私は日頃、小学校受験を目指す家庭の方々と関わっています。
教室の生徒は4歳児、5歳児。自我の強い子はいますが、本人に十分な経験も知恵も知識もないため、結果的には「親の言いなり」になる時期です。
ですから、当然親は、「こうなって欲しい」という強い思いのもと、さまざまなことを教えていきます。
幸い、この年齢の子ども達は、スポンジのように多くのことを吸収していきますので、親はウハウハと大喜び。この時期の親は、「無敵の境地」です。
このままでわが子は、どんどんといろいろなことを覚え、経験を積み、親が思い描く理想通りの子どもとして育っていくのだろうなと、大きな勘違いをします。
要するに親というものは、子どもが幼い頃から、子どもを愛している、愛していると言いながら、そのじつ、自分の希望、欲望というものを「愛情」という錦の御旗に置き換えて、子どもの思いや気持ちをあまり知ろうとはせず、どんどん多くのことを強要している・・・と言えなくもないのです。
もちろん、この時点ですでに、親子でたくさんの「言葉のキャッチボール」があり、お互いに相手の「思い・心」が伝わっていれば、子どもが大きくなっても、親に対する恨みのような感情は生まれないものです。
「ママね、泳げないでしょう?ちっちゃな頃から、海に行ってもちっとも楽しくなかったの。みーんな気持ち良さそうに泳いでるのを見てるだけでね・・・すごく悲しかったんだあ。だから、○○くんには上手に泳げる人になってもらいたいなあ、って思ってるのよ。ほんとはね、オリンピックの北島康介みたいになったら、ママ、本当うれしいなあ!」
「そっかあ。北島康介って、本当にかっこいいよねえ。でもね、ボクは、ほんとはあんまりスイミングは好きじゃないんだよ。だって、△△コーチ、すっごく怖いんだよ。ママは知らないでしょう?」
「へえ?そうなのお?じゃあ、スイミングは辞めたいって思うほど、嫌いなの?」
「ちがうよ、辞めたいって思ってないよ。でも、あんまり好きじゃないんだ・・・」
「うん、わかった!でも、ママ、もうちょっとがんばってみるのも良いって思うよ。だって、○○くんは、しっかりコーチの言うことを聞いて、今はとても上手に泳げるようになっているもの。もうちょっとはがんばってみて、それでも凄くイヤってだって気持ちが続いたら、その時にまた話そうね!」
「うん、わかったよ、ママ!」
もし、親子にこんな会話があったとしたら、気持ちの行き違いや溝は生まれないものなんですね。お互い、相手の思いがわかり、同時に、自分の思いも伝えているので・・・
けれど、子どもが幼い頃から、こういうことを習慣とせず、親の思いだけを押しつけ、その押しつけを正当化し、子どもの思いは「どうせ稚拙なことを言うに決まっている」と決めつけて聞こうともせず、思春期に至ったとしたら・・・
もう、今さら、お互いに「心を開いて対峙しよう」という気持ちさえ生まれないでしょうね。じゃあ、もう、どうすることも出来ないのか、って?
いいえ。
今さら・・・ってことは、絶対にありません。
トライする前に諦めず、一度、お母さんの「本心」を子どもに話してみませんか?
決して飾らず、自分の思いや言葉を正当化しようとしたり、何が何でも子どもに理解させよう!というような下心を持たず、心をそのままで打ち明けてみる・・・
きっと、いつもとは違う空気が生まれてくるはずです。
これはね。ほんの小さな一歩にすぎません。決してお互いが急に歩み寄れたり、まるでドラマやマンガのように泣きながらお互いを理解し合う・・・なんてことにはなりません。
でも、こういう「心」を素直に相手に渡す・・・という行為は、とってもとっても大事な時間だと思います。
きっと、あなたはまだ悩んだり、悶々としているだけで、こういうことをしていないのではないですか?
