけどワタクシ8月の長浜での養源院についての講演会にいってきまして、これがもう最高におもしろくて興味深くて不思議で不思議で仕方なくてですね…!! ほんとはこの講演会の前に養源院いっておさらいして、講演会いってなーるーー!! っていおうとおもってたの(´;ω;`) 悲しい 

講演会は美術の先生が話してくださったので、養源院の建物の変遷(本殿自体は変わってない、土地も今ちょっと小さくなったけどそんなにかわってない)や、いかにして宗達やら山楽やらの絵を同定したのか、ほんで基本的に浅井家臣を取り立てまくっとるのになんで無関係な宗達やねん! てな話で 

いやもうただひたすらにおもしろかった…!!! 浅井推しかつ美術は普通に昔から好きなので、「光悦村! 聞いたことある!」とか「光悦と宗達のコラボの鶴のすごいやつ昔見た!」とか、この1年で学んだことと昔それとも知らず学んだことが合体して養源院というお寺さんに集結していってただ楽しかった 

いやほんとよくわからないんですよ、養源院。マジで。ほんと。 浅井攻めで功をなした秀吉が、お茶々さんが「作りたいのっ」っていって「イイヨ!!」っていったのもどーゆーこーと!? ってなるし、浅井のお坊さん呼んできてええんかいって思うし、焼失した後にお江さんが再建できるの!!??

ってのも本当に不思議、だって浅井かつ豊臣が作ったお寺さんを徳川秀忠の正室のお江さんが再建やで。どーゆーこっちゃ。そこで伏見城の血天井を供養するためにと徳川の皆さんの溜飲が下がることを持って来はったのはすごいなぁと思うし、そもそも小谷落城の際お茶々さんは4歳でお江さんは赤ちゃん  

そんな父のこと覚えとるんかって思うと、お市様が話して貼ったんやろうなぁ、どれだけ仲良しやったんやろかウッッッッッッってなりますのよほんともう!!!!!!!!(超絶早口) なんかよくわからなすぎてただ早口で話すしかない、そんなお寺さんなんです(迫真) 

そんで、宗達ですよ。養源院の一番いいとこに俵屋宗達という徳川が依頼するといえば狩野派ってな絶世期に宗達ですよ。浅井三姉妹とお孫さんが尾形光琳の祖父の時代の雁金屋を超絶お引き立て…って近江好きやな!!とか、そこから本阿弥光悦と繋がって光悦がお気にだった宗達くんに話が飛ぶとか 

宗達→本阿弥光悦→尾形光琳の祖父→京都所司代の方→お江さん(もしくは尾形家を飛ばす)だそうで、そんなことある!? ってね! 二条城で狩野派がめちゃくちゃ忙しかったからってのもあるらしいよ!! あれだけ描きまくったとったらなぁとかね! 

狩野山楽は浅井の家臣の木村さんの息子で、海北友松もおるし浅井家臣芸達者やな!? とか、お庭をつくらはった小堀遠州の母は磯野さんの娘とかバリバリ浅井やないかい! とか、ほんとお江さん父知らんのやで…!!?? って母の存在を思いますね(´;ω;`) あかん、ただ早口になってしまうwww 

はぁはぁ、どこまで語ったっけ…まぁいいや なんかこう勉強してからお寺さん行ったら「いってはったやつか!」とか「あっここが平家納経の鹿のラインとおんなじで同定されたんか!」とか「あの時代著作権とかないから真似し放題なんですよねw」かーー!! とかただただひたすらに楽しい!!! 

楽しい…楽しくて仕方ない、本当に楽しいのよ…!! あっあすこに長政→お市様→お茶々さん→お初さん→お江さん→そして東福門院(和子さん)に引き継がれた竹生島の弁財天が祀られてるのねっ長浜城で見るたびに胸が詰まって詰まって詰まってしかたないわっ(´;ω;`) とかね!!! 

浅井ロマン派としても、美術好きとしても、歴史好きとしてもただただ楽しい、本当に楽しい…そして絵はなにより素晴らしい……(´;ω;`) 狩野派バリバリ全盛期にあの絵を描く俵屋宗達よ。すごいな…! 迷いのない線、選択の美、なんとすばらしいのだ…!! と本当に思いますもうねぇ…! 

そんで松の間ですよ、最初はここが長政様オンリーのご位牌所ってでかいな!!! と改めて思うというね! あなたのムスメはすげーーーところに嫁いであなたのことを想ってはったんよ……としみじみ思うわよ(´;ω;`) ほんでもってご位牌をあけてくれてはって参拝できました(´;ω;`) 

本当に本当に、数奇な運命を歩みはってあなたはそこにおりはるんやなぁ……としみじみ思います。家光の母方の祖父にあたるから、中納言にならはったのよ…中納言即ち黄門様よ…そんなことある……??? わ、わからん………… 

わけわかめが天元突破しそうなんですけど、宗達の話するね! 松の間の絵がもーーーただただすごくてですね、圧倒されます。狩野派とも智積院の等伯とも違う筆致、これがたらしこみか! とか、確かにいうてはった通り主線がなくてぐわってかいとるわぁとか、 

