真理の喧嘩日記

子宮頸がん闘病記録

それまでのこと 3

2002年09月20日 00時00分00秒 | Weblog
産婦人科なんて何年ぶりだろう。
最後に子宮癌の検診を受けたのはいつのことだったか。
10年も前だ・・・。
今更だが反省。

待合室はピンクのパステルカラーで
若い妊婦と子宮癌検診を受けに来た中年の女性たちで混んでいた。
同年代の女性たちに救われる。
1時間ほど待ってわたしの名前が呼ばれる。
まず問診。
簡単に今の状況を話す。
「では内診台の方へ。」
促されるまま内診台のある別室に入る。
カーテンで仕切られた内診台は3台。
子宮がんの集団検診の時には流れ作業なのだろうか。
医師は一人しかいないのだから・・・。
微かに不安が過ぎる。

いつも思うことだが、内診台に乗るのは気持ちのいいものではない。
抵抗を感じないのは出産のときくらいだろうか。
カーテンの向こう側に人の気配がして
「はい、楽にしてくださいね。器具が入ります。」と
声をかけられる。
そう言われた途端、身体が緊張でこわばる。
金属の器具が身体に触れる。
「うっ!」
ここで声を上げるのはわたしのはずだった。
が、わたしより先に医師がうめき声を上げる。

「こんな大きいのは・・・見たことがない!!」
え?なに?なにが?
状況が全く飲み込めないでわたしはうろたえる。
それにしても無神経な医師だ。
しかしその時は、医師に対する怒りよりも自分の中にある
「大きい」と言われた「何か」
医師を驚愕させた「何か」に
わたしの意識は集中していたのだった。
「細胞検査をします。」

その後、再度医師の前に呼ばれる。
「細胞を検査センターに出します。
至急で出しましたので
今週中には結果が出ると思います。
結果が出たら連絡しますから。」

強調された「至急」という言葉に
特別な意味があることを感じる。

心が少し震えた。怯えているのだろうか?

斉くんに電話をする。
自分でも意外なほど声はしっかりしている。
「多分、癌だと思う。」

友達にメールする。
「やっぱり癌かも。」

学くんが駐車場で待っていてくれた。
仕事を休んで運転手を買って出てくれたのだ。
「ごめん、駄目だと思う。」

3人が答える「まだ、はっきりした訳じゃないじゃん!」

しかしその時、わたしは自分が癌であることを知っていたのだと思う。
わたしは癌だ。
でも、そうは言えなかった。