お母さんのお助けブログ 中高生編

息子が見えない。娘がわからない。でも、母親の心が柔らかくなれば、きっと違うものが見えてきます。ほんの少し、なごむ時間を。

心をこめて

2009-03-23 | お母さんの気持ち
 私は日頃、小学校受験を目指す家庭の方々と関わっています。
教室の生徒は4歳児、5歳児。自我の強い子はいますが、本人に十分な経験も知恵も知識もないため、結果的には「親の言いなり」になる時期です。
 ですから、当然親は、「こうなって欲しい」という強い思いのもと、さまざまなことを教えていきます。
 幸い、この年齢の子ども達は、スポンジのように多くのことを吸収していきますので、親はウハウハと大喜び。この時期の親は、「無敵の境地」です。
 このままでわが子は、どんどんといろいろなことを覚え、経験を積み、親が思い描く理想通りの子どもとして育っていくのだろうなと、大きな勘違いをします。

 要するに親というものは、子どもが幼い頃から、子どもを愛している、愛していると言いながら、そのじつ、自分の希望、欲望というものを「愛情」という錦の御旗に置き換えて、子どもの思いや気持ちをあまり知ろうとはせず、どんどん多くのことを強要している・・・と言えなくもないのです。

 もちろん、この時点ですでに、親子でたくさんの「言葉のキャッチボール」があり、お互いに相手の「思い・心」が伝わっていれば、子どもが大きくなっても、親に対する恨みのような感情は生まれないものです。
 
 「ママね、泳げないでしょう?ちっちゃな頃から、海に行ってもちっとも楽しくなかったの。みーんな気持ち良さそうに泳いでるのを見てるだけでね・・・すごく悲しかったんだあ。だから、○○くんには上手に泳げる人になってもらいたいなあ、って思ってるのよ。ほんとはね、オリンピックの北島康介みたいになったら、ママ、本当うれしいなあ!」
 「そっかあ。北島康介って、本当にかっこいいよねえ。でもね、ボクは、ほんとはあんまりスイミングは好きじゃないんだよ。だって、△△コーチ、すっごく怖いんだよ。ママは知らないでしょう?」
 「へえ?そうなのお?じゃあ、スイミングは辞めたいって思うほど、嫌いなの?」
 「ちがうよ、辞めたいって思ってないよ。でも、あんまり好きじゃないんだ・・・」
 「うん、わかった!でも、ママ、もうちょっとがんばってみるのも良いって思うよ。だって、○○くんは、しっかりコーチの言うことを聞いて、今はとても上手に泳げるようになっているもの。もうちょっとはがんばってみて、それでも凄くイヤってだって気持ちが続いたら、その時にまた話そうね!」
 「うん、わかったよ、ママ!」

 もし、親子にこんな会話があったとしたら、気持ちの行き違いや溝は生まれないものなんですね。お互い、相手の思いがわかり、同時に、自分の思いも伝えているので・・・

 けれど、子どもが幼い頃から、こういうことを習慣とせず、親の思いだけを押しつけ、その押しつけを正当化し、子どもの思いは「どうせ稚拙なことを言うに決まっている」と決めつけて聞こうともせず、思春期に至ったとしたら・・・
 もう、今さら、お互いに「心を開いて対峙しよう」という気持ちさえ生まれないでしょうね。じゃあ、もう、どうすることも出来ないのか、って?

 いいえ。
今さら・・・ってことは、絶対にありません。
トライする前に諦めず、一度、お母さんの「本心」を子どもに話してみませんか?
決して飾らず、自分の思いや言葉を正当化しようとしたり、何が何でも子どもに理解させよう!というような下心を持たず、心をそのままで打ち明けてみる・・・
 きっと、いつもとは違う空気が生まれてくるはずです。
 
 これはね。ほんの小さな一歩にすぎません。決してお互いが急に歩み寄れたり、まるでドラマやマンガのように泣きながらお互いを理解し合う・・・なんてことにはなりません。
でも、こういう「心」を素直に相手に渡す・・・という行為は、とってもとっても大事な時間だと思います。
きっと、あなたはまだ悩んだり、悶々としているだけで、こういうことをしていないのではないですか?


付録

母親は、一生懸命に子どもを見つめ、愛しています。けれど、成長とともに、息子も娘も、時には宇宙人のように理解しがたい存在になる・・・でもね、その責任が一方的に子ども達にあるわけではないのです。
母親の心が柔らかくなれば、きっと違うものが見えてきますよ。
でも、どうしても気分の晴れない時は、いつでもどうぞ!子どもの年齢、受験云々に関係なく、まどか先生の相談室はいつでもオープンしています 
話すと楽になる・・・そんなこともあるものです

「まどか先生の相談室」は、こちらから。

聞いてみようとする姿勢、ありますか?