松の葉のもこもこのなかも中央から外に向かって描いてはったんやなぁこれが出来立てホヤホヤやったらもっと鮮やかでどんなんやったんやろうなぁとか、ただただ見ているだけで楽しいっ! いや、本当いい絵の具といい金箔使っているから、400年経っててもものすごく美しいんですよ。すごいよ…みにいこ… 

智積院で等伯の松と見比べてたんですけど、本当に描き方が違うというか、独特の筆致ですね。幹の描き方はもちろん、等伯は松のモコモコの中に線は書かない派なのかぁ! とか、楽しくて仕方なくてですね!! いこ!!! 松の間みにいこ!!!!! 楽しすぎる!!!!! 

長浜城に展示されてる山楽の唐獅子図はどこの絵なんかなぁと思っとったら松の間の仏壇の下のとこですよ、と教えていただきました。宗達と山楽を一気に見られるとか!!! 贅沢!!!!!! ほんで山楽じゃなくて宗達なんすげぇ!!!!!!! とか!!!! 

海北友松が生きてはったらきっとどこかに絵を描いてそうやなぁ、松の間がもしや海北友松やったんかなぁ…とか考えるだけでも楽しい!! いや、ほんと、ただただ楽しいんですよ…。。 推し活×美術好き×歴史好き即ちただただ楽しいなので……楽しかった………… 

血天井の話してなかったね!! 三成が攻めた伏見城の皆様が切腹しはって残った廊下の血の跡を天井にお祀りしはって、その御霊を鎮めるために宗達の絵が描かれたんですけど、長政様は畳の上でしなはったんかなぁ、朝倉義景は景鏡が裏切っての自刃てそうじゃなかってよかったのかなぁとか  

赤尾さんはやっぱ担ぎあげはったからその責任をとらはったんかなぁとか、ちょうど壬生義士伝の試し読みで切腹に失敗しはって畳を汚してしもうた…てのみたからそんな感じやったんかなぁとか、まぁなにより…みなさん不憫やなぁ……と……ただしみじみ思いますね…… 

星々の悲しみじゃないけど、ヒトがどのように思いながら死したのか、他人は永遠にわからないのよ。その想いを抱きながら死んでいくんよなぁ……と……。。 楽しかった………… 

別に大きくないお寺さんなんですけど、ただいって俵屋宗達! 狩野山楽! 松花堂昭乗!! が見られるのもすんんんんばらしくて訪ねてほしい、そしてこのお寺さんがあるわけを勉強すればするほど本当にただただよくわからなくなるし、本当に素敵で素晴らしいお寺さんなので養源院みんないこ…ほんと…… 

この養源院の障壁画を描いたことから俵屋宗達は名をあげて、かの有名な風神雷神図屏風を描いたそうですよ…! あなたがいはらなかったなら、日本の美術史は結構変わってたかもなぁ……と思うと…ほんと…………わからん………… 



そんなこんなで「楽しい……(´;ω;`)」っていってたら2時間半くらいおりました^p^ 、ら、モーーーーレツなゲリラ豪雨がきましてね!!!! 意味がわからないわね!!!!!!!! しゅごかったです………… 

ほんと、ただ早口でひたすら語りたくて語りましたけど、素敵なお寺さんなのでみないこ…立地最強、京都国立博物館の向かい、三十三間堂の斜向かい、京阪七条から10分くらいだから…いこ……(´;ω;`) 




長浜城と養源院と巡るとそろう御朱印もついにいただけましたわよーーー(´;ω;`) 1ヶ月前にいただいている予定が…もうやだ…まぁいいや、感無量(´;ω;`)です みんな9/4までに長浜城と養源院いこ、ほんとすごいから…意味わからんほどすごいから………… 

そうそう、特に何も書いてなかったからなんやんやろなぁと思ってた養源院の井桁紋は浅井の家紋(裏紋)なんだそうです。やっぱそこはいかにお江さんでも亀甲の方は使えんかったんやなぁ。スッキリしたわ…



鳥取島根旅行に行ってきた話~3日目・安来は月山富田城周辺編~

2022-05-30 21:26:11 | 旅行


チョウを撮りつつ、花を撮りつつ、小谷より広ーいなんていいつつ、山を降りまして周囲散策
物販で銘菓鹿介やら鹿カレーやら買いましたわよ
貼ってあるポスターおもしろかったw 流石「山陰の麒麟児」やでw




「今からちょうど1時間くらい暇なんですけど、なにかおすすめありますか?」
と観光協会のおいちゃんに尋ねてみると
「ここの神社いいとこだから行ってみるといいよー」
とのことで、レッツラゴー
自販機もキラキライケメンやったよ! いいわね




「お姉さんどこから来たのん?」
とおもむろに地元のおいちゃんに話しかけられるスキルを使う私ww
「あそこの橋を渡って、ここの辺りからだと『月山』と山が綺麗に入るよ!」「ほんとや! ありがとうございます!!」
と教えてもらった写真ですw
「ここの川沿いを走るマラソンがあるんよ」
「あっ自販機に書いてあったやつですね!!?」
「そうそう、よかったら走りに来てー」
めちゃくちゃええとこやから走ったら気持ちいいやろうなぁ



近くの公園に尼子経久の像があるよ
この方が月山富田城になくて、鹿介がいるのん、やっぱおもろいなぁとしみじみw



GWの休日で郵便局がお休みだったから、おばあちゃんに風景印でだせなかったわ。この風景印は押したかったわね…!