付録
母親は、一生懸命に子どもを見つめ、愛しています。けれど、成長とともに、息子も娘も、時には宇宙人のように理解しがたい存在になる・・・でもね、その責任が一方的に子ども達にあるわけではないのです。
母親の心が柔らかくなれば、きっと違うものが見えてきますよ。
でも、どうしても気分の晴れない時は、いつでもどうぞ!子どもの年齢、受験云々に関係なく、まどか先生の相談室はいつでもオープンしています
話すと楽になる・・・そんなこともあるものです
「まどか先生の相談室」は、こちらから。
教室の生徒は4歳児、5歳児。自我の強い子はいますが、本人に十分な経験も知恵も知識もないため、結果的には「親の言いなり」になる時期です。
ですから、当然親は、「こうなって欲しい」という強い思いのもと、さまざまなことを教えていきます。
幸い、この年齢の子ども達は、スポンジのように多くのことを吸収していきますので、親はウハウハと大喜び。この時期の親は、「無敵の境地」です。
このままでわが子は、どんどんといろいろなことを覚え、経験を積み、親が思い描く理想通りの子どもとして育っていくのだろうなと、大きな勘違いをします。
要するに親というものは、子どもが幼い頃から、子どもを愛している、愛していると言いながら、そのじつ、自分の希望、欲望というものを「愛情」という錦の御旗に置き換えて、子どもの思いや気持ちをあまり知ろうとはせず、どんどん多くのことを強要している・・・と言えなくもないのです。
もちろん、この時点ですでに、親子でたくさんの「言葉のキャッチボール」があり、お互いに相手の「思い・心」が伝わっていれば、子どもが大きくなっても、親に対する恨みのような感情は生まれないものです。
「ママね、泳げないでしょう?ちっちゃな頃から、海に行ってもちっとも楽しくなかったの。みーんな気持ち良さそうに泳いでるのを見てるだけでね・・・すごく悲しかったんだあ。だから、○○くんには上手に泳げる人になってもらいたいなあ、って思ってるのよ。ほんとはね、オリンピックの北島康介みたいになったら、ママ、本当うれしいなあ!」
「そっかあ。北島康介って、本当にかっこいいよねえ。でもね、ボクは、ほんとはあんまりスイミングは好きじゃないんだよ。だって、△△コーチ、すっごく怖いんだよ。ママは知らないでしょう?」
「へえ?そうなのお?じゃあ、スイミングは辞めたいって思うほど、嫌いなの?」
「ちがうよ、辞めたいって思ってないよ。でも、あんまり好きじゃないんだ・・・」
「うん、わかった!でも、ママ、もうちょっとがんばってみるのも良いって思うよ。だって、○○くんは、しっかりコーチの言うことを聞いて、今はとても上手に泳げるようになっているもの。もうちょっとはがんばってみて、それでも凄くイヤってだって気持ちが続いたら、その時にまた話そうね!」
「うん、わかったよ、ママ!」
もし、親子にこんな会話があったとしたら、気持ちの行き違いや溝は生まれないものなんですね。お互い、相手の思いがわかり、同時に、自分の思いも伝えているので・・・
けれど、子どもが幼い頃から、こういうことを習慣とせず、親の思いだけを押しつけ、その押しつけを正当化し、子どもの思いは「どうせ稚拙なことを言うに決まっている」と決めつけて聞こうともせず、思春期に至ったとしたら・・・
もう、今さら、お互いに「心を開いて対峙しよう」という気持ちさえ生まれないでしょうね。じゃあ、もう、どうすることも出来ないのか、って?
いいえ。
今さら・・・ってことは、絶対にありません。
トライする前に諦めず、一度、お母さんの「本心」を子どもに話してみませんか?
決して飾らず、自分の思いや言葉を正当化しようとしたり、何が何でも子どもに理解させよう!というような下心を持たず、心をそのままで打ち明けてみる・・・
きっと、いつもとは違う空気が生まれてくるはずです。
これはね。ほんの小さな一歩にすぎません。決してお互いが急に歩み寄れたり、まるでドラマやマンガのように泣きながらお互いを理解し合う・・・なんてことにはなりません。
でも、こういう「心」を素直に相手に渡す・・・という行為は、とってもとっても大事な時間だと思います。
きっと、あなたはまだ悩んだり、悶々としているだけで、こういうことをしていないのではないですか?
付録
母親は、一生懸命に子どもを見つめ、愛しています。けれど、成長とともに、息子も娘も、時には宇宙人のように理解しがたい存在になる・・・でもね、その責任が一方的に子ども達にあるわけではないのです。
母親の心が柔らかくなれば、きっと違うものが見えてきますよ。
でも、どうしても気分の晴れない時は、いつでもどうぞ!子どもの年齢、受験云々に関係なく、まどか先生の相談室はいつでもオープンしています
話すと楽になる・・・そんなこともあるものです
「まどか先生の相談室」は、こちらから。