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まんぼ~旅行記 フアヒネ島(2) ラピタ人のお話

2016年11月02日 | フアヒネ

ラピタ人の事を知りたいだなんて何年振りかな。 腕がなるわい。

ワタシもこのホテルに勤めるスタッフとして、ラピタ人に関する知識を
多少は持ち合わせております。

オホンっ!

それでは、日本からの旅人のリクエストにお応えして、私セルジュが
ラピタ人のお話を少しだけ。

太平洋の北をハワイ、西をニュージーランド、東をイースター島として
3点を結んだトライアングルがポリネシアになり、この範囲には少なく
とも1000以上の島が存在しています。

これらの島は数千㎞も離れているにも関わらず、使っている言語や文化
等に似ている部分があることから、ポリネシアのルーツは同じであると
考えることが出来ます。



簡単なところで、「家」はハワイではハレ、タヒチではファレ。
ほとんど一緒です。

イースター島のモアイが鎮座するアフと呼ばれる祭壇がタヒチのマラエに
似ていることもそうでしょう。

ニュージーランドの有名なハカは、マルケサス諸島の力強いダンスに
似たところがあります。

メラネシアではありますが、フィジーでは家のことをブレと呼び、こちらも
戦いの前に自らを鼓舞するようなダンスがあります。



元々は誰も住んでいなかったポリネシアに現在は沢山の人が住んでいる
わけですが、ポリネシア人の先祖はいったいどこからやってきたのか。

諸説ある中で、今から3000年以上前に台湾やビスマルク諸島から航海を
経てポリネシアにやってきた説が有力です。

このような人たちの事をラピタ人と呼び、ラピタ人が使っていた土器は
ラピタ土器と呼ばれ、当ホテルの名前にもなっています。



ラピタ人は多くの謎を残しています。

突然現れて人類史上類のない大航海を行ったラピタ人ですが、その昔に
現在のような船や航海術があったはずもありません。

吹けばひっくり返るようなカヌーに乗り、夜空に輝く星々を道しるべに
大冒険を行ったときけば、それだけで気が遠くなります。

そもそも、危険を犯してまでそのような大航海を行う必要があったのか。

各地での部族間の争いにより、必要にかられて次の島を目指したのか。
それとも自らの意思で航海を続けたのか。



ラピタ人が暮らしていた土地には、長い歳月で見れば平穏な時もあれば
部族間で争いが起きたこともあったと考えることができ、航海には周到
な準備を行っていたことが伺えます。

このような事から、その土地を追われるようにして航海を行ったのでは
なく、平穏な時期に自らの意思で航海を行ったと考えることが出来ます。

いったい何のために? という疑問は残りますが。

この広い海を自分達の庭のような感覚に捉えていたのか…。

人が宇宙を目指すように、自らの航海術で大海に挑戦したかったのか…。



ラピタ人の足取りについては、ビスマルク諸島からマルケサス諸島へ。

マルケサス諸島からイースター島へ、更にはソシエテ諸島やハワイ諸島、
最後にニュージーランドへ派生したとされます。

イースター島だけは南米に近いことから、ポリネシアから文化が入った
とされるポリネシア説の他に、南米から文化が入ったとされる南米説を
唱える人もいました。



今のところはイースター島もポリネシア説が有力です。

ただし、南米からの文化がゼロではなく、イースター島にはポリネシアと
南米の両方から文化が入ってきたと考えることが出来ます。

モアイのアフはマラエに似ているように見えるものの、アフ・ビナプの
精巧な石組みはインカ帝国の石組みに似ています。

インカ帝国のような精巧な石組みは、マラエには見られません。

南米からイースター島に入ってきた文化は少数派であったため、やがて
ポリネシアの文化に吸収される形で衰退したのでは。



ラピタ人は、航海の時にはラピタ土器もカヌーに乗せていました。

航海に欠かせなかったと思われるラピタ土器は、なぜかタヒチを最後に
作られなくなってしまいました。

これについても、土器を作る粘土が取れなくなったとされる説があれば、
タヒチで芋がとれたことを理由とする説もあります。

ラピタ土器は米を運ぶために必要であったのでは…。

ラピタ人が到達したタヒチでは米が取れないかわりに芋がとれたため、
土器を作る必要もなくなってしまったのでは…。

2500年程前にはラピタ人の足跡は途絶えており、謎は深まるばかり。



ラピタ人やポリネシアのルーツに関するお話をしましたが、どれが絶対
に正しいということは言い切れず、何れも推測の域を出ないのです。

また、今後世界のどこかで何かが発掘されることにより、現在は有力と
されている説も全て見直しになることもありえます。

さっ、肩慣らしはこれくらいにして、今から本格的に激熱なラピタ人の
お話に進みたいと思います。

本気を出しちゃうぞ。 どこまでワタシについてこれるかな。

昔の人はアメリカやアラスカからやってくる渡り鳥を見て……。
……東ポリネシアには紀元前850年までに既に人が到着していた。

黒蝶貝の釣り針…。  …ヘイエルダール…。 

zzzzz…。 zzzzzzzz…。




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