今日4月29日は先帝昭和天皇陛下の誕生日天長節である。先人達の尽力で一時は緑の日なる単なる休日にされた屈辱を昭和の日として祭日に甦ったのは誠に喜ばしくも嬉しい限りである。
そういえば私たち戦前生まれには昭和は遠くなったなぁ~と言う思いである。先帝陛下がポツダム宣言の受託を詔勅として発せられてから71年の歳月が流れようとしている。
その70年余にわたり我が国は一体何を目指して歩み何を目的としてきたのだろうか?? 28日行われた主権回復の日記念行事も真の日本国を取り戻すため民間の有知識人愛国の一般人の熱意思いで行われた。第一次安倍内閣の秋には政府も主催者として名を連ねたが今では熱意も気概もなくした国家の主権の何たるかも政権維持党利私利の為に放棄されている。今の政権を担う政治屋、与野党の政治屋全政治屋では我が国の将来はひいては次代子孫の時代には今の美しい世界に冠たる歴史伝統習慣文化等を引き継ぎ継承することが出来るのか大いなる疑念に絡まれる。
夏の参議院選挙は既定の事実だが其れが為かどうかは断定できないが言えるのは第二次安倍内閣の発足当時との我が国の進むべきスタンスが大きく振れ戦後体制からの脱却自主独立憲法改正等の三本矢が無くなったことだ。そのうえ昨年4月の米国議会での演説後の政策には国益との観念が極端に欠けたことである。グローバル化と言う横文字の魔力に侵されTPPにしろLGBT差別禁止法、脳内白人化を羨望する教育制度の改悪、単純労働者の移民受け入れの推進、合わせ国籍取得条件の滞在日数の大幅短縮おまけにビザ取得制限の緩和等我が国の国益に責任を持つ責任者にしては国民の生命財産を死守する立場であれば潔く身を処すべきだ。
特にポツダム宣言受託以降誤った洗脳の為か占領軍下の人権思想の拡大思い込みがはびこり武士道精神の咀嚼力の劣化で責任を取らない潔く身体の処し方をごまかし私利に拘泥する卑怯な日本人がはびこる世の中になり、今はあらゆる方面でのオンパレードである。
今では政界財界官界法曹界マスメディア界教育界等マイクの前で「申し訳ありませんでした。二度と云々…」の壊れた蓄音機の繰り返しの毎日である。
安倍はよほどの圧力を身に感じていると思う、ただ変わる人材が今の政界には居ないのは国民にとっては不幸である。余談ではあるが時期が到来すればその辺のことにも触れてみたいものだ。