あれこれしないといけないな、と思っても、あれこれをする意欲がわきません、最近。
あれこれをやることが可能である自分の代わりとなる誰かがいることで、さらに意欲は減衰していきます。
時は過ぎていくのに体が動きません。
あれやらないと自分もみんなもあとあと困るな、と思っても、その問題を見て見ぬふりしてしまいます。
誰かがやってくれるというよりも、めんどくさいことはしたくないという情けない気持ちが働いている気がしています。
それから、以前は取り組んでいることに壁があったとしても、いつも成功しているようすを思い描きながら行動していたので、それが実現することが多かったです。
例えば中2くらいまでは合唱祭の伴奏のときとか、吹奏楽部でソロを吹くときとかね。
ですが、あるものごとが成功するのを願ってはいるものの、心のどこかで「このままだときっと失敗する」とほぼ確信・予期してしまうようになると、本当に失敗するようになりました。
例えば中3の合唱祭の伴奏で、どうしても失敗することしか予想できなくて結局ぐちゃる、とか、テストの点数とか。
現実をみてこのままだとだめだと思ったら、現状をかえなければいけないのでしょうか。
ですが成功する自分の姿がぼやぼやっと夢のようでしか想像できずに、結局は確信したほうの未来に勝手に行動してしまっているのではないかと思っています(:_;)
成功している自分をもっとリアルに想像できたらいい話なんでしょうかね…( `ー´)ノ
あれこれをやることが可能である自分の代わりとなる誰かがいることで、さらに意欲は減衰していきます。
時は過ぎていくのに体が動きません。
あれやらないと自分もみんなもあとあと困るな、と思っても、その問題を見て見ぬふりしてしまいます。
誰かがやってくれるというよりも、めんどくさいことはしたくないという情けない気持ちが働いている気がしています。
それから、以前は取り組んでいることに壁があったとしても、いつも成功しているようすを思い描きながら行動していたので、それが実現することが多かったです。
例えば中2くらいまでは合唱祭の伴奏のときとか、吹奏楽部でソロを吹くときとかね。
ですが、あるものごとが成功するのを願ってはいるものの、心のどこかで「このままだときっと失敗する」とほぼ確信・予期してしまうようになると、本当に失敗するようになりました。
例えば中3の合唱祭の伴奏で、どうしても失敗することしか予想できなくて結局ぐちゃる、とか、テストの点数とか。
現実をみてこのままだとだめだと思ったら、現状をかえなければいけないのでしょうか。
ですが成功する自分の姿がぼやぼやっと夢のようでしか想像できずに、結局は確信したほうの未来に勝手に行動してしまっているのではないかと思っています(:_;)
成功している自分をもっとリアルに想像できたらいい話なんでしょうかね…( `ー´)ノ