2009-03-20 | 私のつぶやき
 私が、ご相談にお見えになるお母様方から頻繁に聞く言葉は・・・
「先生、うちの子は、ちっとも私の言うことを聞かないのです」という言葉。

むー、そうなんですね・・・ということは、昔のお子さん達は、お母さんが語る言葉を一生懸命に聞いて、それを守っていた、ということですね。
ところが、その子ども達が、いつのまにか親の話に耳を傾けなくなった・・・
「お母さんはうるさいよ!」
「同じことばっかり、お母さんはウザイ!」
そんな耳を背けたくなるような言葉しか言わなくなった・・・確かに、それは悲しいですね・・・

 でも、ちょっと待って下さい ひとつひとつ、順番に考えていってみましょう。
「わが子が、自分の言うことを聞かない」とお母さんが腹を立てている、困っているということは、お母さんは、「すでにかなり大きくなり、自分の意志も自我もあるわが子に、自分の言うことを聞かせたいと思っている」ということですね。
  それは、なぜですか?
  ご自分の意見が正しいからですか?
  子どもの思いや行動が間違っていて、それは絶対に許してはいけないと考えているからですか?

 私は思うんです。
たとえば、絶対的にお母さんの言うこと、言葉が正しかったとしても・・・
お母さんの言う通りにしたほうが、子どもは楽に道を進めたり、早く済ませたりできるとしても・・・
やっぱり、きっと子ども達はお母さんに、自分の思い、気持ちを、聞いてもらいたい、と思っているのではないでしょうか?たとえ自分の思いが間違っていたとしても、です。
 いかがでしょう?子どもが、今、お母さんに「何を求めているか?何を一番して欲しいと思っているのか?」を確かめられましたか?

 お母さんが我が子に、自分の思いを是非伝えたいと思っているように、お子さんもお母さんに、是非伝えたいと思っていることがあるかもしれません。
 お母さんに賛同してもらえたり、理解してもらいたい・・・もし、理解してもらえなかったとしても、それでも、やっぱり自分が何を、どう考えているのかを、お母さんに静かに聞いてもらいたい、と考えているかもしれませんよ

 私が、中高生のカウンセラーとして相談に乗っていた時、ほとんどの子ども達が異口同音に言った言葉があります。それはどんな言葉だと思われますか?
 「どうせ、お母さんはオレの言うことなんて、聞いてはくれない・・・」
 「ママは、昔っから、私の言うことは聞かない・・・」

こういう中高生の言葉を聞いた時、私は、本当は彼らがこう言っているように聞こえてなりませんでした。
 「先生、オレはね、うちのお母さんに、オレの話しを聞いてもらいたいんだよ!」
 「私はね、小さな頃からずっとずっと、ママに私の話を聞いて欲しい!って思っていたの。」

 どうせ聞いてくれない・・・そう確信に似た気持ちを、赤の他人である私に打ち明けなければならなかった彼らの気持ちの変遷・・・その過程・・・
彼らは、自分の思いをお母さんに「聞いてもらいたい」と思って、長年、何度も何度もトライしながらも・・・結局は、その思いは遂げられなかったのです。

彼らの残念な思い・・・お母さんに想像できますか?
 子ども側の視点にたって、聞いてもらえなかった思いというものを、考えたことはありませんか?

 子どもが幼い頃、親である大人は「強者」であり、子どもは「弱者」です。
その「親」という立場を錦の御旗にして、親という生き物は、結構、子どもに対して理不尽な要求をしたり、ないがしろにしたりしているものです。そんな思いはありませんか?
 「子どものあなたに何がわかるっていうの?!」「子どものクセに?!」こんな言葉を平気で口走ったことはありませんか?

 決して遅すぎることはありません
一度、真剣に、子どもの言葉を途中で遮ることなく、「耳」ではなく「心の耳」で聞いてやろう!としてみるのはいかがでしょうか?

 決して、子どもの言葉、子どもの思いに迎合しろ、と言っているのではありません。
 無条件に、子どもの話を聞いて、何でも受け入れろと言っているのでもありません。
ただ、「親が、わが子に自分の思いを伝えたい!」と考えているように、子どもも、「自分の思いをお母さんに伝えたい!」と思っているのではないでしょうか?
そのことを理解し、一度でも、真剣に聞いてみてやろう、という姿勢になってみてください そして、途中で遮ることなく、相手が「ああ、話した!」と思えるまで、聞いてみてあげませんか?
 
