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マイの気まぐれ日誌

「夢」を実現させるために…

中四駅伝2012

2012-12-03 21:30:24 | マイの日誌
中四駅伝。

スタート前には
どの大学にも優勝の可能性が、
どの選手にも区間賞の可能性があります。

しかし、
スタートラインについた時点で
ある程度結果がわかってしまうという
悲しい一面も持っています。


だからこそ、圧倒的な準備が必要です。
それが絶対的な自信となり、
100パーセントの力を出すことができます。

みんな緊張しています。
もともとメンタルの強い人間なんていないと思います。

不安要素を洗い出し、
一つ一つ不安な部分を潰していく…

その面倒くさい地道な作業(準備)をより多くしている人は
不安な部分が少ないため、
精神的に余裕が生まれ、
メンタルが強いと思われているだけです。


中四駅伝はガチだから面白い。
弱気になったものはあっさり食われるし、
戦略なく挑んだものは撃沈するだけです。

なんとなく練習して、なんとなく中四駅伝に臨んで、
まぐれで爆発的な記録が出ることはまずありません。



今回、母校はあまりいい結果が残せなかったようです。

私も大学1・2年生の時、
10位に入ることができなかった時の気持ちを思い出しました。

あの時は自分の力の無さに腹が立ってしょうがなかった。

何が正しいのかわからなくて、
思考錯誤しながら失敗ばかりしてもがいていた…。

でもそこから這い上がる過程で、
人生で必要なものをたくさん得ることができたと思っています。

形のあるものではないけど、
心に残るものをいっぱい。

今となっては良い思い出で、
自分の宝物です。


『はい上がろう。「負けたことがある」というのが、いつか大きな財産となる。』
(スラムダンク最終巻より)


今回も毎年変わらない高知大学の選手、付き添い、応援隊の
結束の強さをみることができて本当によかった。

やっぱり最高の集団です。

OBになると、
母校のユニフォームで走っている選手の姿を見るだけでも嬉しいものです。

チーム状況の厳しい中で、
言い訳せず、
よく頑張ったと思います。

高知大学の全ての駅伝戦士たちに、

『ありがとう!!』




中四駅伝のことを書き始めると、どうしても暑苦しくなってしまう。

明日から東京出張[朝5時30分出発]なのでこの辺で。

明日からの準備


まだ全然してない

続けること

2011-06-19 14:07:30 | マイの日誌
って大切。

それができない。

何に対しても続けている人。

尊敬します。


行動力が足りん。


文章を書くことは好き。

走ることも好き。


でも自分を突き動かすほどではない。

以前より物事を冷めてみてしまっている。

つまらん男。


書きたいことは山ほどある。

走りたい気持ちも持ち続けている。


あとは動くか動かんか。




萎えたオヤジにならないように。

熱い気持ちを取り戻したい。







自己嫌悪脱出ブログ(笑)

病んでないけど、リア充でもない。

ただ、目標を持たず日々を過ごしてるのが息ぐるしい。

回遊魚と一緒で、動き続けないと駄目な人間なんだな。

しなければならないこと。

よく考えてみる。

あれから一年

2009-11-30 08:25:12 | マイの日誌
断固高大に自分のブログの記事をリンクしてもらっていたので、久しぶりに自分のブログを読み返しました。
最近は体調も良くなく、ブログを更新する気が全くなかったのですが、なんか熱いものが蘇ってきたので、駅伝について思ったことを書きます。

中四駅伝まであと1週間を切りました。
時間がたつのは早いものです。
今年度は全く母校の練習を見ていません。
ただ、駅伝に対する熱い思いはガンガン京都まで伝わってきています。

駅伝は筋書きのないドラマとよくいわれます。
私の中で中四駅伝はスポーツの域を超えて、アーティスティックなものになっています。
ただ単純に走って、タスキをつないで、ゴールするだけのものでは何も感じるはずはありません。
テレビで国際千葉駅伝とか見たけど、外国チームはタスキに魂が入ってないような気がするし、感情移入できなかったから、今年は特に何も感じなかった。
(まぁ、見ている姿勢・状況も悪いと思うんですが…。)
じゃあ何で中四駅伝ではこんなに心を動かされたり、鳥肌が立つぐらい感動したり、感性が刺激されるんだろう。
…って考えたときに、走っている選手の熱い想いを感じる瞬間がある。そこに心を動かされます。ランナーは表現者でもあると思います。

選手は走っている中で今までやってきたことを良いも悪いも表現しています。
良い面ばかりを表現できることはごく稀です。
今回から外から見る立場になったので、彼らが駅伝に対して本気で取り組んできたこと、まっすぐ目標に向かって走ってきたことをできるだけ感じるように見たいと思います。
そうすれば今年、練習状況を見ていなくても、彼らが一年間努力してきたことが大体見えてくると思いますので。




去年、人を感動させる走りをするにはどうしたらいいかというような質問を受けました。
この質問にはうまく答えられなかったので、ちょっと考えました。

私も大学1・2年生のころは人を感動させるような走りがしたいとずっと考えていました。
でもそれは結局のところ、人からよく見られたいという自分本位の考えだったように思います。

人からどう思われようが関係ない。
純粋にチームのために、ただ前をみて自分にできる最高の走りをするだけ。
実際はそれが一番感動すると思います。

爆笑問題の太田さんがテレビで話してたのですが、
『西田幾多郎の「善の研究」に「滅私」という言葉が出てくる。滅私とは自分を消そう消そうとしないとダメ。知るということは自分の思い込みを消していくことから生まれるし、例えば人のことを好きになるということは人のことを考えて抑える(=自分を消す)、それがやさしさでもあるということにもなる。だから知=やさしさである。そこからさらに西田幾多郎はなおかつ最終的に自分であることをめいっぱいにすることが大事といっている。つまり、花がきれいに咲くのは、「花であれ」ということをめいっぱい表現している。それが善。
チャップリンも映画の中で同じようなことを言っていて、バラは別に美しく咲こうなんて思っていない。バラが美しいのは、ただ生きようとしているだけ。「バラであれ。」(ということをめいっぱい表現している。)
人間の気質はそれぞれあって、気質のてっぺんまで磨くしかない。自分であることをつきつめて100パー自分。みたいなところへ行くしかないのではないか。最終的には自己表現ってところに全部行くような気がする。』

去年この話を聞きながら、駅伝と重ね合わせている自分がいました。
自分を殺して、なおかつ自己表現をめいっぱいする。
言葉では矛盾しているけど、そういう走りをしたいと思った。

実際、別に自分がいい区間順位を取りたいとか、人から賞賛を受けよう、人を感動させようとか考えてなかった。
自分はただ駅伝でチームが最高の結果を出せるように行動していただけ。
高知大学陸上競技部の駅伝チームの一員でしなければならないことをめいっぱい表現しただけだったと思う。

ただ、人間の気質はそれぞれあるから、人と同じことをしてもダメ。
自分のオリジナリティーを持って表現しないといけない。
でもそれは難しく考えなくても、自然体で臨めばいいってこと。


そーんなことを考えた久しぶりの投稿でした。