今日はどんな日?

男の子二人の子育てと喜怒哀楽。今日は何が起こるかな?

昔話 その3

2006-01-19 14:59:24 | 昔話
これまでの話は「昔話」のカテゴリーにあります。

ホノルルの空港に降り立った私の目の前にある世界は、今まで私が暮らしてきた世界とはあまりにもかけ離れた世界だった。



私は小学校4年の後半から中学受験のために塾へ通い、勉強に追われてた。自分から言い出した受験だったが、勉強は苦手だった。ただ姉と同じ学校へ行きたい、理由はそれだけだったから受験勉強は苦痛でしかなかった。それでもなんとか志望校に合格することはできた。

合格すれば後はバラ色か?やっと合格できた中学校での成績は一年の2学期あたりから落ち始め、それからは……。 併設の高校と短大へ進み勉強が楽しいと感じたのは短大に入ってからだった。

2年間しかない短大生活はあっと言う間に過ぎていった。短大を卒業すれば今度は就職だ。当時はバブルの最中で、今では考えられないかも知れないが、一人で何社もの内定をもらえる時代だった。私も内定をもらったうちの一社に就職が決まった。

入社が決まった会社だが一体何をする会社なのか、実際に自分はどんな仕事をするのか、入ってみるまでわからなかった。配属されたのは営業の管理部門だった。さて、営業の管理とはどんな仕事か…平たく言えば、営業マンがかき集めてきた仕事の社内処理である。バブル真っ只中の仕事の量は半端ではなかった。しかも新入社員はわけも分らず先輩社員に手取り足取り教えてもらい、気が付けばどっぷり残業に浸かっているという具合だった。とにかく、新入社員は突っ走るしかなかった。

突っ走り続ければ疲れる。日曜日はぐったりと昼近くまで寝ていた。そんな生活のせめてもの救いは、お給料が他の短大卒のOLより良いということだった。めちゃくちゃ忙しいのだから、当然と言えば当然だった。

くたくた生活を一年続けた頃、ハワイ行きの話に出会った。『溺れる者はわらをも掴む』もみくちゃ生活に何か区切りをつけたかったのかも知れないし、父を亡くしたショックから自力で抜け出したかったのかも知れない。天から下りてきた蜘蛛の糸を私は掴んだのだ。



ホノルルの朝は眩しかった。太陽も、木も、道路も、人も、風も、全てがゆったりキラキラと輝いていた。花の香りが漂う空気に全身を包まれて、心が解きほぐされてゆく感じがした。

迎えのバスに乗り、いよいよ観光の始まりだ。ガイドさんの説明を一言一句聞き漏らさずに頭にいれた。

バスの窓から外を見ながら聞いていたら、ふと今までの自分の生活が浮かんできた。そしてそれがだんだん小さなものに思えてきた。ハワイの開放的で明るい大きな空気の中に居ると、自分がどれだけ小さな存在であったか思い知らされたようで、なんだか悲しくなってきた。

つづく

昔話 その2

2005-12-11 22:29:49 | 昔話
初めてのハワイ行きの飛行機は機材の不備で出発が遅れた。外の見えるレストランで飛び立っていく他の飛行機を眺めるのもまた楽しかった。同僚と4人でピザとビールを注文した。何でもどんな話でもとにかく楽しくてしかたがなかった。

やっと搭乗手続の時間がきた。出国審査は今でもあまり得意ではない。悪い事などしたことはないのにやたら緊張する。長い列に並んで順番に自分の番が来るのを一歩一歩進みながら待つ。平気な顔で並んでいたつもりだが、膝はガクガク震えていた。

ここまで来たら早く飛行機に乗りたい、そう思って止まなかった。はやる気持ちは周りも同じだ。搭乗が始まると座席は決まっているのに皆急いで搭乗口に集まってくる。誰が最初でで誰が最後に乗っても離陸する時は一緒なのにと思いながら、だがその中で一番舞い上がっていたのはきっと私だったにちがいない。