 小さい時に「かけ違ったボタン」は、そんなにすんなりとは元にはもどりません。けれど、かけ違ったボタンを無理に引きちぎるようにかけ直そうとするのではなく、冷静に、1個1個、ボタンの掛け違いを正していこうとする姿勢も必要ではないでしょうか?少なくとも、そういう親の真摯な思いは、100%とまではいかないものの、かならず伝わるはずですよ。
 
 雄弁な親は、得てして聞き下手なものです 
いかがですか?子どもの言葉に耳を傾ける姿勢、ありますか?


付録

母親は、一生懸命に子どもを見つめ、愛しています。けれど、成長とともに、息子も娘も、時には宇宙人のように理解しがたい存在になる・・・でもね、その責任が一方的に子ども達にあるわけではないのです。
母親の心が柔らかくなれば、きっと違うものが見えてきますよ。
でも、どうしても気分の晴れない時は、いつでもどうぞ!子どもの年齢、受験云々に関係なく、まどか先生の相談室はいつでもオープンしています 
話すと楽になる・・・そんなこともあるものです

「まどか先生の相談室」は、こちらから。

子育てに影響する、親の育った環境

2009-03-16 | いろいろ
お母さんに質問です
あなたが生まれて、生家を離れて独立をするまで、「あなたにとっての『家庭』とは、どんなところ」だったでしょうか?
 
 1.社会の縮図、としての家庭。一番自分の近いところにある「外界」。
 2.自分の世界。社会から隔絶された、「個」の世界。

 もし、あなたにとって1番だったとすれば・・・
両親とは、最も身近なところにいる「社会人」であって、良くも悪くも「気の抜けない相手」だったはずです
 幼い頃から、その両親はあなたに期待をしたり、様々な要求をしたり・・・あなたは常にそれを感じ、親の思いに応えるべく多くの努力と葛藤があったことでしょう

 もし、あなたにとって2番目だったとすれば・・・
両親は一番自分の「本音」を見せられる相手。どんなに格好の悪いところも気楽に見せ、きっと家庭は社会のどこよりも「自分の素」を安心してさらけ出せる場所だったはず
 親の期待や要求は十分に感じられても、それに対して悲壮感を持って相対する必要なく、「そんなの無理だあ」とか「がんばってみるよー」と、安心感を持ってそれに向かえたことでしょう。

 私事で恐縮ですが。
じつは、私が結婚して独立するまでの家庭は、完璧な「1番」でした。
一人っ子の一人娘。イヤでも親の期待は大きかったですねえ。そして、生来、私自身が積極的で、目立つことも苦にならなかったこともあって、私は必死になって親の期待をバネに努力する毎日でした
 そして、私の親、特に父は決して「誉めない」人で・・・たとえば、私が父の設定する一つの基準に達したら、すぐに次の目標が示され、父には満足というものがなかったと思います
 もちろん、私にも人並みの反抗心はあったわけですが、一人っ子であり父が暴君という条件のもとでは、私が反抗をしたら、間違いなく大好きな母に被害?があり、母が辛い思いをするし、悲しむだろう・・・と思うと、結局は反抗する勇気もチャンスもなく、結婚までの25年間、ひたすら家庭では努力と忍耐の人生?!でした

 その私が母になった時、天からの啓示のように思ったことは・・・
「私の愛する子ども達にとっての家庭は、一番ほっとできるところであって欲しい!」ということでした
 社会人として身につけるべき道徳心や礼儀は、当然のこととして厳しく教えても、あとは、リラックスして、「素顔の自分」でいられる、ダラーっとできる「居場所」「母港」のようなところにしてやりたい!そう思いました

 今は成人した二人のわが子達は、まあ、一応、社会性を身につけ、一歩家から外に出れば、それなりのことが出来るように育っています。
けれど、彼らの「家庭での姿」と言えば、いやいや・・・全く誉められたものではありません だらしないですし、理想の子ども像とは大きくかけ離れた、身勝手な奴ら、です。
 ただ、親の愛情、親の信念のようなものは、きちんと伝わっていたようで、大人になった彼らと私との間には、さすがにもうベタベタとした関係ではないものの、とてもあたたかい信頼関係があるのではないか、と感じています。

 お母さん、一度、自分の幼かった頃のことを思い出してみてください
そして、自分がどんな両親のもと、どんな家庭に育ち、どんな毎日を送っていたか?それを確認することが、親子関係を理解する上で、とても大事な要素だと思います。なぜなら、それこそが、あなたの「親観」の原点になっているもの、だからです。
 そして、それをあらためてしっかりと見つめた上で、親として、自分がどんな家庭にしようとしているのか?子どもに、どんな子どもであることを求めているのか?を考えてみましょう

