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牧之瀬雅明/一陽来復・前向きな言葉を集めました。

未曾有の災禍で心身ともに疲弊しがち。前向きな言葉で人は生かされます。
少しでも暗い気持ちを明るくできれば本望です。

施無畏「恐れるな 大丈夫だよ」(禅語が導くパワー)

2022-02-14 13:45:04 | エッセイ

施無畏

恐れるな  大丈夫だよ

 

何をそんなに迷っているの。

 

恐れがあるのはあなただけではないよ。

 

恐れないで、むかってごらん。

 

「無畏を施す」という禅語。観音菩薩が発したとされる言葉で、

 畏(恐れ)れ無いことを施すという意味から、

この世の人々からあらゆる恐怖を取り除くという観音経の中に出てくる慈悲の言葉だそうです。

 

 人は誰もが常に悩み、苦悩を抱えて必死に生きています。

それは将来や現実の生活の中で、様々な人や物に出会い、触れることで生まれてしまうこと。

言わば、苦悩は生きている証。この世に悩まずに生きている人などいないでしょう。

どん底まで悩みきった人に、たった一声「恐れなくていいよ。きっと大丈夫」と声をかけると、

無責任だとお叱りもあるでしょうが、声をかけられることで、救われなくても、迷いが解決せすとも、

声をかけられた人は「まだひとりじゃない」「大丈夫?そうかもしれない」と前向きな気持ちが発生すれば、景色が大きく変わるでしょう。

この言葉に救われたと感じ、自己での解決力や治癒力が高まることもあります。

言葉には人を救う大きなパワーがあるのです。

 

ある日、鉄舟先生の高弟の鳥居得庵という人が師匠の鉄舟先生に 

「剣道の極意とはどんなことですか。」と問うたところ鉄舟先生は、

「浅草の観音様に預けてある。」と答えられたと言います。

 そこで得庵が浅草寺におもむいた所、寺門に 「施無畏」 の扁額が掲げられてあったのが目に付きました。

道場に帰った得庵はそれから、自分を畏れず、相手を畏れることなく、猛烈に剣道を修行したといわれています。

それから剣道修行者の間で有名な言葉になりました。

 

一対一で、対峙する時。より高度な技術を身に着けていることが自信となり、

相手を畏れない気持ちにつながるでしょう。また、どんなに辛くとも、苦しくても、

我慢して技術を身に着ければ、試合でも、練習でも、自分を、そして相手をも

畏れない強い精神力を身に着けることができるという教えであります。

 

阿弥陀如来は異名を無量光仏光といい、現世をあまねく照らす光の仏です。

光は慈悲であり、煩悩にとらわれることを無明とはよくいったものです。

光なしに真理は見えません。

施無畏とは自分の努力に光をあてることにもなります。

 

このような高大な理想の基で、行われていることを

一人、一人が心に秘めて人生という修行に努力しなければなりません。

 

ちなみに、山岡鉄舟先生は9歳から剣道を始め、17歳で北辰一刀流の千葉周作先生に師事し、

後に春風館道場を設立し、無刀流を開祖しました。

生涯「剣の道を通して人間の完成をはかった。」といわれています。

「剣の心を極めなければ、人間も完成されない。」という言葉を残されております。

「一芸に通ずる者は、万芸に通ず。」という諺がありますが、どんなことでも真剣に努力すれば、

誰でも大成できます。やれば出来るのです。

努力は人を裏切らないと言いますが、耳障りの良い言葉と捉えてはなりません。

実際に、自分の弱さに負けないで、相手を畏れることなく頑張っている人が

多くいるのですから。想像は行動を変えます。自信は夢を現実化するのです。

 


かなり難解な禅語「道得三十棒」。もはや「いじめの極意」

2021-10-25 13:51:33 | エッセイ

本日の禅語は「道得三十棒」。かなり難解な言葉で、理解に苦しむ方も多いかと思われますが心して聞いてください。

禅においては臨済の「喝」徳山の「棒」といわれるほどに、厳しい教え方があります。

 

臨済義玄禅師は修行者との禅問答において「一喝」を飛ばして導き、徳山宣鑑

 

(とくさんせんかん)和尚は来る修行者には棒を打ち据えて荒っぽく導いたといいます。

 

きちんと答ええても三十棒を食らわせ、答えがなければまた三十棒を打つ。

 

まるで「いじめ」を見るような、一般的感覚では理解できないことですが、

 

禅の世界では、「これが悟りだ、これが正解だ」と思ったら、それはもう「迷い以外の何物でもない」という考えがあります。

 

答えが何であろうと、明確な正解ではありえない。それを表現するため、徳山は弟子たちを殴ったのだとか。

 

