
通りに面した一軒家の庭先から覗く紫陽花が薄桃色、紫、空色と咲きこぼれています。梅雨時の気分を和ませてくれるこの花、古人は七変化とか八仙花とか呼んでいました。
コロナ禍では、花を愛でる気分にもなりませんが、少しだけお付き合いください。
夢を叶えたいのは誰しもの願いですが、何かを始めても途中で投げ出したり、最後までやり通す事ができない時は、正しい夢を描けていないのかもしれません。まずは本当にやりたいことを見つけ、夢を育むことがすべての始まりです。
幕末の思想家・吉田松陰は「夢なき者に理想なし 理想なき者に計画なし 計画なき者に実行なし 実行なき者に成功なし 故に夢なき者に成功なし」と述べています。
自分自身の終着点を思い描かなくてはなりません。
禅のことばに「惺々着」があります。惺という漢字はなかなかお目にかからない字ですが、「惺」は悟るとか、心が落ちついて静かな様子をいいます。「惺々着」の禅語は目を覚ませ、という意味です。ただ、眠りから醒めよということではなく、この世界をしっかり見つめているかと問うています。
人はだれでも辛くて目を背けたいこと、見たくないことがあります。後ろ指を指されるような、ご両親やご先祖様に恥ずかしい生き方をしていないだろうか。忙しい日々の中で、ふと立ち止まり、自分が望む生き方とはどんなものなのか、考えてみる時間を持つことが大切です。
一度、止まると描いて「正」しい、という字になります
コロナで富と貧困が二極化する社会。SNSを開いても、バイナリーとか情報商材を売ろうとする人でいっぱいです。
お金は欲しい。お金がなくて、困窮する人がコロナで大勢出ているのを目にする機会も増えました。お金がないと、生きてはいけない世の中ですが、拝金主義が高まっていくように思えます。
コロナだけの責任ではないでしょう。
人間の本質が出ているのか、果たしてこれが普通の世の中だったのか。見たくないものに背を向けていただけだったのかもしれません。
「惺々着」で、目覚めても、後味の悪さを思い知ります。
ときには、目覚めることに反してみるのが、この世の中の渡り方かもしれません。
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