 こんなふうに、たまには立ち止まり、冷静に見つめ、考える時間も必要ですよ。



付録

母親は、一生懸命に子どもを見つめ、愛しています。けれど、成長とともに、息子も娘も、時には宇宙人のように理解しがたい存在になる・・・でもね、その責任が一方的に子ども達にあるわけではないのです。
母親の心が柔らかくなれば、きっと違うものが見えてきますよ。
でも、どうしても気分の晴れない時は、いつでもどうぞ!子どもの年齢、受験云々に関係なく、まどか先生の相談室はいつでもオープンしています 
話すと楽になる・・・そんなこともあるものです

「まどか先生の相談室」は、こちらから。

伝わらなかった子どもの気持ち

2009-03-13 | 子どもの気持ち
 ある中学生のお嬢さんのお話です。
そのお嬢さんは、小学校から私立の一貫校に学び、さまざまな意味で恵まれた家庭に育つ幸せなお嬢さんでした。
 でも、そのお嬢さんには、たった一つ、どうしても許せない・・・納得のできない・・・上手く言葉では言い表せないけれど、「耐え難い、悲しいこと」がありました。
 それは、彼女のお母さんが、お昼のお弁当のときに使う「ナプキン(布製のランチマット)」を、頻繁に入れ忘れること、でした。
 彼女は、お母さんが入れ忘れるたびに・・・
 「ママ、今日もナプキン、忘れてたわよ
と話したそうです。
 お母さんは、娘のその言葉を聞き、いつも。
 「まあ、そうだったわね いやだわー、ママったら」と悪びれずに笑った・・・

 けれど。
彼女には、それが耐えがたく・・・とても、とても悲しいこと、だったのでした。

  ママは・・・どうしてママは・・・私が何度も何度も「ナプキン、必ず入れてね!忘れないでね!」と言うのに、いとも簡単に忘れちゃうの?
  ママは・・・どうしてママは・・・私がお弁当の包みを開くたびに、そこに「入っていない」ナプキンに落胆する気持ちを、知ろうとしてくれないの?
  ママ・・・私はね・・・ママが朝、とっても慌しい中で、私のお弁当を作ってくれていることに感謝しているの。幼稚園の頃からずっと、お仕事にでかける前の時間、ママが、どんなに忙しい思いをして、私のお弁当を作ってくれていたか・・・
 でもね・・・ママが私のために買ってきてくれる何枚ものかわいいランチ用のナプキンを、朝、私のために選んで、そして入れて欲しかったの!
 なんでかわかんない・・・でも、ナプキンを買ってくるだけじゃなくて、私がお弁当の包みを開けるときのことを思って、私のために、今日の1枚を選んで、入れて欲しかったのよ、ママ・・・

 私は、このお嬢さんの気持ちを思い、泣けました。
「今日はママ、忘れてないかな?・・・ママ、入れてくれてるかな?」
そう思いながら、きっと毎日、お嬢さんはお弁当の包みを前にして、ドキドキとしていたのでしょう。

 あるとき、私がこの話しをしたら、一人のお母さんは呆れ顔でおっしゃいました。
 「いったい、この子は何歳なの?ナプキンくらい、自分で入れればいいじゃないの!お母さんが忙しいこともわかっているわけだし、そんなにしつこくこだわらなくてもいいんじゃないの?むしろ、この子は、ママに対して意地悪じゃないかと思っちゃう・・・いつまでも、甘えたことを言うんじゃないわよ、本当に・・・」

 このお母さんの言葉にも、確かに一理あります。その通りですね。ママは忘れんぼうだから、これからは自分で入れることにしよう!と決めれば、ことは簡単に解決する・・・
 けれど、これは、話しの論点が違うのです

 思春期真っ只中。多感な、むずかしい時期にいたこの子は、「ナプキン」に願掛けをするような思いを持って、そこで、母親の愛情を再確認したかったのでしょう。
 むしろ、お母さんの忙しさを十分に理解し、そのことに深い感謝の念がある子だったからこそ、些細なこととは言え、この子は、ナプキンに母親の愛情の重さのようなものを感じずにはいられなかった・・・
 
 この呆れ顔のお母さんがおっしゃるように、この子は、もちろん毎日、お母さんが買ってきてくださるかわいいナプキンを、自分で1枚選び、お母さんが出勤前の忙しい時間に作ってくださったお弁当の包みの中に入れて、登校することは簡単です。
 けれど、この子は、そうはしたくなかったのです。
 
