
2007ー8ー8
箱根のはずれ長尾峠に位置する廃墟ホテル<ベルビュー富士>はかねてより
訪れてみたいと思っていた。ここは峠にあって晴の日には富士山が見える
絶好のポイントであって乙女峠とならんで富士山ファンには馴染みの場所
である。幸い、今日は晴天である。長尾峠も晴れている事を念じて小田急線
に乗る。小田急は本厚木駅を過ぎると急行はすべて各駅停車となる。電車
によっては新松田から先は小田原まで各駅停車であったり、ノンストップで
あったりする。この日は湯本駅まで完全各駅停車であった。特急料金を倹約
するとこういう事になる。湯本からは桃源台までバス。桃源台はロープウエイ
のターミナルになっていて結構な人出だ。丁度、夏休みの家族ずれで賑わう
駅をあとにタクシーで長尾峠へ向かった。路線バスはなく、歩くかタクシー
しか交通手段はないのだ。ハイカー用に長尾峠まで遊歩道が整備されていて
徒歩2時間の行程である。とてもじゃないがカメラバッグさげて炎天下の
道を2時間も歩く気にはなれない。自分の足だとおそらく3時間はかかるだろう。
タクシーのドライバーは長尾峠を知らなかった。地図を頼りの道行きで不安
だったが、道路標識がしっかりしていて助かった。乙女峠は有名らしく
乙女峠へいった方が富士山が良く見えますよと彼はいうが、富士山が目的で
ないので、さりげなく長尾峠の富士山を見たい旨伝えて峠へ向かったのである。
峠の近くにトンネルがあってそれをくぐって少し下がると写真で確認した
<ベルビュー富士>の廃墟建物が見えてきた。晴れていれば横に富士山が
その勇姿を現すのだが、天空は晴れていたが富士山のあたりは雲がすっぽり
被いかぶさってなだらかな稜線は御殿場市街へとのびていた。ガスはなく
空気は澄んで気持ちよかった。夏草の緑の帯が下方に向かっていて風はないが
涼しい感じだった。廃墟ホテルの玄関は例によって<危険につき立ち入り禁止>
の看板と申し訳程度の柵が立ち入りを拒んでいた。実際、建物は10年以上前に
その役目を終えて以来放置され風雪に任せるままになっていたのだろう、老朽化
が外部からでも目立つた。本館の屋根の梁は片方落下していてもう片方もいつ
落ちるか危険な状態であった。玄関を入ったところはロビーになっていて
ただ、広く、ガラス窓も広くおそらく富士山の眺望を思いきり取り入れたかった
のだろうが、富士山だけでは集客もままならなかったのだろう。ここは結婚式場
も兼ねていたのか造作がそのように見て取れた。厨房は薄暗く長年のうちに堆積
した埃と苔が悪臭を放っていたし、ところどころから芽をだした名も知らぬ植物
が青青とその生命を燃やしていた。いろいろと廃墟を見てきたが人間が作り、
その役目を終えた物体のそばで生きる植物のその生命力に圧倒されるのだ。
ロビーの片隅に小型のグランドピアノの残骸が放置されていたが、とても、その
鍵盤に触ってみる気にはなれなかった。音が出るとは思えない。でも往時には
華燭の典に一花添えたのだろう。哀れである。階下も広いロビーで窓が広くとられ
採光と富士山の絶景美を堪能した日々もあったのだ。
階段はところどころ崩れそうで危険な状態であった。客室も老朽化にまかせ、
荒れ放題、部屋によっては、黴が生え、植物が生え、酷い状態となっている。
このまま崩壊していくのを待つしかないのか。
危険な廊下を用心しながら歩いた。ここから少し下に見えるマンションはどうも
廃墟のようであった。上方には新築のマンションがあって、富士山の写真が撮り
たくて、わざわざ、ここへ引っ越してきた人が住んでいるらしい。高階層の新築
マンションは人気が高く、結構住人も増えていると聞く。この老朽化したホテル
を再建する事はもはや不可能な事かも知れないが、なにかしら、有益な方法で
生き残りの道を考えてみてもいいのではないか。廃墟となったいきさつは知らない
がこの絶景の場所は宝であると思った。
しばらく待っても富士山は現われなかったので帰ることとしトンネルを逆に抜けて
出た。丁度、出たところが江戸時代に逆戻りしたような佇まいの茶店があって、
遅い昼食をかねてひと休みする事とした。ここは<見晴亭>という店で気さくな
女将さんと話を弾ませた、ここは電気も水道もなく燃料はガスだそうだ。
水は下から運んでくるので貴重だそうだ。一杯の熱いお茶がおいしかった。
そんなわけだから日暮れとともに店じまいということになるのだそうだ。御苦労
なことだ。 女将さんい勧められて帰りは歩きで桃源台へでることとした。
下り道だが石ころだらけで躓きそうになる事たびたび、公称の2倍以上の時間を
かけて登山口まで降りた。そこからハイキングの家族連れ数組と前後しながら
1時間かけて桃源台まで帰った。快い疲れを感じてバスのなかでは居眠り気がつく
と小田原駅に着いていた。写真はこのホテルの玄関。