いつもは外出時しか嵌めない補聴器を、今朝は起きてすぐ嵌めてみた。
どうしてかというと一昨日の新聞で、補聴器についての記事を読んだから。
人口的の極みと思える補聴器は、買ったけど或いは作ったけど嵌めないという人は多い。
何故か・着装して不愉快だからである。
自然な聴こえというものは、聴きたいことを脳が選択して欲しい情報を自然に上手に取り入れる。
しかし、補聴器は機械だから、そこの選択はない。
そこに転がっている音は全部取り入れてくれる。ありがた迷惑の極みである。
特に機械音が脳に響く。それから子供の甲高い声。
昨日、小学校の校庭の横を通り過ぎた。お昼休みのようでたくさんの子供からの声がした。
通り過ぎる数秒の間、拷問かっ?というぐらいの脳に突き刺さる声、音がした。
これだから、便利だが着装しない理由の一つなんだよなぁ
で、新聞の記事だが、補聴器を取らずに常用するというのが、上手に使いこなすということであった。
常用することで脳が慣れてきて、入れる情報と入れない情報を聴き分けるというのだ。
なるほど…不愉快ということで、必要な時だけにはめると言うのは、下手なやり方らしい。
慣れると時計の音のカチカチも気にならなくなるのか?
炊事をしたり後片付けの時の、滝の音のように聞こえる水道の音も優しくなると言うのか?
集まりの時、人声が一斉に聴こえて、実は何も聴き取れていないと言う不自然さが無くなるのか?
脳の仕業となれば慣れるしかないと納得した。
ので今日から実行してみる。
脳よ!慣れてくれ!欲しい情報を取り入れてくれ!
と願いつつ、今は時計の音とキーを叩く音だけの世界にいる。