座席の番号を探し、手荷物をしまう。エコノミーのシートは狭いしお世辞にもすわり心地がいいとは言えない。しかし私にとっては最高のソファだった。
往路は6~6時間半でハワイに着く。二度の機内食と映画を一本見たら寝る間もなく ”ハワイ” だ。
機内にベルト着用サインがついた。いよいよ着陸だ。窓から見える出景色がどんどん近づき、はっきりと見えてきた。
「ドスン!ゴゴゴゴーッ」
軽い衝撃の後、車輪を通して滑走路の感触が伝わってくる。
「とうとう着いた…」
これから始まるのに、何故か達成感の様なものを感じた。

窓の外に高い建物はなく、広い滑走路を走る作業用の車は幅の広い”アメ車”。正に映画やテレビで見ていた”アメリカ”がそこにあり、全ての物の存在がやたら堂々として大きく見えた。存在感の大きさに少し怖いとさえ思えたほどだ。ここまで来て怖気ずくとは、しかし、大きいものに対する恐怖心は否めない。だが、その恐怖は驚きにかわっていく。

次に待っていたのはアメリカへの入国審査だ。ガイドブックに載っていた英会話を何度も繰り返しつぶやいた。
「どうか、お決まりの会話で終わりますように」
半ば祈るようにして、なんとか審査を終えた。あとは預けた荷物をピックアップして到着ロビーへ。

「アローハ!」
フラの衣装を身につけたおねえさんからウェルカム・レイを首にかけてもらったその瞬間、
「なんだこの世界は!」
本当にそう思った。そこにはそれまで見た事のない”別世界”が広がっていた。

つづく



その1

2005-12-09 15:59:02 | 昔話
昔むかし、私の人生が変わった、ある場所があった。

それは社会人になって一年が経とうとしていた頃だった。
学生生活から一変してOLの世界。全てが初めての経験で無我夢中で突っ走った一年だった。その間に父が亡くなり、落ち込んでいた状態からようやく自分を取り戻していた頃でもあった。

仲のいい同僚が
「今度ハワイに行くんだ」
と、何気なく私に話しかけてきた。
「ハワイ…か」
私は普段だったら自分には関係のない話として聞き流していただろう会話に、何故かその時は瞬間的に反応していた。
「私も一緒に行っていい?」


その時家は母と私の二人暮らしだった。
父が亡くなって間もなく、結婚が決まっていた二歳上の姉は結婚をためらっていた時期もあったが、折角生前父が許してくれたのだからと親類も理解してくれて、予定通りに結婚式を挙げた。
姉は家を出ていった。

母は父が亡くなって半年経ち、
「気分転換になるだろうからいっていらしゃい」
と私のハワイ旅行に快く賛成してくれた。

しかし、軽い気持ちで出かけたハワイはその後私に大きな影響を与えた。

私のほかに同僚が3人、OL4人のハワイ旅行が決まった。私以外は皆ハワイに行った事があるいわゆる ”リピーター” だった。
パスポートを申請したりガイドブックを買ったり、スーツケースを借り、残業の疲れが癒される準備は時間を忘れ、まさにルンルン気分だった。
今でもそうだが、準備している方が実際に出かけるより楽しい事がある。ああでもない、こうでもない。あれをしよう、こんな事もしたい。お土産は何を買って来よう。本当に寝る時間がもったいなかった。

初めての海外旅行は4泊6日。それが長いのか短いのかなんてまるでわからなかった。同僚が決めていた旅行にちゃっかり参加させてもらい、しかも私以外は海外経験者なのだから、困った時やわからない事があっても心強い。
戸惑いは微塵もなかった。

そして出発の日がやってきた。

ハワイ行きの飛行機は夜成田空港を発つ。その日午前中だけでも仕事をしたのか、成田に着くまでの記憶はまったくない。海外旅行が初めてなのだから、成田空港へ行くのも初めてだ。その成田空港は今まで感じた事のない異様な緊張感で溢れ返っていた。
大きなスーツケースを持った人、人、人
国へ帰る大勢の外国人
英語の案内放送、
英語のフライト案内板
自分も外国人になったように錯覚した。
嬉しいような、それでいて怖いような、ただ心臓の鼓動が体全体に響いていた。
もうすぐ出発だ。

つづく