ある夜の説法の時、徳山和尚は「今夜は何も言うまい、何か聞きたいことが事あれば言うがよい。三十棒を以って応えよう」と。その時一人の僧が問答をせんと進み出て礼拝したところ、徳山はすかさず一棒を食らわす。

 

僧はびっくり「和尚私はまだ何の問いかけもしてはおらぬのに、なぜ打つ

のか」と聞くと、徳山は「お前さんは何処の出身の人かな」、僧が「新羅から来ました」と答えると、徳山云く「さようか、汝がまだ新羅を出る船の船板を渡らぬ前に三十棒を食らわせておくべきだったよ」と言います。

 

僧はそこで始めて徳山の真意を解して悟った。禅問答では理屈はいらない、

 

きちんと応えても、また応え切れなければ勿論、棒が飛ぶ。なぜどうしてと

 

言う理解を超えた処の心証の見解(けんげ)でなければならないのだ。

 

右でもなければ左でもない、有でもなければ無でもない。

 

あらゆるものを否定し否定し否定し尽くした絶対的境涯を引き出すための「三十棒」なのです。

 

同じく禅語に「青天也須喫棒」があります。

これも解説書によれば「悟りの境地に安住してしまったら、それはもう迷い。そのような気持ちは棒で打ってしまえ」です。

 

私たちが生きている世界には答えなどない、といった考えが根底にあるのです。

 


妖術の使い手が書いたという禅語「緑樹陰濃夏日長」

2021-08-16 10:21:45 | エッセイ

本日、紹介したいお話は、中国の妖術使い「神仙思想」と美しい漢詩『山亭夏日』との関わりです。

私が研究する禅語の世界では、この『山亭夏日』の一節である「緑樹陰濃夏日長」が有名で、

茶室の掛け軸にもなっている言葉です。

その漢詩を書いた人物。実は、妖術使いとして有名な方だと知っていましたか?

まずは漢詩を読んでみます。

木々の緑が色濃く茂るほど、夏の日差しは強く、長い。樹木の木陰が心地よく感じる頃になりました。

緑樹陰濃夏日長(りょくじゅかげこまやかにしてかじつながし)とありますように、葉も茂り濃まやかさを増した木々の間を縫って吹いてくる風はなんとも言えないものがあります。

高駢による漢詩『山亭夏日』に

「山亭の夏日

綠樹 陰濃(こまや)かにして 夏日 長し

楼台 影倒(さかしま)にして 池塘(ちとう)に入る

水精(すいしょう)の簾(れん) 動いて 微風起こり

一架の薔薇(しゃうび) 満院 香(かんば)し」

とあります。

 

全文を訳しますと、

「木々の緑が色濃く茂るほど、夏の日差しは強く、長い。

池のほとりに建つ楼台は、その姿を逆さまにして、

水に入りこむように水面に映っている。

そんな折、水晶の玉飾りがついた簾がかすかに動いて、そよ風が吹いた。

その風にのって、花棚のバラの香りが中庭いっぱいに満ちる」です。

 

暑い夏の陽射し、木々の間にある木陰(緑陰)、影が漆黒を深め、夏の太陽の高さ、賑わいを見せている一日。

桜台が池にその姿を映している美しい風景。

そこに、すだれをかすかに揺れている。どうやら風が来ているようだ。

どうだろう、風に乗って運ばれてきたのだろう庭の薔薇の芳香が

この部屋を満たすではないか。ある夏の日のひととき・・・

 

漢詩は二次元から三次元へ表情を移し、最後は時空をも包括する四次元へと昇華する作品。

晩唐の詩人高駢は、学問に優れていたばかりでなく、武芸にも秀でていた人。唐末の武家生まれの家柄の良い武将で、南詔の侵入を度々防いで軍功を上げ、靜海軍節度使に任命されます。しかし、黄巣の乱が勃発したため、その後は西川節度使を皮切りに各地を転戦し、朝廷の期待通りの働きを見せて、あと一歩の所まで黄巣を追い詰めますが、功績を独り占めしようとして却って黄巣の反撃に遭います。この後、以後淮南節度使として揚州に引き籠もり、朝廷からの再三の出兵要請にも従わず、最後には部下に謀反を起こされて殺されています。

 実はこの人、神仙思想に立った人物。つまり、仙人として妖術を使った人として有名なのです。中国で伝わる逸話に、式神の軍団を呼び寄せたとか、雷法で開削工事を行ったなど伝奇的な事象が、《新・舊唐書》と《資治通鑑》に書かれています。

 

これだけ素晴らしい漢詩を書く、感性の持ち主で、軍人としての功績のある人が妖術使いとして語り継がれるなんて、想定外の面白さを感じます。