2025年4月3日
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約1400年前に聖徳太子がこの地で毘沙門天の恩恵を得たということで、この山を「信ずべき貴ぶべき山」として鴫さんと名付け、朝護孫子寺を建立したとのこと。
↓「料亭旅館みよし」から見た朝護孫子寺
↓聖徳太子がこの山で、朝敵物部守屋(もののべのもりや)の討伐祈願をし、毘沙門天が現れて必勝の秘法を授けたとされるのが、寅年、寅日、寅の刻(午前3時~5時頃)。
信貴山の毘沙門天は寅にゆかりのある神として信仰されています。
以下、ウイキペディアによる情報:
910年に、中興である命蓮(みょうれん)上人によって伽藍が整備される。また、病であった醍醐天皇を命蓮が治癒したことから天皇によって「朝廟安穏・守護国土・子孫長久」の祈願寺とされ、「朝護孫子寺」の勅号を賜った。
戦国時代には木沢長政によって信貴山頂に信貴山城が築かれた。天正5年(1577年)に同城の城主・松永久秀と織田信長の間で信貴山城の戦いが行われて久秀は滅亡し、当寺も堂塔六十余宇が全焼する。
1951年(昭和26年)、本堂が焼失するが、同年には高野山真言宗より独立して「信貴山真言宗」を創立している。1958年(昭和33年)には本堂が再建され、落慶法要が行われた。
戦いの神である毘沙門天を本尊とし、戦勝祈願の故事があることや、虎を守り神とすることから阪神タイガースの選手やファンが必勝祈願に訪れる。
門前には白虎の像。
↓この橋を渡ると、信貴・生駒スカイライン(全長20㎞くらいの有料道路)へとつながります。
信貴・生駒スカイラインの途中からの眺め。
左側に大阪のあべのハルカスの高いビルが確認!大阪と奈良の県境を実感。
松永弾正(まつながだんじょう/松永久秀)も、最後にこの景色を見たのでしょうか?
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