鳥取島根旅行ラスト
えっちらおっちら歩きまして、着きましたのは富田八幡宮
これがもう、「いいとこ」の極みのようなところで、あまりに静謐で、奥まっていて、神秘的で素晴らしくよかった
光と影のコントラストが美しくて、夢中でシャッター切ってましたw
すごくいい旅だったなぁ…としみじみしながら参拝しました




今調べたら、平家の時代に富田城を作る時にここに移築されたそう。そんな昔からあるのねぇ…
とても美しかったので、是非行こう



安来市内はレトロな街並みが残ってるよ
気になりながらもバスを逃したら帰られなくなるのでまた次回に繰り越しです



安来駅で大山鶏サンド食べて、鹿介ぼやーっとみつつ「確かに小谷と違ってたわ…」としみじみして、電車乗って帰ろ…と思ったら電車ちょっと遅れててwwww
結局米子で鬼太郎買えず、職場のお土産が銘菓鹿介になりました~fin~
職場のお土産は早めに買おうね^p^


おいしかったよ!




米子〜関西のバスの休憩地が上月インターやったんやけどwwww
上月といえば、尼子勝久最期の地であり鹿介が捕われた上月城のあるところではないですか…!
なんなん、めちゃくちゃ鹿介旅やんけwwww って笑ってましたw
上月城跡は佐用町だったんですね。知らなんだわ。しかも結構行きやすいみたいやわ
鹿コロッケは鹿介と関係あるのかしら…w 食べようと思ったら売り切れだったわww
てなわけで、楽しかったよ!!!


鳥取島根旅行に行ってきた話~3日目・安来は月山富田城編その2~

2022-05-30 21:20:35 | 旅行


ここからが本番だぜ!!!
七曲りって呼ばれてる山を登ります



これ壁ちゃう!!?? って感じなんですが、ちゃんと階段整備されてるから石で足がとられないし(賤ヶ岳のトラウマ)、手すりもあるから落ちそうになっても持てるし(小谷の恐怖)、なんと登りやすいのだゼーゼーですw
私の写真技術ではさっぱり通じないですが、すごかったよ!!!
友達「城いっとるんか山登っとるんかわからんなぁ」
「確かに!!」



でもね、ちょっとずつ安来市の見える範囲が広がって、どんどん海が見えてくると楽しいね!!




お昼ご飯はいつものように爆発していたので、安来名物どじょうすくい饅頭食べたよ! お茶買うの忘れて涙目



山頂には神社があるよ。小谷もあったそうだけど、今は麓に移転してはるよ

この辺で気づいたこと、それは月山富田城は棚田っぽい、そして小谷城は稜線であるということです
棚田に登ったことないので感覚的な話ですが、あんなかんじに平行にならした広間があって、層になってて、一段一段登れるようになってて、ちょっとずつ山上に登ってくんです
で、小谷は山の三角の一番上に色々作ってるから、何度もいうけど広くないし落ちたら死ぬスポットだらけ!
「山城」と一言でいってもこんなに違うんやなぁ
確かにとてつもなく広くて、どれだけの人が住んではったんやろなぁとしみじみ
そして小谷は住みにくかったやろうなぁとまたもしみじみ
秀吉はよく小谷の谷のとこから攻め込んだなぁ…と島根で思いを馳せてましたw



山城って、小谷もだけど、守るのは易いけど一度籠城戦になってしまったらどうしようもいかなくなるんやって。確かに…
小谷は信長が向かいの虎御前山に布陣して、田畑を焼いたように、尼子の人が毛利に攻められた時も城下町や田畑を焼かれたそう
まぁ…確かにするわな……である。。
不思議なことですね。ここの足元には血みどろな歴史が詰まってる
それを時間が流していき、今に至ってるんですね



山頂には山中鹿介の碑もあるよ
というか、尼子の誰がしかでもなく、毛利でも堀尾でもなく、鹿介の碑があるのもちょっとおもしろいねw 再興運動がんばらはったとはいえ、家老だからねw おもしろいね



開けた土地に整備されているので、チョウがたくさん飛んでました(*^◯^*)
側から見たら「あの人いきなり止まってそーっと歩き出すしなんなんやろ…」やと思いますw



ヒメウラナミジャノメとか、ベニシジミ、ヤマトシジミ、ツマグロヒョウモン
写真撮れてないけどキチョウとモンシロ、アゲハがいたかなー
なんと…楽しいのだ…!!! って言い続けてましたすばらしい!




お花も多くて、写真撮ってめっちゃ遊んだよ!
気づけば4時間くらいおりました^p^ 最高!!