 この子が悲しかったことは、「お母さんが、自分の期待の重さを感じていないこと」だったでしょう。
 「ママ、必ず入れてね」と、かなり悲壮な願いを込めて語っていることを、感じて欲しかったのです。
 この母子の温度差が、ボタンの掛け違いとなって、どんどんと深く、埋めがたい溝となっていくのです・・・

 もとは、それほど大きな問題ではないのに、なぜか時間が経過するとともに、とんでもなく大きなシコリとなったり、溝となったりして、子どもに耐え難い苦痛を与えること・・・こういうことは、少なくはありません。

 親子のあたたかい関係は、合理的に、頭で考えるのではなく、心で聞き、心で語る親のしなやかな愛情あってこそ・・・ そう思っています。


  
付録

母親は、一生懸命に子どもを見つめ、愛しています。けれど、成長とともに、息子も娘も、時には宇宙人のように理解しがたい存在になる・・・でもね、その責任が一方的に子ども達にあるわけではないのです。
母親の心が柔らかくなれば、きっと違うものが見えてきますよ。
でも、どうしても気分の晴れない時は、いつでもどうぞ!子どもの年齢、受験云々に関係なく、まどか先生の相談室はいつでもオープンしています 
話すと楽になる・・・そんなこともあるものです

「まどか先生の相談室」は、こちらから。

母親の性 - 自分の姿を知りましょう!

2009-03-10 | お母さんの気持ち
 この子は、私がお腹を痛めて産んだ子!
 初めて話した言葉は「ママ!」だった!
 私の姿が見えなくなると、この子は大泣きをして私を探した!

 お母さんって、こっそりそれが自慢で、そんなことを思い出すたびに、満足でしたよね・・・この子は、私のことが大好きなのよねって、実感できていた頃のお母さんは、まさに「私がママよーーーー!!」と、輝いていたでしょう。

 ところが。
小学校高学年、早い子は4年生くらいになると、子どもは1から10まで、お母さんには話さなくなります。ついこの間までは、忙しい夕食の支度をする時間まで、後ろをついて話しをしにきていたのに・・・
「ママ、今日ね、幼稚園のお庭にミミズがいてね・・・」
「ママ、今日は○○子先生が、△△ちゃんを叱ったんだよ・・・」
「お母さん、今日は計算問題が一番に出来たんだ!」
「お母さん、○○子ったらね、・・・」etc. etc.

 それなのに、今はこちらから何を聞いても、「べつに・・・」「何もないよ・・・」
 お母さんは、とっても寂しくなります。

 そして、それが子どもの「正常な成長」だとはなかなか信じる気持ちにはなれません。

 いえ、本当は「頭」ではわかっていても、どうしても「心」がそれを受け入れようとしていない・・・

 なぜでしょう?
子どもが立派に成長していくことが、親の喜びであるはずなのに・・・

 それはね。
お母さんは、知っているのです。すでに、気づいているのですよね。
 「成長するってこと イコール 自分から離れていくこと」
 「成長するってこと イコール お母さんの庇護の元を離れようとしていること」を・・・

 お母さんはみな、我が子を産んだその瞬間から、「この子は私の子、私がお腹を痛めて産んだ子!」という強い思いによって生き、知らず知らずのうちに、子どもを自分の掌中に納め、まるでヘソの緒で繋がれているように、すべてを把握し、すべてを知っていたい・・・そう思っているのです。
 これは、感情というよりも、「母親の性(さが)」のようなものかもしれません。

 強い弱いの差はあっても、こういう「性」からか、母親というものは、父親以上に我が子への粘質の執着心を持っている・・・それが普通です。

 これが性である限り、なかなか母親とは、さまざまな事象、さまざまな感情を「理解し、納得し、万事、理性と理屈で処理していく」というのは至難の業、のようです。

 だからこそ。
まずは、「自分がそういう状態で、我が子を見ているのだ」という現実を知ってください!

 この人ったら、十把一絡げにして言わないで!私はちゃんと子離れしているわ!だからこそ、子どもを理解しようとしているのよ!・・・
と、豪語しているようなお母さんに限って、本当の自分の姿を知らないものですよ。



付録

母親は、一生懸命に子どもを見つめ、愛しています。けれど、成長とともに、息子も娘も、時には宇宙人のように理解しがたい存在になる・・・でもね、その責任が一方的に子ども達にあるわけではないのです。
母親の心が柔らかくなれば、きっと違うものが見えてきますよ。
でも、どうしても気分の晴れない時は、いつでもどうぞ!子どもの年齢、受験云々に関係なく、まどか先生の相談室はいつでもオープンしています 
話すと楽になる・・・そんなこともあるものです

「まどか先生の相談室」は、こちらから。