真理の喧嘩日記

子宮頸がん闘病記録

はじめの一歩

2002年10月15日 00時00分00秒 | Weblog
本当にたまたまだったが
先日、テレビで観た番組を思い出す。
子宮頸癌の患者が治療して出産をするという内容で
女性の産婦人科医が紹介されていたのだ。
「K大学病院」あそこに行こう。
伊豆から離れるのは辛いけど、ここでは駄目だ。

翌日、朝一でK大学病院の外来診察を受ける手配を取る。
大きな病院になればなるほど、初診の受付は煩雑だ。
大学病院前にあるビジネスホテルに予約を入れ、
早朝の受付開始に間に合うように伊豆を出発する。
もしかしたら、即入院という可能性もあるだろう。
海岸線を東京方面に向かう車窓に伊豆の蒼い海が広がっている。
(帰って来れるんだろうか?)
ふと弱気になってしまう。

泣かないと決めていた。
泣いても喚いても過ぎ行く時間に変わりはない。
わたしには選択肢が無いのだ。
逃げる場所など何処にも無い。
生きるために闘う。
これが唯一わたしが歩むべき道だ。

幸い多くの友人がサポーターを引き受けてくれていた。
彼らはきっと言ってくれるに違いない。
「泣いてもいい。弱音を吐いてもいい。」と・・・。
その時が来たら、甘えさせてもらおう。
だが、今はその時じゃない。
だから普通のわたしでいよう。
冗談も馬鹿話もして、大笑いもするいつものわたしでいよう。

K大学病院での診察結果は8日の初診、
10日の教授診察で次のように出た。
「子宮頸癌 粘膜性腺癌 第一期B2」

子宮頸癌の90%は扁平上皮癌という進行のきわめて遅い
転移しにくい癌なのだが、
わたしの場合は子宮体癌に多く見られる腺癌で
転移の可能性の高い癌であること。
所見では周囲への浸潤は見れないが、
大きさが4センチもあり
第一期といえどもB2と判断せざるを得ないこと。
即切除手術が望ましいが、
優先順位の関係から
K大病院では順番待ちで11月下旬になるまで手術は出来ないこと。
本人告知を望んでいたわたしはこれらを全て一人で聞いた。

手術するまでに時間がかかり過ぎることは
確かに大きな不安材料だったが、
その他の事実は事実でしかなかった。

それはわたしの力でどうこう出来る、
動かすことの出来るものではない。
わたしの身の上に降りかかった事実ならそうと受け止めるしかないのだ。

手術を先送りにする対処として
腺癌に有効とされる抗癌剤投与の化学療法が取られるだろうことが示唆された。
「もし、すぐに切除手術が出来る病院に移られることを希望されるなら
今までの検査結果は全てお出しします。
ただ、あなたの癌の大きさはボーダーラインで、
手術可能な病院でもまず抗癌剤の投与を行って、
出来るだけ癌を小さくして手術に持っていくという方法を
選択する医師もいるだろうことは、あり得ると思います。」
抗癌剤・・・稚拙な知識の中で、
脱毛、頭痛、吐き気、白血球減少等、多くの副作用が頭に浮かぶ。
抗癌剤の投与から始って手術に至る治療は
最低でも1ヶ月はかかるとのこと。
入院の予約を取っていくことを勧められる。